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わたしの練習54増山トク 変化に富んだカットを

 初めてラケットを握ったのは中学1年のときでした。そのころの卓球部は県下で連続優勝をなしとげて校内の人気をあつめ、入学当時でなにも知らない私の心のあこがれでもありました。そういうとき、家の人から“なにか運動したら”と言われて卓球部に籍を置いたわけです。
 中学は家から10分ぐらいのところにある益子中学で、関平先生(現在城山中)が熱心に指導されていました。練習にも恵まれ台は5台あって、1、2、3年と学年別に練習していました。2年になると練習場は普通教室となり、机を寄せてやらなければならなくなり、関先生は城山中に転勤されて、卓球らしい卓球をしないまま終わってしまいました。がしかし、3年になると部員みんなが力を合わせて練習し、県下中学選手権に優勝することができました。

 ◇拾って拾って拾いまくる

 高校は真岡女子高に入学し、練習の厳しさと練習量の多いことに驚き、365日の厳しい練習のなかで自分が続けていけるかどうか不安で、卓球をやめようかと何度も考えました。1年のときの練習は、上級生にワンサイドを打ってもらいカットを続ける練習とツッツキの練習が中心でした。また、練習時間は朝7時から8時までと放課後3時半から6時まで、日曜祭日は8時半から4時か5時ごろまででした。午前中は実戦練習で、最初は10本ハンデでやっていただき、ハンデなしで試合ができるようになったのは1年の終わりごろでした。午後はほとんど基礎練習で、フットワーク、ツッツキ、サービス、レシーブなどを練習しました。
 2年になると学校にも慣れ後輩もでき、心にゆとりができて自分の練習に身が入るようになり、勝ちたいという意識がわいてきたように思います。インターハイの県予選を通らなかったのですが、先輩の病気でかわりに出場させていただき、準決勝に進出して浜選手(東京・跡見学園)に2-1で敗れ3位に入賞しました。この大会で記憶に残っているのは、5回戦の田村選手(京都・精華女高)戦です。なかば負けた試合でしたが、大島先生に「おまえは代用品なのだ」と言われてばん回して勝ったのを覚えております。その試合から、冷静な気持ちを持つことが大切であることを知りました。
 3年になると練習相手が乏しくなり、大島先生がいろいろと内容を工夫され、私中心の練習になりました。今までは上級生に打たれて打たれて、それを拾っていたのですが、今度は反撃を少し覚えストップボールだけでも打てるようにと練習しました。2年のときの成績が幸いして、日中対抗に出場させていただきましたが、そのときは初めて外国選手に接するという不安な気持ちと、第一戦で活躍したいという気持ちがいっしょになり複雑な心境でした。その後インターハイまで、あまり良い成績を得られず精神的に苦しい状態に陥りました。インターハイでは仲選手(現在京都女大)に私の一番不得意とする前後のゆさぶり攻撃にあい2-1で敗れ、6位にとどまりました。
 インターハイが終わってからは前後のフットワークに力を入れました。ツッツキにおいては、カットマンである以上ツッツキの凡ミスをなくし何本でも続けられるように練習しました。そして、打たれても打たれても返球できるように練習しました。この方法は相手にスマッシュさせ、台から離れていて飛びついてとるというやりかたです。

 ◇反撃を主体に

 高校のとき家政科を専攻していた関係で、大学は家政科のある和洋女子大学に入学しました。運動部は庭球部と卓球部しかありませんでした。はじめ短期部に籍をおいていたのですが、あと2年間学生生活をしながら卓球をつづけようと学部に編入しました。大学に入ってからの練習量は高校のときにくらべて非常に少なく、朝1時間と夜6時半からの2時間の練習量です。学校の講義と裁目が朝9時から4時半までビッシリつまっていて、卓球をしているからといってあまく見てはくれません。
 放課後は中学と高校の卓球部が使用するため、大学の卓球部は寮生活をしているということで夜間練習となっているのです。日曜祭日も中学・高校と午前、午後に分けて練習しています。内容は基本練習が主で、サービス、レシーブ、フットワーク、ツッツキ打ちなどで2時間の練習は終わってしまいます。朝の1時間はランニングしたり、柔軟体操、腹筋などしました(現在は行っておりません)。高校のときのように注意してもらえず、練習も自分で考えてやらなければなりません。
 「大学生になったら打つことができなければだめだ」とコーチのかたに何度も言われ、自分でも試合のあるたびに痛切に感じさせられました。前後のフットワークで反撃の練習をし、できるだけ打つことを練習しました。1年の夏には大学の新人を中心とした中国遠征に参加させていただき、高校3年のとき対戦した李力にループとストップで前後にゆさぶられて敗れ、変化のあるカットと反撃の必要性を感じました。
 中国のカットマンは(ロングマンも同様)手首を大いに活用して変化のあるカットをします。それに比べて日本のカットマンはフォームが大きいせいか手首を使うことがあまりなされていないように思います。

 ◇ツッツキ打ちを中心に

 ストップボールの攻撃はツッツキから打つことが一番早く覚えられるのではないかと思い、30分間はツッツキ打ちをし、打つタイミングを私なりにつかみとろうと努力しました。カットマンに対しては特別な練習はしておりませんが、凡ミスをしないことが第一だと思います。そこで私は毎日カットマンと1時間練習することに努め、内容は主にツッツキ打ちとカットを続けて打つことを練習しています。実戦にはあまり使いませんが、続けて打つことによってカットのボールにも慣れ、カットマンに対して恐怖感というものがなくなってきます。
 それに女子の場合、ほとんど打ち合うという試合が少なく、ツッツキとツッツキ打ちが非常に大切な技術となってきます。ツッツキ打ちは基礎練習の一つとして今までも練習してきたことですが、練習方法を徐々に変えて練習しました。たとえばツッツキをしてフォア側に回してもらったり、1本軽く打って2本目をスマッシュするといった2段打法、それを試合形式にして練習したりしました。なにしろ練習時間が短いので、自分の不得意とするところを十分に練習することができません。ですから基礎練習のなかに自分のやりたい練習をとり入れて反復練習しています。
 1、2年のときは課題練習ばかりでしたが、3年になって30分間自由練習時間を組んで、よりいっそう不得意とするところの強化につとめています。試合が近づくと実戦練習を多くし、それ以外は基礎練習(特にサービスとレシーブ)に力を入れています。また、今後の練習としては今まで同様、カットを主戦とした反撃の研究をしなければならないと思っています。カットに変化をつけることによって反撃のチャンスが多くなります。また、返球したあとの姿勢の良悪も反撃に非常に影響してくると思います。これからも、いろいろなことを参考にしてがんばりたいと思っております。

ましやま とく 栃木・真岡女高出。和洋女子大学3年。
右利き、裏ソフト、シェークのカットマン。
身長154センチ、体重55キロ。


(1968年3月号掲載)

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