1. 卓球レポート Top
  2. その他
  3. 卓球レポートアーカイブ
  4. 「作戦あれこれ」長谷川信彦
  5. 「作戦あれこれ」第26回 相手の強打を強打で返す

「作戦あれこれ」第26回 相手の強打を強打で返す

 試合で相手に強打された場合、実際にはショートやロングでコースをついたり、ドライブマンであればそれらにロビングで返したり、カットマンであれば変化の少ないカットで返すことが多いが、ロングマンであれば相手の強打を強打で打ち返す勇敢な作戦は非常に大事ではないだろうか。最近の試合を見て、また自分の実際の体験からもそのことを身にしみて感じる。
 しかし、最近の高校生、大学生の試合、それに一般の上位クラスまで、相手に強打されると追いかければ間に合う状況でも、ただロングで入れて返すだけや弱いショートで返したり、またはすぐに台から離れてロビングで返したりと、いわば逃げの消極的なプレイが多くなっていることは残念である。また、からだの動きに迫力を欠くことからスポーツを感じさせない試合が多くなったことは残念である。
 では、なぜそのような試合はダメなのか。私は高1のとき、相手に強打されたときすぐに逃げてなかなか勝てなかった。よく知ってもらうためにその中で最も印象に残っている試合を紹介しよう。
 逃げの試合でもっとも印象に残っているのは、高校1年生のときはじめての試合の愛知県春季新人戦だった。そして、3回戦で愛知県下では名門校の1つと数えられていた国府(こう)高の同学年の権田選手と対戦したときだった。私のこのころの戦型は、フォアはロング、バックは一枚ラバーを使用したカットでしのぐ変則的な攻撃型。権田選手は、フットワークが良く思い切りのいいフォアハンド強打主戦の前陣攻撃型で、同学年では県で3本の指に入る力の持ち主といわれていた。
 試合は、権田の強打対私のドライブという感じで進行したが、攻められたときの試合内容がまったくちがっていた。私は相手の強打に対してただコースをつくロングやカットで返すのみだが、権田選手は私のドライブに対して逃げずに強打で積極的な攻め。私はドライブの得点と、ときどき相手の強打をロングとカットで返し相手の凡ミスを誘ったものの、相手の強打をただ入れて返すだけの消極戦法は得点するよりはるかに得点されることが多く、2ゲームとも16本前後で負け高校の初試合は3回戦までしか勝ち進めなかった。それだけにいまだに忘れられないでいる。
 また、その試合だけでなく相手に強打されるとただロングやショートや威力のないカットで返す戦法を続けた私は、その後3回出場した県新人大会においても常に3回戦か4回戦で負け、1度も上位にいくことができなかった。この記録からも私が高1のときいかに弱かったかがよくわかってしまう。今思うと、高1のときは本当に試合がへただった。
 しかし、最近このような試合を多く見受ける。多い例を3つほどあげると、
①少し強いドライブをかけられると、間に合っているにもかかわらず前で止める。または打球点を落とし台から離れてとる
 ②動けば強打できるにもかかわらず力を抜いたロングで返す
 ③回り込んで強打できるにもかかわらずただ当てるだけのショートで返す
などすぐに逃げたり、守る人が多い。では相手の強打に対して逃げたり守ったりすると、どのような短所があるか、そのような試合をして失敗した高1と高3のときの試合、また大学3年、4年のときの試合を振り返ってみると次のことのようであった。

 連続攻撃されやすく勝ちにくい

 ①相手の強打を守ろうという消極的な気持ちから、上体ばかりに力が入りスタートの遅れから足の動きが悪く、また不十分な態勢から振りが鈍くなったために威力がなく、相手にやすやすと連続攻撃をゆるしてしまった
 ②同じような気持ちから、打球点を落とし気味に打ち、しかもからだを開き気味に打球し、からだ全体を使ってボールをとらえなかったために、相手の球威におされてミスが多発した。また左肩(右利きの場合)を入れずからだを開いて打球したボールは、入ったとしても球威がなく逆に打ち返されてしまった
 ③また、からだを開いて打ったボールはコースがうまくとりにくく、深いコースへも打ちにくく、さらに連続攻撃されることが多くなってしまった
 ④球威のないボールは少々低くても角度さえ合えば入りやすく、とくに接戦している大事な場面は集中力が高く入る確率が高い。そのために勝負どころで勝てなくなってしまった
 ⑤相手の強打を強打で打ち返そう、という積極性がたりなかったときは、すべての打球において積極性に欠けることが多く、打球に威力を欠き先手を奪われることが多かったし、追い込んでいても気持ちが不安なことから球威を欠いた返球をし、逆襲されることが多かった
 このために、自分の得意なボールを出すことが減り得点力がグーンと落ちた。また、ロングマンに対して球威が落ちたり相手に先手を奪われた場合、相手のもっとも得意なものと自分のもっとも不得意なところでラリーに持ち込まれやすく、自分より強い相手にはまず勝ち目はなかった。それどころか、自分より弱り相手にも負けたことが何度もあった。ロングマンの場合、逃げる戦法、消極的な戦法は非常に損な戦法、作戦といえる。

 強打対強打の練習をして勝負強くなる

 その後、これではいけないと思い高1の終わり頃から次のような練習をした。
 ①ショートで全面に回してもらったのを、フォア強打で相手のショートを打ち抜くフットワーク
 ②コートから1mぐらいの距離で強打対強打のクロス打ちとストレート打ち
 ③バッククロスから強打対強打の全面のフットワーク
 ④ゲーム練習のときに、できるだけ相手の強打を強打するように取り組む
 このような練習から、相手の強打に対してある程度強打で打ち返せるようになって試合に強くなり、高2のインターハイの団体戦では準々決勝、準決勝ともラストで勝つことができた。シングルスにおいても3位に入賞することができた。大学のときは、強ドライブ対強ドライブと強打対強ドライブの練習も取り入れた。

 相手の強打を強打で打ち返す作戦で田阪選手に勝つ

 そして、相手の強打を強打で打ち返す作戦でもっとも印象に残っている試合は、'70年に名古屋で行なわれたアジア選手権大会のシングルス決勝戦のときの試合である。そのときの対戦相手は、準決勝で世界チャンピオンの伊藤繁雄選手(専大―現在タマス勤務)を破り、好調の波に乗る田阪選手(早大―現在東山高職)であった。私は、好調な田阪選手に対して、試合前いつものように精神面、技術面、作戦面の順にわたって20項目ぐらい試合に臨む心構えをノートに書き込んだ。
 そのときのノートを見ると、一番はじめに書く精神面の中に「相手の強打を強打で打ち返す気持ちで戦う」3番目に書く作戦面の中に「相手の強打に対して強打で打ち返していく、逃げるな」と書いてあり、その下にはとくに重要と思ったときに引く線が何回も読み返したように太くなっている。試合前に作戦を立てた全容を今でもはっきり覚えているが、このとき絶好調に近い田阪選手に対してコートから離れたら勝てない、弱気になったら危ないということから、強打を中陣で打ち返す積極作戦で臨んだ。
 試合開始。スタートは田阪選手の作戦の様子を見た。このときに、彼の確実な攻撃に対して逃げていたら勝てないということがわかり、早い段階で試合前に立てた作戦通り相手の強打をできるだけ強打、という意識を強く持ちドライブで攻められるのは強いドライブで攻めていった。そして、できる限り中陣から前で戦った。その作戦が田阪選手の攻撃を封じ、また攻撃ミスを誘うことに成功して貴重な1ゲーム目を取り、2ゲーム目、3ゲーム目も要所、要所をしめてストレート勝ちをして、4年ぶり2度目の優勝と他の男子複、混合複、団体を制し全タイトルを手中にした。

 打球後のもどりが早く連続攻撃がしやすい

 それも、相手の強打に対して強打で返す作戦から次のようなことがあって大きな力になってくれた。
 ①常に強打で打ち返すんだ、という気持ちと作戦(私の場合はドライブも含む)から、打球後のもどりが早くなり速いスタートが切れ攻撃に余裕ができた
 ②強打を強打で打ち返そうとする緊張した意識と、自然としっかりした前傾姿勢を保つことから、ボールをとらえる大きな溜めができた。また、打球するときに左肩がよく入ったことから威力と安定性が増した
 ③相手が一気に攻撃しようとしてくる連続攻撃を防ぎ連続得点をされることが少なかった。たとえば、バックサイドに強打されたとき、逆にバックサイドに強打して攻撃を封じる。フォアサイドに打たれた場合はフォアサイドを切ったりバックサイドに強打で返して相手の攻撃を封じることができた
 ④スタートが速くなったことから強ドライブやスマッシュが数多く打てるようになり、試合に勢いが出て連続得点がしやすくなった
 ⑤からだ全体を使うことから、からだのキレができ早い段階から好調な試合ができた
 ⑥相手の強打を強打で打ち返すんだという気持ちから集中力や気力が高く、スタートから凡ミスが少なかった
 ⑦また同じような気持ちから、すべての打球に積極性がついたことから一球一球に球威がつき、攻めが早くなり先手を取ることが多かった
 そして、このようなことはロングの攻撃選手に大事なこと、またレベルの高い大会になればなるほど大事なことで大いに役立った。

 コースを考えて打つ

 しかし、ここで注意しなければならないことは、相手の強打を強打で打ち返す作戦を持ったとしても何でもかんでも強打で打ち返すということではない。強打した方が良いのは強打して、強打したらミスが出ると思ったときは素早く判断して強打されないコースへ無理せずつなぐことである。
 また、相手の強打を強打するということから、相手以上のスピードで打ち返さなくてはいけないように思うかもしれないがそうではない。相手の逆コースへつくときは相手のボールよりスピードがなくても、次に攻められるスピードで攻めれば良い。しかし、相手が待っているようなところには、相手以上のスピードで打ち返さなくては攻撃にならないことが多い。また相手の調子によって、また場面によっては、強打で打ち返せる場合でもショートやロビングでコースをついたり、もう1本カットやロビングでしのいで次を攻撃した方が良い場合もあり絶対的ではない。相手の動きを見ながら、そして自分の卓球をよく知って処理することである。
 私の場合は、ショートやネットプレイなどの細かい技術が苦手であったことから、強打対強打の練習や強ドライブ対強ドライブの練習をやり込み、試合で強打できる位置や態勢であった場合は主に強打や強ドライブで打ち返していった方が、よい成績を収めることが多かった。

 技術がアップしてからも強打を強打で打ち返せなかったときは勝てなかった

 しかし反対に、インターハイ3位、全日本ジュニアランク5位に入った翌年の高校3年のときは、追う立場から一挙に追われる立場にかわったこともあるが、サウスポーの岡田選手(東山高)柏選手(高輪高)と対戦したとき、相手の強打やドライブに対してただ当てて入れるだけのショート、ロング、ロビングで逃げてしまった。そのために先手、先手と奪われ、両試合とも4回戦で負け上位進出は果たせなかった。また、'67年の世界選手権大会に優勝したあとも「負けられない」という気持ちから、相手の強打に対して逃げのプレイに走り相手にやすやすと連続攻撃をゆるし、大学3年のときに世界、アジア、日本と持っていたタイトルをことごとく失った。
 このようなことからレベルに関係なく「相手の強打を強打で打ち返す気持ち」。「相手の強打を強打で返していく作戦」は非常に大切である。



筆者紹介 長谷川信彦
hase.jpg1947年3月5日-2005年11月7日
1965年に史上最年少の18歳9カ月で全日本選手権大会男子シングルス優勝。1967年世界選手権ストックホルム大会では初出場で3冠(男子団体・男子 シングルス・混合ダブルス)に輝いた。男子団体に3回連続優勝。伊藤繁雄、河野満とともに1960~70年代の日本の黄金時代を支えた。
運動能力が決して優れていたわけではなかった長谷川は、そのコンプレックスをバネに想像を絶する猛練習を行って世界一になった「努力の天才」である。
人差し指がバック面の中央付近にくる「1本差し」と呼ばれる独特のグリップから放つ"ジェットドライブ"や、ロビングからのカウンターバックハンドスマッシュなど、絵に描いたようなスーパープレーで観衆を魅了した。
本稿は卓球レポート1977年5月号に掲載されたものです。
\この記事をシェアする/

Rankingランキング

■その他の人気記事

NEW ARTICLE新着記事

■その他の新着記事