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「卓球は血と魂だ」 第四章 三 卓球レポート、なぜ始めたか

第四章 卓球界奉仕を志して

三 卓球レポート、なぜ始めたか

 昭和三十二年九月から。ガリ版刷りで、とりあえず「バタフライ情報」、次に三十三年九月から「卓球レポート」として活版印刷に入り、六ページ、八ページ、十二ページと発展、一年後からカラー印刷とし、その後次々と内容向上に尽力して今日の卓球レポートに成長してきた。

 なぜ、これを始め、なぜこれを充実してきたのか。それはまず私自身の少年時代の体験上、なにが全国の少年達に必要か、また、なぜ少年達にそれが必要か、を痛感してきたからである。

 私自身、中央を遠くはなれた片田舎に育った卓球少年だった。卓球を熱愛し、どうしたらもっと強くなれるのか、日本一流の卓球、そして世界一流の卓球とはどんなものなのか、を知りたかった。たしかに戦前から日本卓球協会会報があった。一年に二、三回発行されていた。また東京の協会堂から「卓球月報」、大阪の武川新七商店から「卓球」が出されていたが、定期的に毎月は出ていなかった。あとで聞いたものだが、大阪の山本弥一郎氏の「卓球タイムズ」は大正時代から必ず毎月出ていた、という。しかし、それらの内容は記録とか随想が主であって、技術指導はなかった。

 戦後においても「卓球界」や「卓球人」をはじめ、いろいろの卓球誌が出た。特に井坂信太郎氏は本当に長年にわたって卓球の出版活動に尽力され、そのために自宅を犠牲にされたほどである。井坂さんの執筆と出版活動によって、どれほど多くの若い選手達が激励されたかしれない。私もその一人である。

 しかし、卓球の雑誌は採算をとることが困難だ。もちろんこれで儲けにならないばかりか、どれだけ損するかわからぬ仕事なのだ。日本卓球協会のようなところでやるべき仕事である、と長年思ってはきたが、人材と資金が継続的に必要であり、執筆編集にたずさわる人々が真執な気持ちで自ら勉励努力し、マンネリズムに陥らないためには、側面から温かい激励や支援も必要なのである。

 協会で出来ないことはない。しかし、この編集にたずさわると、他から賞められることよりもケチをつけられることの方が多いし、よほど熱意がなければ人材的にも経営資金的にも継続しにくいものであることなど、私は永い間の実状を見てきた。

 しかしながら、日本の卓球の将来を考えると、中、高校生とその指導者のために、何らかの指針や参考書が常に必要である。と痛感してきた。少くとも情報と研究資料を送り、選手や指導者たちに希望と激励を与えることが必要と痛感してきた。これが将来をめざす若い選手たちにとって何よりの栄養になる、と考えてきたのである。

 昭和三十三年九月から、情報の面で中条一雄氏、技術指導面で荻村伊智朗選手、そして技術精神相談面で私が骨になってとりあえずスタートしたのである。それまでの雑誌には動きのある技術写真はなかった。当時連続撮影カメラはドイツの一社しかなく、それを香港まで買いに行ったのもその時であった。
 その後、編集長に久保彰太郎氏の入社を求め、ついで藤井基男氏にお願いし、さらに西田昌宏氏へとバトンタッチされ、その間に山中教子さんをはじめ、実に多くの方々の御助力、ご協力をいただいてきた。現在は副編集長に長谷川信彦君と末藤忠広君、カメラに手塚晴彦君と中井赴夫氏、写真整理等に河口さん、そして技術指導に伊藤繁雄君ら七名をレギュラーとして熱心な国際活動をやっている。

 その上に、外部から内外の指導者、現役選手のご支援を得て、号を追うごとに豊富な内容に育ってきた。発刊後すでに二十六年目、国内はもとより世界中の卓球界から絶賛を頂いている。

 実は海外からの声として、写真を多くしてくれ、英文にしてくれ、中国文も入れてくれ、という声がつづき、約十五年前から英文のテーブルテニスレポートを別冊とし、好評を得ている。現在、国際卓球連盟のロイ・エバンス会長、クレメット・ルール委員長(英)、ハリソン用具委員長(アメリカ)ほか、世界各大陸の指導者から執筆支援を頂いているが、これらの方々は非常に卓球を愛する方々であり、世界の卓球界を何とかして他のスポーツに負けないよう、この卓球レポートを通じて読者に呼びかけて下さっているのである。

 実のところ欧米の卓球界は、昨今やや低調であり、欧米の卓球雑誌も、卓球用具メーカー活動も上り坂ではない。その理由の一つとして、卓球競技のラリーが続かなくなったことが、大きな原因だとされている。観戦する人々にとっては、美しいラリーに卓球の魅力を求めているわけで、最近の速い変化プレーは欧米の批判の的となっている。テレビの放映についても同じで、エバンス会長によれば「イギリスでは卓球のテレビ視聴率が落ちた」という。また「昔は中国選手が訪英すれば人気が出たが、今は逆だ」という。

 中国選手のプレーはおもしろくない、ということになってきたし、中国でなくても、ラケットの両面に異質ラバーを張って、クルクル回しながら戦うマジックプレーは卓球の正常な発展をさまたげる、という考え方が、欧米から世界全般の共通認識となってきているのである。

 今春、東京の国際卓球連盟の総会でルールが改正され、「ラケットのラバーの色は変えなければならない」と決議され、国際試合においては一九八四年一月より実施、と決ったのはそういう経過からであった。

 これは一例であるが、国際卓球界の卓球技術の変遷はこの三十年間著しく動いてきた。今後も当分この種の論議がさかんに行われると考えられるが、われわれ日本卓球界はこの面でも世界のリード役や調整役となることが海外から望まれるようになっている。

 このような意味においても、今後の卓球レポートおよび英文の卓球レポートの役割は大きい、と私共はその責任を感じているわけである。私達は今後一層自省し研鑚につとめ、卓球界指導者のご支援をえて、スポーツ界に誇りうる卓球レポートにしていきたい、と念願している。

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