1. 卓球レポート Top
  2. その他
  3. 卓球レポートアーカイブ
  4. 「作戦あれこれ」長谷川信彦
  5. 「作戦あれこれ」第171回 どんなボールでも怖がらず、ボールを引きつけて打つ

「作戦あれこれ」第171回 どんなボールでも怖がらず、ボールを引きつけて打つ

 守りの重要性は変わっていない

 今年の仙台インターハイは、好選手が多かった。技術的にもサービスやバック系技術が以前の高校生よりも上達しており、レベルアップした大会を見られたことはうれしかった。
 しかし、最近の高校生、大学生の試合を見て感じるのは、守りが弱いため、守りから攻撃に転じるラリー戦の強さを持つ選手が極端に少ないこと。サービスや両ハンドで先手を取ることはうまいが、相手に攻められるとすぐ失点してしまうプレーが多い。
 これはカット系の選手が少なくなったことにも一因があるが、ドライブマンでも、前陣でのしのぎはもちろん、中~後陣のドライブ、ロビングで自信をもって何本もしのぐ選手がほとんどいなくなっている。かつては、大学のトップ、全日本のランカーたちが戦う試合では、前陣型、ドライブ型を問わず、お互いがショートやロビングで必死にしのぎあい、攻守ところをかえるラリーで観客をわかせていた試合を見てきただけに、若干の物足りなさを感じる。
 たしかに最近は用具が発達しストップからのパワードライブや、前陣カウンタードライブをしのぐことは容易ではないが、アペルグレン(スウェーデン)やグルッバ(ポーランド)らヨーロッパ勢の打たれ強さを見ると、用具が発達した現代卓球でも相手の攻撃を何本もしのぐことはできるし、守りの重要性はなんら変わっていない。
 インターハイで優勝した今枝(愛工大名電)の勝因のひとつに前~中陣での守りの強さがある。そのため、レシーブの時もあわてず、コースをついて入れておき、相手のドライブを一本しのいでおいて、次をスマッシュしていくようなプレーを見せていた。今枝に限らず、今後活躍する選手は、先手を取って、威力あるボールが打て、しかも守りがしっかりしていることが大切な要因である。

 しのいで勝った決勝の郗恩庭戦

 筆者が現役時代に作戦ノートに書きためた「長谷川語録」の中に「どんなボールでも怖がらず、ボールを引きつけて打つ」という一項がある。
 シェークドライブ型であった筆者は、中後陣でのドライブとロビングを得意としていた。この一項は『相手がどんなにすごいスマッシュや猛烈な回転のドライブで攻めてきても絶対に返せる。(中後陣にいる時は)あわてずにボールが自分の最も打ちやすいところにくるまで、動いて待ち、そこからしっかり回転をかけたドライブでしのぐ。攻め返す』といった意味である。もちろんこれは中後陣でのゆっくりしたプレーをいっているのではなく、前陣での素早い動きの中でも同じで『怖がってあわてて手を出すのでなく、自信をもって速い動きの中でひきつけてショートで返す』のである。
 筆者がこの一項で、最も印象に残っている試合のひとつに、1974年に横浜で行なわれた第2回アジア選手権男子単決勝の郗恩庭(中国。'73年世界チャンピオン)戦がある。
 団体戦で優勝した中国のエースの郗は絶好調。男子単準決勝でも表ソフト速攻の河野満選手('77年世界チャンピオン)に対し、「七色の魔球」と呼ばれた得意の変化サービスで河野選手に先手を許さず、そこからパワードライブを決めて3-0で決勝にあがってきた。
 対する筆者はドライブに威力と安定性がなく、団体戦でも点を落とすなど、中国勢を破ってシングルス決勝まで勝ち上がってきたとはいうものの、本調子ではなかった。
 そこで筆者は決勝の前に作戦ノートを読み返し『郗恩庭のサービスの変化が分かりづらく、3球目のパワードライブは世界一だが、怖がってはいけない。レシーブを軽くでも払っていけば郗のドライブの威力はやや落ちる。ナックル性と軽打で払ってレシーブしよう。絶対にしのげるはずだ。3球目ドライブさえしのいで中陣でのラリーに持ち込めば、郗はスマッシュが少なく連続ドライブになるから両ハンドで何本でもしのげる。郗が打ち疲れる、もしくはフットワークが間に合わなくなってバックプッシュになれば、そのボールを狙い打ちしていこう。調子が今一歩の今、先手を取っての攻め合いだけだと率が悪い、集中して凡ミスを少なくし、チャンスだけ確実にものにしていけば最後の競り合いでは必ずこちらにチャンスが回ってくるはずだ』という作戦で郗に臨むことにした。『どんなボールでも怖がらず、ボールを引きつけて打つ』の項を何度も確認したことはいうまでもない。
 決勝戦は郗のサービスで始まった。序盤は郗の七色のサービスに苦しんだが、徐々に郗のサービスとパワードライブに慣れ、作戦どおり中後陣で郗のドライブをしのいでは、反撃に移った。この試合で筆者が先手を取って得点したのはおそらく3割ほどで、7割は郗のパワードライブをしのいでからの反撃による得点、もしくは郗の攻撃ミスによる得点だった。試合の後半になると郗のパワードライブの球筋が見えるようになり『どんなボールでもしのいでやるぞ。さあこい!』といった気持ちになり、時には郗のドライブを両ハンドスマッシュで狙い打ちするほどの調子を上げての会心の試合内容で3-0の勝利。アジア選手権二連勝、四度目の最多優勝記録を達成することができた。

 守りがあるとプレーに幅がでる

 卓球はゲーム性が要求されるスポーツである。
 ひとりで、何秒で走れたか、何メートル飛ばせたか、と記録に挑戦していくスポーツではない。対人競技で相手があるから相手によってベストの戦い方をすることが大切である。そこに作戦の必要性が出てくる。
 すべて自分だけが攻めて、すべて自分だけで得点しようというのはわがままな卓球であり、ひとつの考え方としてはありえるが、勝つためには現実的ではない。同じレベルで、同じ考え方をする選手同士が対戦した時にどうするのか。攻めが有利であっても、有利な形で攻めるためにはどうするのか。攻めと守りのバランスを考えた、もっと緻密な作戦とゲーム性が必要である。
 実戦を考えてみても、守りを頭に入れて作戦を立てるのとそうでないのとでは、かなりプレーの安定性や攻撃パターンの数が変わってくる。
 たとえば、フォアへスピードロングサービスを出す時、先手を取ることだけを考えている選手は『相手の逆をついてノータッチで抜いてやろう。やっと返してきたらバックへスマッシュだ』と考える。攻めようとだけ考えているため、相手にちょっといいレシーブをされるとたちまち凡ミスしてしまう。
 ところが、守りのしっかりした選手は、もう少し作戦の立て方が幅広い。『フォアへ逆モーションでスピードロングサービスを出そう。これは相手にフォアサイドを警戒させて、次から相手に思いきった回り込みレシーブをさせないためだから、もし狙われても構わない。狙ってくるとすれば相手はフォアストレートの強ドライブが得意だから相手が狙い打ちしてきたらそのボールを待って、クロスへ大きくゆさぶろう。もしうまく逆をつければ、その時はしっかり動いて高ければスマッシュ、低ければ強ドライブでバック攻めしよう』と考える。
 またレシーブの時も、自分で攻めていくプレーしか考えていない選手は『スマッシュか強ドライブ、強く払って攻めていかないと先手が取りづらい。ショートサービスはとにかく払って相手にショートさせ、それを4球目スマッシュ、強ドライブで狙っていこう』とワンパターンの作戦を立てる。そのため、相手のサービスがいいと、レシーブミスがでる。軽打を狙われる。打てなくて急にストップしようとしても大きくなり、攻められるとしのげない...といったパターンになりやすい。
 守りをある程度考えている選手は『先手を取れるなら取るにこしたことはない。甘いサービスは積極的に狙っていこう。しかしここは相手が払わせてそれを両ハンドで狙う作戦できそうだから、切ったツッツキかナックル性の払いで変化をつけてレシーブし、相手の3球目攻撃を封じよう。もし相手がミスを恐れてつないでくればドライブ攻撃。しかし相手が思いきって回り込んで攻めてきそうだから、その時は相手の攻撃をフォアにしのいで位置をとり、相手の得意のフォアストレート攻撃をクロスにつなぐ。相手がバックハンドスマッシュで連打してくれば中後陣から低い両ハンドドライブで粘ってスマッシュミスを誘う。もし、バックショートでつないでくればドライブで反撃に移ろう』といった作戦になる。

 攻めさせておき一気に攻める

 このように、サービスからの展開にしろ、レシーブからの展開にしろ、守りを含めた作戦を考えられるようになると、作戦に幅が出てくる。相手にドライブさせ、コースをついてチャンスをつくる。相手に攻めさせながら左右にゆさぶり、体勢を崩しておいて一気に攻める。このようにして、相手に攻めることを考えさせておくと、相手の守りがおろそかになり、こちらの攻撃が決まりやすい。
 また、自分の守りに自信がつくと、いつでも守れるという安心感から、攻撃の時に無理なボールはつなぎ、チャンスボールだけを狙って正確に攻めることができるようになる。特に、レシーブの時に、思いきって踏み込んでレシーブしたり、ドライブの時に思いきって回り込んで攻めることができるようになるには、次を攻められたりしのがれても自分は守れる、大丈夫、という自信があってこそできるプレーである。
 さあ、どんなに威力のあるボールでも怖がらず、守りを強化してプレーに幅のある選手になろう。



筆者紹介 長谷川信彦
hase.jpg1947年3月5日-2005年11月7日
1965年に史上最年少の18歳9カ月で全日本選手権大会男子シングルス優勝。1967年世界選手権ストックホルム大会では初出場で3冠(男子団体・男子 シングルス・混合ダブルス)に輝いた。男子団体に3回連続優勝。伊藤繁雄、河野満とともに1960〜70年代の日本の黄金時代を支えた。
運動能力が決して優れていたわけではなかった長谷川は、そのコンプレックスをバネに想像を絶する猛練習を行って世界一になった「努力の天才」である。
人差し指がバック面の中央付近にくる「1本差し」と呼ばれる独特のグリップから放つ"ジェットドライブ"や、ロビングからのカウンターバックハンドスマッシュなど、絵に描いたようなスーパープレーで観衆を魅了した。
本稿は卓球レポート1990年10月号に掲載されたものです。

Recommendおすすめ記事

■その他の新着記事

■その他のカテゴリ一覧

Rankingランキング

■その他の人気記事

Page Top