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「作戦あれこれ」第31回 良い攻守をするためには相手の動きを見る

 試合のとき、「相手の動きをしっかり見てプレイすること。これは基本だ」このことはほとんどの人が認識していることでもある。
 だが実際にはどうか。相手の動きを見ていない人が多い。たとえば、相手のコートにバウンドした時点ですぐに動く人や、ひどい人になると自分が打った直後に動いてしまう人、また見ている人でも相手の癖、グリップ、サービス・レシーブの技術、相手の打ち方、技術の深さはどうであれ、一方的に判断して習慣的に相手が打つ前に動く人は多い。
 一流の選手はどうか。一流選手も相手が打つ前に動くことがあるが、それは相手の動きからしてほぼこのコースに来るに間違いない、相手の癖、グリップ、足の運び、姿勢からいってこのコースに返してくる。サービスやレシーブのときで、このコースへ返した場合、必ずここに返してくる...などの深い読みから相手が打つ前に動くことがあっても、それ以外は逆をつかれないように相手のインパクトかラケットの角度からインパクト直前に動き始める。だからこそ試合にソツがなく強い。
 ではここで、実際の試合から相手の動きをよく見てプレイをすることがいかに大切か今なお深く印象に残っている昭和43年度の全日本選手権のシングルスで伊藤繁雄選手(専大―タマス)と対戦したときの試合を紹介しよう。

 バックに回り込むクセを読んで、動きの逆をついて勝ったあと...

 43年度の全日本は今からちょうど9年前、寒さが厳しくなり始めた11月の下旬から12月の初旬にかけて名古屋の愛知県体育館で6日間に渡って行なわれたとき。伊藤選手と私はこのとき大学4年生で、大学生活最後の全日本であった。また、翌春のミュンヘンで行なわれる世界選手権大会日本代表の選考がかかっている大会でもあって、私は全日本のタイトルを奪い返して大学生活に花を飾ると同時に、世界選手権大会に臨む踏み台にしていと思っていつもより張り切っていた。
 私は、団体戦は準決勝で負けたが、シングルスの優勝候補に上げられていた河野選手、伊藤選手、を破り全勝して個人戦に臨んだ。そしてシングルスは、準々決勝までは1ゲームも落とさず優勝ペースで勝ち進んだ。だが準決勝の河野選手とは、楽勝かと思ったが3ゲーム目からシーソーゲームとなりあわや逆転負けしそうな薄氷を踏む思いで決勝進出を決めた。このとき私はかなり疲れた。第一シードの伊藤選手は、団体戦から尻上がりに調子を上げ速い動きからドライブ、スマッシュが冴え、大屋選手、準決勝では井上選手を圧倒して完全な優勝ペースで2年連続決勝進出し、伊藤選手と日本一を争ったのである。
 私は、準決勝の試合終了後から決勝までの時間は10分間ぐらいしかなかったが、決勝戦に備えて団体戦で対戦したときの試合と、これまでの試合を振り返って主に次のような作戦を考えた。
 団体戦で対戦したときの勝因は、伊藤選手がフォアドライブで積極的に動きまくろうとするときの弱点となるストレートをついたのが良かった。伊藤選手は不利な態勢になると守りが得意でないために、バック側へと3~4発打たれると回り込もうとする癖から、3発ぐらい打ったあとにバック側からストレートに打ったのが効いていた。また、サービス、レシーブにコースと変化が単調にならないよう相手の動きをよく見て激しくゆさぶり、3球目、4球目を鋭いドライブで積極的に攻めたのが効いた。
 次に伊藤選手は今度どうくるかを考えたとき、主に次のような戦法を考えた。
 伊藤選手はバックハンドがまだまだ弱い。バックハンドを攻められたら苦しいという推測から、伊藤選手はやはりサービス、レシーブから積極的に攻めフォアドライブに結びつけ激しくゆさぶる戦法しかないと判断。その結果、主に次のような戦法で臨むことにした。
 ①攻めてきたときこちらに少しでも攻める余裕がある場合、思い切ってストレート攻撃をする。または逆モーション的プレイでクロスをつく
 ②台上のサービス、レシーブに変化をつけて攻めてくる相手のネットプレイに対して、こちらも負けずに積極的に攻め相手の得意のドライブ攻撃を封じる。そして徹底してバックを攻める
...など、団体戦とほぼ同じような戦法をとることにした。また他のことも考えなければならず、これだけ考えるのが精一杯だった。

 ストレート攻撃を見破られ逆に攻められる

 試合開始。私はいつものように相手の出方(戦法)を見るために、7分から8分程度の力で無理せずドライブやバックハンド、ショートなどでコースをつきながら伊藤選手の様子をみた。このとき、伊藤選手の戦法に私はオヤッと思った。いつも伊藤選手は、スタートからフォアドライブで回り込んでガンガン飛ばしてくるのに攻めてこない。スマッシュが決まるかどうかという境目のボールは、私の動きをよく見て攻撃されないコースに低い伸びのあるドライブで返してくる。バックハンドを使うときも、無理せずからだによく引きつけて全身を使って回転をかけ深いコースをついてくる。私がロビングをすると、こちらの動向を見て無理せず、8分か9分程度の力でこちらがミスをするまで何発でも打ち込んでくる。そうかと思えばときどき思い切った3球目攻撃やレシーブから4球目攻撃をしてくる。という主にラリーに持ち込むオーソドックスなプレイである。
 私はこの戦法にとまどった。ドライブやスマッシュや鋭く払うレシーブなどに照準を置いていたから、コースをついてくるドライブに呼吸やタイミングがあわず、ドライブミスやスマッシュミスが多く出てスタートから離され14本で負けた。中でも一番まいったのは、ストレートについてよく逆をついていたのが、それが逆に攻められて不利になってしまうことである。そのあと、私は伊藤選手の集中力が落ちた2ゲーム目、4ゲーム目を奪って2度タイに持ち込んだものの、大事な奇数ゲーム(3、5ゲーム)で1ゲーム目と同じように、絶対にこのコースに来るというボール以外は、私の動きをよく見て逆に威力のあるボールで攻められる、私が攻めたときは守備主体に置いたスキのない構えから、意識して伸ばすドライブに、大事なところで私のスマッシュミスや逆に盛り返される。スキのない試合運びから神経も体力も疲れ5ゲーム目は足がもつれ一方的な内容で敗れ優勝チャンスを逃した。
 それまでの伊藤選手との試合では、大学2年の東日本学生選手権のときに、「ドライブ対ドライブなら誰にも負けない」というプライドがあったことから、意地になってドライブの引き合いをやって負けたことがあるが、それ以後、全面をできるだけフォアハンドで動いて攻めようとする弱点であるストレート攻撃を多くして連勝していた。とくにたえずフォアハンドで回り込もうとするからだろう。私の得意のコースであったこともあるが、バックストレートのコースが非常に効果的で、1試合において大体6本から8本ぐらいノータッチを取っていた。また、スマッシュにスピードがあったこともあるがロビングに対して、強引に打って出ることが多く1試合において7本か8本前後のスマッシュミスがあった。
 だが、このとき対戦したときはほとんどこのようなことがなく、あったとしても両方とも1ゲームに1本あったかなかったかであった。ストレート攻撃したときは、逆にストレートに打たれて攻めるパターンが完全に狂ってしまったほどだった。このことからも、伊藤選手がいかに相手の動きをよく見てプレイしたかが分かる。
 伊藤選手は、翌年のミュンヘン大会でもヨーロッパスタイルの前陣攻撃型のコルパ(ユーゴ)、若手の強豪ゴモスコフ(ソ連)、決勝ではクールな勝負師といわれたカットのシェラー(西ドイツ)にゲームカウント0-2から劇的な逆転勝ちをして見事に初出場で初優勝の栄冠を勝ち得た。このときもゴモスコフとシェラー戦で相手の動きをよく見て戦った伊藤選手のプレイはいまだに忘れられず強く印象に残っている。反対に私は、前回優勝した焦りから無理なトレーニングをして足を痛めるアクシデントを起こし満足な練習ができなかったこともあるが、ベスト8決定で若いステパンチチ(ユーゴ)にドライブを前陣でうまく止められベスト8決定で敗れた。
 
 攻守とも凡ミスが少なくなる

 私は、その後練習とトレーニングによって相手の動きをよく見るようにしたが、相手の動きをしっかり見てプレイしたときは主に次のような効果があった。
 ①相手の打ったボールの性質(方向、スピード、回転)を正確に知ることができ、振り遅れたり、つまったりすることが少なくなり攻守とも凡ミスが少なくなる
 ②逆をつかれることが少なくなる。反対に相手の動きがよく分かり逆をつくことが多くなる
 ③無駄な動きが少なくなる
 ④攻守の判断が正確になり、しかも早くなる
 ⑤レシーブ攻撃、3球目攻撃がやりやすくなる
...といったような良いプレイができた。また、上達が早かった。相手の動きを見ていないときは、まったく反対のことが多かった。伸び悩んだときでもあった。

 体力作りと常に相手の動きを見る練習から復帰

 ではどのようにして立ち直ったか。
 ミュンヘン大会後、私は社会人になったがまず全日本の奪還から目指すことにした。それにはまず何よりも"体力トレーニングやらずして奪還は絶対にあり得ない"という考えから体力トレーニングを重点項目に置いて開始した。朝7時から30分間ランニングしたあと、ウェート・トレーニングを15分間。夜間の練習後、練習場から会社まで10数キロを走って帰ったり、練習場の回りを10キロぐらい走り込んだ。その他に腕立て伏せ、腹筋、バーピー、つま先立ちと、鉄アレイを持って素振り、ジャンプを入れたサーキット・トレーニングを取り入れて毎日のようにやった。練習においては、常に意識して相手の動きをよく見ることに気をつけながらやった。もちろんゲーム練習のときも基本練習のときもである。そのおかげで半年後の全日本社会人、国体のときには、かなり体力、敏しょう性、集中力、それに大きく動かされてもバランスを早く立て直すことができるようになったからだろう。どんな態勢になっても相手の動きが落ち着いて見られるようになった。そして攻守に渡って自信がつき9月、10月にあった全日本社会人で優勝し、国体も全勝した。
 そして、12月の全日本選手権大会を迎えた。このとき私は今でも忘れないが選手生命を賭けていた。もし負けるようであれば、今後ずっと優勝できないだろうと思い、死物狂いであった。
 試合は、ベスト8決定まで順調に勝ち進み、準々決勝で今野(早大―旺文社)選手を迎えた。私はこの頃早大で練習をさせてもらっていて、今野選手と何度も試合をしてもらったことがあるが、負けることが多く分が悪かった。優勝するに大きな第一関門であった。また、練習でやっているだけに手の内を知られていてやりにくかった。
 試合は、スタートから長い打ち合いとなった。が、私は大事なところで相手の動き、ラケットの動きをよく見て、変化サービスからバック側に返してくるレシーブを思い切ったドライブ攻撃をしてポイントを上げることに成功。また、押されたときも相手の動きに注目して、高いロビングから相手のスマッシュを逆にバックハンドスマッシュで盛り返し、難敵の今野選手を破り準決勝では河野選手もストレートで破り、優勝ペースで決勝に進出。決勝戦では世界チャンピオンになった伊藤選手を3対1で破り3度目の優勝をすることができた。

 次の戦法を考えながら相手の動きを見る

 だが、注意しなければならないことは、相手の動きを見ることだけにとらわれると構えや次の動作が緩慢になってしまい危険である。
 私は常に、ここに来たらこう返す、このようなボールはこう返すという戦法を持って臨んだのが良かった。このことは良い攻守をするに大事なことで絶対に忘れてはいけないことだと私は思う。
 それと、どんなボールを打たれてもすぐに打ち返せる姿勢で構えることが大事。そうすれば攻撃チャンスのときは、すかさず攻撃できるし、守った方がいい場合はがっちり守ることができ、一流選手のようにソツがないプレイができる。このことは、良い攻守をするに絶対に欠かしてはならないことである。試合のときに重要な動きがよくなり、球威が増すし、コントロールがよくなるし、凡ミスが少なくなるからである。
 体力トレーニングを積みながら、練習では常に意識して相手の動きをよく見るようにして、落ち着いて相手の動きをしっかり見る選手になって欲しい。



筆者紹介 長谷川信彦
hase.jpg1947年3月5日-2005年11月7日
1965年に史上最年少の18歳9カ月で全日本選手権大会男子シングルス優勝。1967年世界選手権ストックホルム大会では初出場で3冠(男子団体・男子 シングルス・混合ダブルス)に輝いた。男子団体に3回連続優勝。伊藤繁雄、河野満とともに1960〜70年代の日本の黄金時代を支えた。
運動能力が決して優れていたわけではなかった長谷川は、そのコンプレックスをバネに想像を絶する猛練習を行って世界一になった「努力の天才」である。
人差し指がバック面の中央付近にくる「1本差し」と呼ばれる独特のグリップから放つ"ジェットドライブ"や、ロビングからのカウンターバックハンドスマッシュなど、絵に描いたようなスーパープレーで観衆を魅了した。

本稿は卓球レポート1977年4月号に掲載されたものです。

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