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「作戦あれこれ」第25回 早朝トレーニングの効果

 毎回のように述べてきたが、試合は心・技・体・智(作戦、戦術)が一致してはじめていい試合ができる。どれが欠けてもいい試合はできないものである。
 その個々の中で、いろいろ大切なことがあるが、技術の中ではとくに大切なことは何だろうか。
 私は自分の体験から、からだ全体の筋肉がスムーズに動かなければ威力のあるボールとかいいコースに打つ、またはいい動きができない。しかもその3つのことは「卓球の生命」といえるべき問題であることから、からだ全体の筋肉がスムーズに動くようにして試合に出ることはもっとも重要であるように思う。
 たとえば「卓球の生命」とよくいわれるフットワークで大きく動くスタートのときに働く筋肉は、短距離走のスタートのときに働く筋肉とよく似ている。
 そのときに、働く筋肉が十分にあたたまっていれば、いいスマッシュやドライブやカットが返せるが、あたたまっていない場合いくら強く打とうと思っても筋肉の伸縮がスムーズにできにくく強く打てない。とくに卓球競技というのは、幅152.5㎝、縦の長さ137㎝の相手のコート内に入れなければならないために、小技がきかなければならず、主力の筋肉と同時にからだの隅々まで筋肉が敏感に働かなければ正確に打ち返せない。もし冷えたまま無理して強く打とうとすると、余分なところに力が入ってミスをしやすいばかりか、肉離れとかねんざとか関節などの故障を起こすことがあるから十分に気をつけなければいけない。

 試合前のウォーミングアップ

そのようなことがないようにするには、どうしたら良いだろうか。
 よくいわれていることは、試合前に走ったりシャドープレイなどをして額が汗ばんでくるぐらいして試合に行くということである。もちろんこれは大切なことで間違いないが、試合の直前だけウォーミングアップをするのであるならば、ベストの動きはなかなかできないと思う。
 試合前のウォーミングアップは、ふつうは15分から20分ぐらいであると思うが、試合前だけ思い切りシャドープレイやダッシュや横振りなどで隅々の筋肉まで十分あたたまるには激しい動きが要求される。世界選手権で3連勝した荘則棟選手は、一試合一試合全身が汗でびっしょりになるぐらいウォーミングアップをやっていたのは有名で、特に団体戦で敗れた高橋選手と対戦する前は全身に汗をかいていたという。そして、両ハンドを振る荘選手はほとんどフォアハンド1本で戦い快勝したのは有名である。そうした激しいウォーミングアップをしてなお、ベストのプレイができることが理想であるが、私は十分なウォーミングアップにはならなかった。それで、どうしたら短期間のウォーミングアップでベストに近いからだの動きに持っていけるのだろうか、と考えた。

 早朝トレーニング

 私のいろいろな体験からいえば、朝早く起きて食事前に全身の筋肉、関節を動かすトレーニングをすることが必要であると思う。それも10分や15分のトレーニングではなく全身の筋肉の働きがベストに近い状態までやることであると思う。
 からだ全体の筋肉や関節を動かすトレーニングとしては、次のような種目がある。
 1.体操、柔軟体操
 2.サーキット・トレーニング(膝曲げ屈伸、腕立て伏せ、腹筋、バービー、つま先立ち)
 3.足をやや広目に開き、体を左右に強くひねる
 4.ランニング
 5.インターバル・トレーニング
 6.発進停止
 7.素振り及びシャドープレイ
 8.ジャンプ、縄跳び
 9.手首の運動
 10.180度転回
他にいろいろなトレーニングがあるが、このような種目をやればほとんどの筋肉、関節を動かす。
 しかし、ここで1つ大切なことがあるが、トレーニングというのはいくら効果があると知っていてもほとんどの人が辛いと思う。しかも、早朝起きてやることは特に苦しい。だからといって、いやいやトレーニングをするのは疲れるし効果が少ない。それよりもできる限り元気を出し自主的にやればそれほど疲れは感じないし、早く筋肉や関節の末端まであたための短い時間で効果の高いトレーニングになる。
 ある年の全日本選手権のダブルス決勝のときだったが、試合前パートナーと一緒にトレーニングをしたが、パートナーはウォーミングアップの大切さを知らなかったのだろうが浮かぬ顔をして付き合い程度にやったためにウォーミングアップの効果が出ずお互いの集中力が低下して完敗したことがあるが、いかに自主的に積極的にやることが大事か再確認した。
 それともう一つ大事なことは、各個人の体力によってトレーニング量をかえることである。体力があまりないのに40分も1時間もやると疲れてかえってコンディションを狂わせてしまう。体力があまりない人は20分~30分。体力がある頑強な人は30分~40分ぐらいのトレーニングが適当と思われる。何しろ疲れすぎない程度にやることが大切である。ウォーミングアップの目的はこれから始まる試合で練習の成果をだすことである。したがって、短時間で十分なコンディションを作り出せることが理想である。

 インターバル・トレーニングとシャドープレイを主体に調整

 私の早朝トレーニングはどのような内容でどの程度やったか紹介しよう。中でも高校や大学時代よりも社会人になってからの方がコンディションの作り方が順調にいったように思うので、社会人になってから一番印象に残っている大会を1つ紹介しよう。
 一番印象に残っている大会は、昭和47年度に駒沢体育館であった全日本選手権大会である。優勝すれば5度目の史上タイ記録がかかっていたので、宿泊所は慎重に選んだ。食事が良くて、気楽に泊まれて、トレーニングができるという条件を満たすため、体育館からやや遠かったが山や広場がある兄の家に泊めてもらった。
 大会の最終日の試合開始は、午前9時からでベスト8決定の試合からであった。私は、人間というのは起きてから2時間以上たたないと神経が機敏に働かないということを学んでいたので、6時ちょっと過ぎに起床した。外は寒いが快晴であった。私はさっそくたくさん着こんで6時15分ぐらいから体操、柔軟体操をみっちりやり、次のことをやった。
 ①膝曲げ屈伸25回、腹筋20回、腕立て伏せ20回、横振り30回を2セットのサーキット・トレーニング
 ②各関節、筋肉をあたためてから山を8分程度の力でランニングを約10分
 ③全身の筋肉が十分にあたたまってからインターバル・トレーニング(約40mダッシュしたあと、ゆっくり約50m走る繰り返し)を7分前後
 ④素振り(フォアハンドスマッシュを20回×3回。バックハンドスマッシュを20回×3回。フォアハンドスマッシュ、バックハンドスマッシュの切り変えを20回×3回)
 ⑤7動作のシャドープレイ、10動作のシャドープレイを各10回
 ⑥軽いランニングを約3分後、整理体操
☆気をつけたこと
 ㋑元気を出してやる
 ㋺ランニングやインターバル・トレーニングをするとき車や自転車や石ころに十分に気をつける(目の動きのトレーニング、注意力のトレーニングになる)
 ㋩素振り、シャドープレイのとき、基本に忠実に動き基本に忠実に振る(凡ミスの少ない正確なフォームを身につける)
 ㋥準備体操、柔軟体操を十分にやってから走る
 ㋭疲れすぎるまでやらない
などの点に気をつけて①から⑥までのトレーニングを約45分やった。終わったときには、厚着をしてやったこともあるがユニフォームとトレーニングウェアは汗びっしょりであった。だが、ほとんど7~8分程度の力の入れ具合いでやったので、たくさん汗をかいてもすごく気分爽快であった。
 そして、試合前に額から汗が流れ落ちるぐらいまでウォーミングアップをして出場したが、からだがよく動き自分のプレイが思い切って出来た。中でもとくに上げられるのは次のようなことであった。
 ①早朝トレーニングをやったということから、心身ともに引き締り、リードしているときは油断しない心、離されているときは最後まであきらめない精神力があった
 ②早朝トレーニングを開始する前は、勝ちたいとか、負けられないという気持ちがあって気が重たかったが、トレーニングが進むにつれてベストを尽して負けたのならば仕方がない。という克己心(自分の欲や邪念にうちかつ心)が生まれ、心身ともラクになった
 ③早朝トレーニングでからだ全体を動かしたことから試合前の練習のとき調子がよく、気分良く試合に臨めた
 ④汗を出したことによってからだが軽くなったことや、激しい動きに耐えられる内臓ができたことから、粘り強いプレイができた
 ⑤からだ全体神経がいきとどいて、チャンスボールはほとんど得点できる。その余裕からむずかしいボールに対して失敗を恐れず思い切ってできた。
 そのようなことから、たとえもし一打目にミスをしても思い切った打ち方によって、ミスをしても体が動きやすいだけに同じ失敗を繰り返すことが少なかった。このことは、凡ミスが許されない日本のトップクラス以上の選手とやった場合は非常に大切なことで、大きなプラスをもたらしてくれた。

 すべてのタイトルを奪われた時

 しかし、反対に早朝トレーニングをやらなかったときはどうであったか。わたしは大学3年のときには、世界アジア、日本の三大タイトルを持っていたが、大学3年の後半から早朝トレーニングをおこたった。そのために、早朝トレーニングをやったときとまったく反対の結果が出て激しい動きに耐えられる内臓にできていなかった。また、気力、集中力が低かったし体力の消耗も激しく、2年間のうちにことごとくタイトルを奪われ卒業をするときは無冠だった。
 早朝トレーニングの積み重ねが大切である。



筆者紹介 長谷川信彦
hase.jpg1947年3月5日-2005年11月7日
1965年に史上最年少の18歳9カ月で全日本選手権大会男子シングルス優勝。1967年世界選手権ストックホルム大会では初出場で3冠(男子団体・男子 シングルス・混合ダブルス)に輝いた。男子団体に3回連続優勝。伊藤繁雄、河野満とともに1960~70年代の日本の黄金時代を支えた。
運動能力が決して優れていたわけではなかった長谷川は、そのコンプレックスをバネに想像を絶する猛練習を行って世界一になった「努力の天才」である。
人差し指がバック面の中央付近にくる「1本差し」と呼ばれる独特のグリップから放つ"ジェットドライブ"や、ロビングからのカウンターバックハンドスマッシュなど、絵に描いたようなスーパープレーで観衆を魅了した。
本稿は卓球レポート1977年4月号に掲載されたものです。
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