パラ卓球選手として
生きるプレーヤーたちがいます
日本で初めて、障害者のプロ卓球選手という道を拓いた岡紀彦選手。車いすのプロ卓球選手という道に入った2002年、岡紀彦選手はこんなふうに語っていました。「精いっぱい努力して、自分にどれだけの潜在能力があるのかを見てみたい。まだ開花されていない僕の運動能力がどれくらい秘められているのかを」。そして、今や多くのパラ卓球選手たちが、それぞれの道を拓いています。

岡紀彦 おか としひこ

1964年3月26日生まれ。岡山県岡山市出身。クラス5(車いす)。先天性骨形成不全症という、極度に骨が弱く、ちょっとしたことでも骨折しやすい病気を抱えながらも、幼い頃からスポーツ選手にあこがれ、車いすのプロ卓球選手という前例のない道を開拓。全国大会の車いすの部で25連覇(通算優勝回数は27回)という大記録を達成している。パラリンピックはシドニー、アテネ、北京の3大会に出場。座右の銘は「ピンチはチャンス」

岡紀彦選手の用具や戦績

卓レポ記事一覧へ

 

▼過去の卓球レポート誌面から、インタビュー記事を公開しています。画像をクリックしてお読みください。

別所キミヱ べっしょ きみえ

1947年12月8日生まれ。広島県山県郡安芸太田町出身。クラス5(車いす)。仙骨巨細胞腫を患い、43歳で両脚の神経を失う。障害者の支援施設で卓球に出合うと、その1年後には自らチームを結成するほど熱中。打球技術、トレーニング、コンディショニングなど、さまざまな分野の専門家に助言を求めながら、75歳を迎えようとする現在も常に積極的なチャレンジを続けている。パラリンピックはアテネ、北京、ロンドン、リオデジャネイロの4大会に出場。マダムバタフライの愛称で国内外に名を馳せている。

別所キミヱ選手の用具や戦績

卓レポ記事一覧へ


吉田信一 よしだ しんいち

1965年12月13日生まれ。福島県須賀川市出身。クラス3(車いす)。高校3年生(17歳)の時にバイク事故で脊髄を損傷。29歳で卓球と出合う。もっと強くなりたい、国内のトップ選手たちの間近で腕を磨きたいという思いから、家財道具一式を車に積んで34歳で上京。50歳でリオデジャネイロパラリンピックに初出場を果たす。現在は配球の長短、緩急を主に卓球台全体を使う巧みなコース取りを武器にし、2度目のパラリンピック出場を目指している。「クラス3はクラス4やクラス2の卓球を視野に1点を取りに行き、1本でも多く返球すれば勝てる競技だと思っています」

吉田信一選手の用具や戦績

卓レポ記事一覧へ


吉田信一 “車いす卓球に、全てを捧げて”

卓球レポート 2016年6月号, 7月号掲載

※各選手に関する情報は、2022年12月1日時点のものとなります。


卓球レポートへ
パラ卓球の記事を卓球レポートでチェック
卓球レポートは、卓球に関する情報を発信する卓球専門サイトです。「卓球が強くなりたい」「卓球を深く知りたい」そんな熱心な卓球ファンの皆さまのお役に立てるよう、卓球の技術やニュースなどをお伝えしています。