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W.シュラガーインタビュー 異端児が見た現代卓球③

 2003年5月25日は、今のところ卓球界にとって特別な日として歴史に刻まれている。
 この年、この日に生まれた世界卓球選手権大会男子シングルスのチャンピオンを最後に、男子の世界王者は中国選手によって独占されることになるのだ。
 20年前のこの日、パリ12区、ベルシーの会場を熱狂の渦に巻き込んだその男の名はヴェルナー・シュラガー。卓球強豪国とは言い難いオーストリアに生まれ、オリジナリティーあふれるプレースタイルを確立した男は、30歳にして世界の頂点へと登り詰めた。
 このインタビューでは、異端児シュラガーの来歴に改めてスポットライトを当て、その異端児の眼を通して現代卓球を見つめることで、卓球というスポーツがどこへ向かおうとしているのかを探っていきたい。
 第3回は、シュラガー自身が世界チャンピオンの座に就くまでの1戦1戦を、20年後の今の視点で振り返ってもらった。



卓球の場合、身体的に一番よい年齢では、
精神的なピークには達していない

--世界卓球2003パリにはどのような心構えで臨みましたか? 当時は30歳ででしたが、年齢的なハンディは感じませんでしたか?

ヴェルナー・シュラガー(以下、WS) いい質問ですね。私は、30歳でそれほど年を取っているとは感じませんでしたし、ハンディとも感じませんでした。もちろん、身体的なパフォーマンスのピークは20代半ばといわれていますが、正直に言うと、卓球の場合は少し異なると考えています。卓球の場合は、身体的に一番よい年齢では、精神的なピークには達しておらず、自分自身の性格をよく理解できておらず、自分の卓球の特性上のメリットとデメリットをうまく使い分ける能力が低いと思うのです。
 逆に言えば、年齢を重ねれば重ねるほど、そうした能力は高まると思います。その結果、私は40代半ばまで、選手としてそれなりに続けることができました。
 これは、身体能力の欠如を、卓球に対する基本的な理解力と精神的な余裕で補うことができたからにほかなりません。(身体能力を含む)総合的な実力を着実に上げていくことはできませんが、既に持っている経験値のおかげで、かなり高いレベルを維持することはできます。


--それでは、具体的に試合を振り返っていただきましょう。印象的な逆転勝利を収めた、準々決勝の王励勤(中国)戦はいかがでしたか?

WS とてもエキサイティングな試合でしたし、準備する上でも大きなチャレンジでした。この準々決勝を私はとても楽しみにしていたんですよ。なぜなら、明らかに自分よりも強い相手との対戦だったからです。
 そして、そうした立場でプレーすることはいつも楽しいものです。準々決勝までの試合では、日本チャンピオン(松下浩二)、ユーゴスラビアチャンピオン(グルイッチ)、韓国チャンピオン(金擇洙)、などの各国のチャンピオンに勝って、準々決勝まで勝ち進んでいました。これらの試合の前は、自分の方が有利と見られていたため、プレッシャーがありましたが、幸い、自分の持ち味をうまく発揮することができて、勝つことができました。
 準々決勝の王励勤戦では、このトーナメントで初めて、私が明らかに劣勢な立場での試合になりました。ここまで来れば気楽にプレーできます。ただ、彼に勝つためには、自分を成長させる必要があると思いました。
 それまで彼に勝つことはできなかったので、私にとっては特別な挑戦であり、この試合をとても楽しみにしていたのです。

6-10の時に、1点でも取れば
王励勤は自分の勝利を疑うようになると思った

--ゲームカウント2対3とリードされ、6ゲーム目は6-10で負けていました。そこから何かを変えたのですか?

WS そうです。あの場面で私は、今までとは違うことをしなければなりませんでした。もちろん、私にとっては楽しい状況ではありませんでしたが、私は試合中、王励勤をとても注意深く観察していて、彼が試合の状況から受ける大きなプレッシャー、あるいは、彼自身がつくり出しているプレッシャー、もしくはその両方を感じていることが見て取れました。だから、「もう終わった」という感覚はまったくなかったのです。
 私がもう1点でも取ったら、彼は自分の勝利を疑うようになるかもしれないと思いました。彼が持っている卓越した技術による支配力と、それとはかけ離れた精神的な不安定感。それは私が付けいるすきになるとずっと考えていました。そこが私の攻めどころであり、チャンスだったのです。
 具体的に何を変えたかというと、6-10のサービスの場面で、私はこの試合で初めて下回転を多くかけたサービスを出しました。というのも、粘着性ラバーを使用する中国選手たちは、回転を少し読み違えただけで、ミスをしてしまうことが多々あるのですが、私はこのことをよく理解していました。
 ですから、粘着性ラバーを使用するアジア勢と対戦するときは、回転のかかったサービスを出さないようにして、ヨーロッパの選手がこれだけの回転をかけられるということを相手が想定できないようにしておいて、大事な場面で切れた下回転のサービスを出すことで、相手は想定外のミスをするだろうと考えていたのです。私は今まで通り、この試合でも切れた下回転のサービスを出すことを避けていましたが、「これまでやってきたことによって、ゲームカウント2対3の6-10とリードされている状況がある。だから、何かを変えなければならない。同じことを繰り返してはいけない」と思ったのです。
 そこで、初めて下回転の量を増やしたサービスを出したところ、彼はすぐにミスをしました。それも、普段はしないようなミスをしたのです。
 通常、中国選手は自国の選手との練習経験から、こうした回転量の多いサービスに慣れていて、精度の高い、質の高いサービスにも巧みに対応することができます。
 そのミスで、王励勤は間違いなくリラックスしていないと気づきました。その時点で7-10になりましたが、ここにも語るべきストーリーがあります。次のポイントも私は下回転のサービスを出そうと思っていましたが、ボールを投げ上げているときに、とっさに、上回転サービスをバックサイドに長く出そうと思ったのです。
 そして、緊張しているときは、いつも一番練習してきたプレーをするものです。ですから、王励勤は回り込んで、フォアハンドで強烈なボールをストレートに打ってくるだろうと予測しました。彼は実際に私の予測通りのボールを打ってきたので、私は非常によい反応ができて、ポイントを取ることができました。
 もし、王励勤がレシーブを私のバック側に打ってきたらどうなっていただろうかとよく想像しました。そうなっていたら、おそらく誰もが「あのサービスは悪い判断だった」と言っていたと思います。しかし、そういうものなのです。戦術がうまくいったかどうかは、いつも後から振り返らないと分からないのです。そして、この時は、それが功を奏したのです。

苦境にあっても冷静さを失わなかったシュラガーが難敵・王励勤に劇的な逆転勝利を収めた

孔令輝には信じられないほど
大きなプレッシャーがかかっていた

--準決勝の孔令輝(中国)戦も接戦でした。序盤はあなたのペースでしたが、その後相手が盛り返してきて、最終的にはフルゲームの14-12までいきましたね。

WS そうですね。孔令輝との対戦も同じような状況で、(最終ゲーム)11-12でマッチポイントを握られました。そして、彼が最初のマッチポイントを迎えた時、もうタイムアウトは取れなかったので、(孔令輝は)卓球台が汗で濡れているから拭いてほしいと審判員に訴えました。それは、私にとっては、彼がこの状況を怖がっていることの合図になったのです。
 彼はプレッシャーに耐えられずに、一息つく必要がありました。中国選手最後の1人として、タイトルを取れるかどうかという状況(準決勝に進んだのは、シュラガー、孔令輝、朱世爀[韓国]、クレアンガ[ギリシャ])は、彼にとってあまりに大きなプレッシャーでした。少なくとも私の解釈では、孔令輝には信じられないほど大きなプレッシャーがかかり、そのために彼はあのような行動を取ったのです。
 この短い休憩の後、私はより勢いがつきました。彼は下回転のサービスを出したのですが、ラケットのエッジでボールを打ってしまったのです。彼は、ただでさえ緊張していたのに、打ち損じてしまったことで、サービスのバウンドは通常の2倍近く高くなり、私に攻撃的なフリックをする機会を与えてくれました。
 しかし、サービスの回転量が多いのか少ないのか私は分かっていませんでした。通常はボールがラケットに当たる音で回転量が予測できますが、粘着性ラバーの場合は異なります。この時は、レシーブする直前まで確信が持てませんでしたが、打球音が聞こえなかったので、下回転が多くかかったサービスだろうと判断し、ポーカーの時のように賭けに出て、ラケット面を開いて強くはじき打ちました。
 もし、切れた下回転のサービスでなかったら、ボールは卓球台の上を大きく飛び越えていたでしょう。このようなときは、私に正しい判断をさせてくれた大いなる力に「ありがとうございます」と言うほかないですね。

孔令輝が大きなプレッシャーのもとで犯した小さなミスをシュラガーは見逃さなかった

チームメートの陳衛星と似たプレースタイルの
朱世爀が決勝の相手だったことは私に有利だった

--朱世爀(韓国)との決勝についてお聞きします。朱世爀には2001年のジャパンオープンで敗れていましたが、その結果から不安を感じるようなことはありませんでしたか?

WS 基本的には、決勝で朱世爀と対戦できたことはうれしかったと言えます。私と同じように、彼も下馬評の高い選手ではありませんでしたし、その時の世界ランキングは私よりも低かったので、なおさら評価されていなかったかもしれません。
 ここでもまた、私は有利な立場となりました。というのも、彼は、私のナショナルチームの仲間の1人である陳衛星(オーストリア)と同じく、バックハンドでカットして、フォアハンドはアグレッシブにドライブで攻めるというプレーをする選手なのです。
 そして、当時は、この現代的な守備型のプレーを本当に高いレベルで実践できている選手はほかにあまりいませんでした。
 ですから、私にはアドバンテージがありましたし、少なくとも私は陳衛星と毎日練習した経験を生かすことができると思っていました。そして、本当にその恩恵をたくさん受けることができたのです。


--優勝した瞬間はどのような気持ちでしたか? そして、その直後、カルサイコーチと抱き合った瞬間のことは覚えていますか?
    
WS ちょっと変な言い方になりますが、あれはポジティブなアクシデントだったと言えます。あの時は、あまりに興奮して、感情が高ぶり、意識が飛んでしまいました。
 私が優勝した時のビデオを見ると分かりますが、ラケットを手から離し、宙に浮かせて落としてしまいました。それから、何も分からなくなってしまったのです。意識が飛んでしまって、それからしばらくの間のことは何も覚えていません。
 意識が戻った時に、ラケットを落としてしまったことで、バタフライが怒っているかもしれないと思い、心配になりました。意識は飛んでしまいましたが、とても前向きな、純粋な喜びのひとときでした。

歴史的な勝利の瞬間に、意識が飛んだというシュラガー

(まとめ=卓球レポート)

卓レポ名勝負セレクション  Miracle in Paris ヴェルナー・シュラガー Select.3

卓球レポートが国内外のさまざまな大会へ足を運び、およそ半世紀にわたり、収め続けてきた熱戦の映像から、語り継がれるべき名勝負を厳選して紹介する「卓レポ名勝負セレクション」。 独自性の高いテクニックと大胆な戦術で世界の頂点をつかんだシュラガー(オーストリア)の名勝負を紹介する。
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