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「作戦あれこれ」第88回 攻撃対攻撃で勝つコツ② レシーブの基本は決心したら実行

 攻撃対攻撃の試合は、自分が打つ1球目、2球目の攻撃が非常に大切だ。つまりレシーブに回ったときは、レシーブと次の4球目攻撃の順で大切になる。私はこのレシーブから4球目攻撃を、サービスから3球目攻撃よりもむしろ試合では重視していた。というのは、試合でレシーブからの4球目攻撃が悪いとサービスから3球目攻撃のリズムまで狂って勢いに乗れなかったり「レシーブのときに得点できない」と思うと「サービスのときに絶対得点しなくては」と焦りから固くなって、ふだん必ず入るボールまでも力んで凡ミスしてしまうからだった。
 このレシーブについては、今年の5月号の作戦あれこれ「敗戦に学ぶ」で少し述べたが、ほかにも大切なことがたくさんある。中でも特に大事と思われることを述べてみよう。

 ミスを恐れて作戦変更するな!

レシーブから4球目攻撃のときに大切なことはいろいろあるが、まず大切なのは「あのサービスを出してきたときはこう返す。このサービスを出してきたときはこう返す」と決めたら迷わず実行に移すことだ。
 悪い例を上げると、よくわかりにくい異質ラバー攻撃型と対戦したとき、レシーブの構えに入ってスタートを切るときは「小さいサービスは強気で払っていくぞ」と決めてボールのところまで動くが、打つ段階になって急にミスが出るのが怖くなったり、弱気になって一番いけないと思っていた変化のないツッツキレシーブに切りかえる選手だ。このように打つ直前に弱気になって作戦を変え、相手のコートに入れるだけのレシーブをする選手が一番いけない。
 なぜならば、急に入れるだけのツッツキや軽打に切りかえると、レシーブが大変甘くなる。また作戦を急に変えるためドライブ攻撃やスマッシュ攻撃をブロックする心の準備、体勢の準備ができていないので、ほとんど返せないからだ。もちろん、虚をつかれてまったく払えないサービスを出されたり、体勢が悪すぎるときは作戦を変更せざるを得ないが、そうでない限りたとえば強く払う、逆モーションで打つ、小さくストップする、鋭く切る、ナックル性にして払う...等々、小さいサービスがきたらこうする、と決めたら多少変化があってもミスを恐れず実行することだ。

 七色の魔球サービスのレシーブ作戦

 しかし、試合でこれらを敢然と行ない成功させるためには、普段の練習で基本動作をチェックしながらレシーブ練習を十分やること、そして試合の前に十二分に準備することが必要だ。
 私の例をあげてみよう。
 それは1974年の第2回アジア選手権。準決勝で李振恃(中国)を破り、次の男子シングルス決勝戦で当時の世界チャンピオン郗恩庭(中国)と対戦する時だった。
 私は、日本がこの大会の団体戦で中国に敗れて2位に終わっていたので何としてもシングルスは日本にタイトルをもたらしたかった。しかし、それには七色の魔球といわれた郗恩庭の変化サービスを攻略しなければ勝ち目がなかった。
 この大会の準決勝で'77年に世界チャンピオンになったレシーブのうまい河野選手が郗恩庭と対戦したが、激しく変化するフォア前の下切れサービスの変化をさすがの河野選手も見分けられず、ツッツキになるところを強烈なる3球目ドライブで狙い打たれてストレートで敗れた。郗恩庭のフォアハンド変化サービスは鋭く切れたサービスと全く切れていないサービスが非常に見分けずらく、郗恩庭に分のよかった私にしてもその変化サービスには非常に苦しめられた。決勝戦の勝敗は郗恩庭のサービスに対するレシーブにかかっているといっても過言ではなかった。

 試合前、基本動作を頭にたたきこむ

 準決勝が終わってから決勝までに3時間ほど時間があった。その間にわたしは勝つために変化サービス対策を考えた。
 私はストップレシーブが苦手だったので、郗選手の3球目パワードライブを封じるためには、思い切って払っていくか、ナックルレシーブでいくしか勝つ策が見当たらなかった。そこで巧妙なサービスに対して強く払っていく作戦を決心し、同時に払うレシーブをするときに大事な心構えと基本動作を頭の中で反復するイメージトレーニングをした。
①レシーブの構えは、台上のボールが払いやすいように前傾姿勢をとり、肘は軽くしめて小さく構える
②相手がサービスを出すときの手首の動き、インパクトのボールの動きを集中して見る
③ラケットからボールが離れたあとのボールの飛び方、回転も集中して見る
④ボールから目を離さないでバウンドの頂点のところへ素早く動き、ボールをしっかり見て打つ
⑤動くときは基本姿勢を保って素早く動く
⑥打つときはしっかり踏み込んで打つ
⑦打ったあとは素早くもどる。そして、次球も素早く動いて攻守
―また構えとしては
⑧打つときは、絶対にミスをしない構えをつくってから払う
⑨強い意志を持ち、自信をもって打つ
⑩ミスを恐れず、強気で思い切って打つ
...など、払うレシーブをする時に大事なポイントと心構えを頭の中で繰り返した。また、試合前、頭の中で反復練習したことをシャドープレーでもやった。
 私は、こうして必死にレシーブに取り組んでいるうちに、だんだん郗恩庭のサービスの変化が見えてくるように思えた。また「必ず払う、もしこれだけやってこの試合で払えなければ自分はダメな人間だ」と強い信念となるまでに気持ちも高まった。

 周到な準備が魔球サービスを破る

 こうして決勝に臨んだ。向かっていく気持ちで郗恩庭のサービスに対したため、回転もよくわかり、踏み込みがうまくいって立ち上がりから払うレシーブが成功した。ミスが出た時も、試合中に悪い点をチェックしてすぐ直すようにした。
 こうした一連のレシーブ対策が功を奏し、郗恩庭をストレートで破ることができた。試合前の周到な準備のおかげで、魔球サービスといわれた下切れと、ナックル気味のサービスとの見分けができ、また、基本に忠実にプレーしたことが打つときに自信を深め、払うレシーブとナックル気味のレシーブで左右にゆさぶり、パワードライブを封じることに成功した。このレシーブのおかげで私の得意のラリー戦に持ち込むことに成功し予想以上の試合内容で勝つことができた。
 しかし、これは繰り返していうが、作戦をたてたあとに、作戦を成功させる周到な準備をしたからだ。もし、作戦をたてただけであとは何もしなかったとしたら、おそらくレシーブをするときに本当の自信が生まれず、ツッツキレシーブになって負けていただろう。レシーブから4球目攻撃を成功させるには、作戦と作戦を成功させる準備をしっかりやることが秘けつだ。



筆者紹介 長谷川信彦
hase.jpg1947年3月5日-2005年11月7日
1965年に史上最年少の18歳9カ月で全日本選手権大会男子シングルス優勝。1967年世界選手権ストックホルム大会では初出場で3冠(男子団体・男子 シングルス・混合ダブルス)に輝いた。男子団体に3回連続優勝。伊藤繁雄、河野満とともに1960~70年代の日本の黄金時代を支えた。
運動能力が決して優れていたわけではなかった長谷川は、そのコンプレックスをバネに想像を絶する猛練習を行って世界一になった「努力の天才」である。
人差し指がバック面の中央付近にくる「1本差し」と呼ばれる独特のグリップから放つ"ジェットドライブ"や、ロビングからのカウンターバックハンドスマッシュなど、絵に描いたようなスーパープレーで観衆を魅了した。
本稿は卓球レポート1983年8月号に掲載されたものです。
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