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三十六計と卓球 ~第十計 李代桃僵~

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「日本の友人と世界の卓球界に『三十六計と卓球』を捧げる」 荘則棟

第十計 李代桃僵 (桃の木に代わって梨の木が枯れる)

全局的な勝利を目指すため、小さな犠牲を払って大きな勝利を手中にする。或いは乙の代わりに甲を用いる戦術で全般的な勝利を収めることである。

 古代戦術の例

36kei-10-01.jpg 戦国時代(紀元前357年)斉国の将軍・田忌は斉国の威王や公子達とよくよく馬の競争をした。現在でいう競馬である。
 毎回大金を賭けて試合に臨むのだが、田忌の馬は威王や公子達の馬に比べて脚力が落ち、毎回のように負けていた。
 まさしく「行きは良い良い帰りは怖い」である。
 そんなある日、斉国の軍師・孫臏(そんびん)は田忌と一緒に競馬の観戦に行った。
 各馬主は馬の速さにより、上、中、下の3ランクに分けて競争しており、3試合で2勝すれば良いのである。
 孫臏はさらに観察を続けた。
 よく見ると田忌の上クラスの馬は威王や公子達の上クラスの馬に勝てず、中クラスの馬は威王や公子達の中クラスの馬に勝てず、下クラスの馬はやはり下クラスの馬に勝てないことがわかった。
 これでは田忌が毎回負けるはずである。
 城に戻ってから、孫臏は田忌に「次回の競馬では大金を賭けてください。私は貴殿が必ず勝つようにします」と言った。
 数日後、田忌は威王に競馬に参加するように招聴し、かつ千両の大金を賭けて甲乙をつけることにした。
 威王にしてみれば毎回勝っている相手であり、快く受けてくれた。
 試合前、孫臏は田忌に「貴殿の下クラスの馬を、威王の上クラスの馬に当ててください。先ず1敗するのです。その後は貴殿の上クラスの馬を威王の中クラスの馬に当て、貴殿の中クラスの馬を威王の下クラスの馬に当てるのです。これで2勝できます。3戦2勝、これが私の戦術です」と言った。
 試合結果は回忌の2勝1敗で威王に勝ったのである。
 場内は一斉にドラや太鼓が鳴り響き、観衆は見事な試合に歓声をあげて喜んだ。
 威王と公子達はただ唖然とするばかりであった。
 孫臏の李代桃僵(桃の木に代わって梨の木が枯れる。乙の代わりに甲を用いる戦術)作戦は、見事に成功したのである。

卓球における応用例

 第26回世界卓球選手権大会が北京で開催されることが決定して以来、中国選手にとって日本チームは大きな圧力となった。
5年連続男子団体チャンピオンの座に君臨している日本チームは、秘密兵器であるループドライブを開発し、あたかも虎に翼をつけたように、向かうところ敵なしの感じであった。
 中国チームはこの時、まだループドライブがどのような技なのか見たこともなく、どのようにすればそれを知ることができるのか、そしてこれに適応することができ且つ勝つことができるのか、一大難事を目の前にして溜め息をつくばかりであった。
 この時、胡炳権、薛偉初、余長春など、数名の選手が前陣速攻打法を捨て、日本チームのループドライブを真似して、練習の「的」となってくれたのである。
 彼らは汗だくとなり、足腰の筋肉痛をものともしないで、主力選手の練習に際して終始「的」となってくれた。
 このように彼らが日本選手の代わりにループドライブを真似してくれたため、中国チームの主力選手はループドライブを知ることができ、それを消化しまた対応できるようになったのである。
 中国チームが5-3で日本チームを破り栄冠に輝けたのは、祖国栄誉のために自分の卓球人生を犠牲にした、彼らの功労と切り離すことはできない。
 この彼らの貴い愛国主義精神は、人々から"世界チャンピオンの前を歩む人々"と讃えられている。

感想

1.大局を主とし、小さな局部的な利益の犠牲は、全局の勝利のためである。
 将棋でいう「飛車を捨てて王を守る」ことはこの計の具体的な使い方である。
2.自分と敵の長所短所に対し、自分の手のひらを知るが如く、正確且つ細かく観察する。それに基づきさらに分析を行ない自分の長所で敵の短所を制する方法を見つけ出す。
3.この計略は、自分と敵の力が似通っている時に用い、小さな損で大きな勝利を手中にすることである。
4.試合というものは力量の競争であり、普通は優勢の方が勝ちを収める。
 しかし弱者(劣勢)が強者(優勢)を倒すこともある。
 力の優劣は試合の主導権を握れるか握れないかぞ決める基礎であり、試合を通じて主導権の有無がはっきり現われる。
 試合中に正しい考え方で冷静に相手に立ち向かえば、劣勢が優勢となる。
 また逆に対処の方法がまずいと優勢が劣勢になる。
(翻訳=佐々木紘)
筆者紹介 荘則棟
chuan_s.jpg1940年8月25日生まれ。
1961-65年世界選手権男子シングルス、男子団体に3回連続優勝。65年は男子ダブルスも制し三冠王。1964-66年3年連続中国チャンピオン。
「右ペン表ソフトラバー攻撃型。前陣で機関銃のような両ハンドスマッシュを連発するプレーは、世界卓球史上これまで類をみない。
1961年の世界選手権北京大会で初めて荘則棟氏を見た。そのすさまじいまでの両ハンドの前陣速攻もさることながら、世界選手権初出場らしからぬ堂々とした王者の風格は立派であり、思わず的ながら畏敬の念をおぼえたものだ。
1987年に日本人の敦子夫人と結婚。現在卓球を通じての日中友好と、『蘭と創』などの著書を通じて、卓球理論の確立に力を注いでいる」(渋谷五郎)
本稿は卓球レポート1993年1月号に掲載されたものです。
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