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「作戦あれこれ」第75回 朝食の大切さ

 私は、毎年2月に山口県柳井市で行なわれている西日本選手権大会に、今年も出場した。年に一度だけの大会出場である。
 今年は、ダニー・シ―ミラー(アメリカ)、ステパンチチ(ユーゴ、'79年世界複1位)の外、女子の安海淑、黄男淑(韓国、'81年世界複3位)という世界的な強豪選手が出場。日本からも実業団で活躍している日産自動車、和歌山相銀や、女子の第一勧銀、和歌山興紀相銀などの主力選手、そしてジュニアNo.2の田村選手(徳島市立)、星野選手(前橋東)、インターハイ3位の地元の岡本選手(岩陽高)等が出場して大会史上最高の盛り上がりとなった。
 私は2連勝を目指したが、コンディション作りの失敗からシ―ミラー選手に決勝で敗れた。しかし、今回もいろいろなことを大会を通して学ぶことができた。その中で一番勉強になったことについて述べてみたい。

 わずかな朝食ではダメだ

 それは、朝食の取り方とその重要性である。
 私は、大会の初日まで「全日本2位の坂本選手はじめ、多くの一流プレーヤーが出場している今大会は体力が勝敗の分岐点である」と予想し、体力トレーニングをやり込んだうえに、栄養のバランスを考えて、肉、魚、野菜をしっかり食べて体力の調整をした。睡眠も8時間半ぐらいとった。したがって過去4回出場した中で最高の仕上がりだった。
 ところが、最高に仕上がった油断から、大会2日目の朝は薄切りのトースト一枚、目玉焼き一個、少量の生野菜とコーヒーだけ(平日、会社でイスに座って仕事する時と同じぐらいの量)しか食べなかった。「すこし少ないかな」という思いが脳裡に走ったが、食堂が混んでいたこともあって「それほど空腹というわけでなし、まあいいだろう」と思い、席をたった。
 しかし会場へ向かいながら全日本社会人3位の村上選手(和歌山相銀)、'77年全日本3位の永瀬選手(日産自動車)、'75年世界大会単2位のステパンチチ、全米No.1のシ―ミラー、または全日本2位の坂本選手(日産自動車)と対戦する今日の試合予定を考え「非常に苦しい試合になる。今食べた朝食だけで決勝戦まで乗り切れるかどうか」と再び心配になった。しかし、時間がない。「昼食を早目にとることにしよう」と思い会場に向かった。

 午後になり完全にバテる

 午前中に3試合行なわれた。がコンディションは良く3試合とも危なげなくのりきった。昼食は一度に食べるのではなく、いつものように試合と試合の合い間に少しずつ食べるようにした。しかし、出された弁当は栄養価からみるとやや低く、スタミナの不安は相変わらずつきまとっていた。試合の合い間なので会場から離れるわけにはいかなかった。
 1時頃4試合目の村上選手との試合が始まった。村上選手は強かったがまだ体力はあり、よい試合ができた。
 ところが、準々決勝の永瀬選手と対戦したあたりから体に少しずつ異状が感じられだした。足も動かなくなってきた。「あれ、これはおかしいぞ」と感じたが、気力を出して接戦を押し切った。しかし、試合が終わってみるとはっきりとからだに異状が感じられた。
 「やはり朝の食事が悪かった。体力が落ちてきたぞ」と思い、試合後急いで残りの弁当にハシをつけた。が、弁当はカロリー不足のうえに、一度落ちた体力は食べてすぐ回復するはずもなく、脱力感を感じたまま準決勝に向かわなければならなかった。
 準決勝の相手は、前日のダブルス優勝の西村選手(日産自動車)を破ったステパンチチ選手だった。もう一方は、坂本選手対シ―ミラー選手の予想通りの対戦で、準決勝は両コートとも日本対外国選手の争いとなった。
 私は、第一線を引退しているとはいえ「日本の大会で外人同士の決勝戦だけはさせたくない。日本選手の恥だ」と思い、気力をふりしぼって準決勝にのぞんだ。

 脱力感におそわれる

 ところが、現役のステパンチチ選手はさすが本試合になると強く、出足から激しいラリーが続いた。その疲れが1ゲーム目の中盤にさしかかったところで出た。リードしてほっとしたとたん、急に全身がだるくなった。顔から血が引いていくような脱力感におそわれ、目まいがしてきた。そして、顔からは水のような汗がダラダラと流れ出してとまらない。体力のないときに無理すると起こる状態であった。
 私は「やっぱり来たか、しまった」と思い、少ない朝食を悔やんだがあとのまつりだった。このあとからは、プレーするのが苦痛で仕方がなかった。が、それこそ死に物狂いでがんばり、必死で動いた。1ゲーム目を逆転して先行したのがよく、本当に苦しみながら2対1で勝った。
 この試合の3ゲーム目の後半、ステパンチチ選手の強ドライブをしのいだあと、ストップを飛び込みざまバックハンドスマッシュしたとき、倒れてしまった。ステパンチチ選手に起こしてもらったのを見ていた人は、ワザと倒れた、と思ったかもしれない。が、疲れてしばらく起き上がれなかったのである。
 そして決勝進出。しかし、坂本選手を破って勢いに乗っているシ―ミラー選手との決勝では、準決勝直後パンと牛乳をかけ込んだものの、脱力感が続き後半になるほど体が思うように動かなくなり、最後は見ている人に申し訳ないくらい粘りのない試合ぶりでストレート負け。2連勝を逃してしまった。
 私は大会が終わったあと「大会当日の朝食は、ものすごく大切だ」と改めて反省し、重要性を再認識した。と同時に「現役時代のようにすればよかった」と現役時代の朝食の取り方を思い出しながらホテルに向かった。

 栄養のバランスを考えて食べた現役時代

 現役時代は、ずいぶん朝食に神経を使った。
 たとえば、国内最高の大会である全日本選手権。全日本最終日の試合数は決勝戦を含め4試合ある。試合は5ゲームスマッチ。全日本になると緊張度も試合内容も他の大会と全然違う。当然のように体力の消耗も激しい。
 このため、朝の食事はいつも体力のことを考えて、ご飯を茶わんに大盛り2杯、ミソ汁1杯、タマゴ2個、野菜をどんぶり1杯、メザシ3~4匹(頭も全部食べる)ゆで卵のカラ1/2、牛乳1本、果物等を食べた。朝食時間は、消化する時間を考え第一試合が始まる2時間前である。メザシ、ゆで卵のカラを食べたのはカルシウム源で栄養価が高い上に卵のカラは胃の中に入って30秒ぐらいで溶け精神安定作用がある、と聞いたからである。「カルシウムを十分とった」と思うだけでも精神が安定した。大事な試合のときは、細かくくだきオブラードにつつんで飲んだ。
 野菜をたくさん食べたのは、ビタミン類がたくさん含まれスタミナ源になるうえ、体の機能を十分発揮させ集中力を高める働きがあるし、食事のバランスをよくして健康にも良いと聞いたからである。もちろん腹八分ですました。食べすぎると消化しないうちに試合することになったり、かえって調子をこわすからである。
 私はこうして試合に臨むと「絶対にバテないぞ」「よく動けるぞ」「冷静にできるぞ」「集中できるぞ」「粘り強いプレーができるぞ」と思うことができ、対戦相手より精神的に優位にたってプレーすることができた。
 全日本選手権で10年連続ベスト4入りすることができ、そのうち6度の優勝ができたのも、栄養のバランスとカロリーを考えた朝の食事が大きく寄与していると思う。

 "朝食は金"、"昼食は銀"、"夕食は銅"

 しかし、私の同僚、後輩の選手に、試合の当日緊張感から朝食をわずかしか食べられない選手がいたが、そのような選手は必ずといってよいほど午後の試合になるとバテて、練習とはうってかわった体力、気力、集中力のない試合ぶりで次々と負けていった。今、考えると私の西日本選手権の時と同じ状態だったのだろう。それと食べ物に好き嫌いのある選手もスタミナ不足で負けることが多かった。
 私は、西日本選手権の会場からホテルに帰る途中、誰かから聞いた「"朝食は金"、"昼食は銀"、"夕食は銅"」という言葉を思い出した。試合を振り返ってつくづくその通りだと思った。
 「来年のこの大会では同じ失敗をくり返さないぞ!ふだんの日の朝食も改善しよう」と夜空に近いながら帰路についた。



筆者紹介 長谷川信彦
hase.jpg1947年3月5日-2005年11月7日
1965年に史上最年少の18歳9カ月で全日本選手権大会男子シングルス優勝。1967年世界選手権ストックホルム大会では初出場で3冠(男子団体・男子 シングルス・混合ダブルス)に輝いた。男子団体に3回連続優勝。伊藤繁雄、河野満とともに1960〜70年代の日本の黄金時代を支えた。
運動能力が決して優れていたわけではなかった長谷川は、そのコンプレックスをバネに想像を絶する猛練習を行って世界一になった「努力の天才」である。
人差し指がバック面の中央付近にくる「1本差し」と呼ばれる独特のグリップから放つ"ジェットドライブ"や、ロビングからのカウンターバックハンドスマッシュなど、絵に描いたようなスーパープレーで観衆を魅了した。
本稿は卓球レポート1982年5月号に掲載されたものです。

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