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「世界一への道」荻村伊智朗③基本練習を多くやった

 先月号に続き、1970年に掲載した故・荻村伊智朗氏へのインタビューを紹介する。本文中にあるように、今回は「読者の質問に答えた」特別編になっている。

 ―今回は世界卓球界のエピソードとか、名勝負の話などをうかがうつもりでした。ところが、第1回、第2回の荻村さんの話に対する反響が、ものすごくあったのです。「ショックを受けた」とか、「レポートを読んで、こんなに強い刺激を受けたことがない」とか。で、荻村さんが選手時代にものすごく練習をしたことがよくわかった。ものすごくトレーニングしたこともわかった。その合間に、本をよく読んだこともわかった。だが、1日1日の生活の中で、それらをどのように調和させていたのだろうか?こういう質問がとどいております。たとえば猛練習の日はトレーニングは軽くやったのか。読書はいつどんなときにやったのか。睡眠時間はどの程度だったのか。そういった練習・トレーニング・読書等を含む全生活を、高校時代・都立大時代・日大で最も充実した選手生活を送った時代...というように、分けて発表してほしい、という希望です。
 もう一つは、"自主性"という問題です。卓球は1人でやるスポーツだ(ダブルスは別)。だから最終的には、選手はコーチや他人を頼ってはいけない。自主性が非常に大切だと思う。荻村さんは、強対のヘッドコーチ時代に、選手にレポートを提出させたり、あるときはつっぱなすようにしたり、いろいろな方法で選手に"自主性"を植えつけさせるように心がけていたと思います。「あのむずかしくて長いレポートを書くことによって、自分の卓球を見つめるようになり、自分の卓球に目ざめた。それから自主的に考えたり行動したりするようになった」とある選手は語っています。とかく、コーチが言いすぎて選手の自主性を殺している場合もありますし、逆に選手の好きなようにほっぽり投げて(放任して)いる場合もある。コーチがうまく選手をリードし、しかも選手に"自主性"を植えつけていく、というのは、大切なことであるが、むずかしいように思います。そのへんの経験談を聞きたい、という声があるわけです。
 で、今回は予定を変更して、以上の2点についてお聞きしたいのですが...。

 ●練習・トレーニング・読書を1日の中でどう調和させたか?

 高校3年になってから、よく走った。だいたい、放課後30分ぐらい。水田の畔(あぜ)をよく走った。北欧は長距離王国で、特にフィンランド。陸上競技の記事で、北欧では特殊のトレーニングをやっている、と出ていた。落葉の敷きつめられたような足がズブッと入るような森林地帯などを走っている。それが、足腰のバネに非常によい、と本に出ていた。それで、やわらかい水田の畔をよく走るようにした。長距離を走るわりに疲れない。体のリズムやバネがよくなる感じがした。多いときは、1時間半ぐらい走った日もあるが、だいたいは30分平均に毎日走った。





 実技の練習は、ランニングのあと、1.5~2.0時間ぐらい、ほとんどがロングサービスとフォアハンドロングのラリーだった。この部分の技術練習は、もっといい練習ができたはずだと思う。

 試験中も休まず練習 ランニングは水田の畔

 学校は5時までしか使えない。学校の練習が終わってから、週に4~5回卓球場へ行って、1~2時間やった。これは主としてゲーム。日曜とか休日は、7~8時間。試験中も、練習は1日も休まなかった。本を読んだり、日誌を書いたり、勉強する時間はあった。3年の1月になると、さすがに受験勉強をはじめた。







 週に5、6回走った。コースは都立大→駒沢オリンピック公園→玉川の川っぷちを自由ヶ丘の方へ走って→都立大へ帰る。1.5時間ぐらい。週に5~6回走ったが、そのうち4~5回はこのコース。あとの1~2回は駒沢まで行って帰る程度。卓球選手の場合ロードワークでは靴は底のスポンジの厚いものか、二重三重にした方がよいと思う。

 世界一速いサービスをマスターするまで

 ランニングのあと、鉄棒とか砂場を使って補助的な運動をやった。それから、カガミに向かってシャドープレーとか、壁打ち、サービス練習などをやった。都立大には練習相手がいなかったので、このように1人でやることが多かった。
 サービス練習はロングサービスが主体で、コースはストレート第1。ストレートにスマッシュと同じ速さのスイングをしてロングサービスが出せれば、クロスは長いのだからいつでもできる。ビュッと風切り音が聞こえるほど速く全力でラケットを振る素振りが第1。第2が打球。もちろん、この段階ではノーコントロール。だが、ゆるいボールでコントロールをつけようとはしなかった。ゆるいボールを打つフォームのコントロールと速いボールを打つフォームのコントロールは、転移性が低いと感じたからだ。なんでもいいから、力いっぱいに打つ。どのくらいのオーバーミスかを確認する。「これでいいのだ」と、ミスをチェックするわけ。なおも思いきって振っていると、ボールがラケットに当たってから台に弾むまでの線が直線ではなくて、すでに放物線であることを感じるようになる。この感覚ができると、全力スイングのエネルギーを回転とスピードとに比率を自由に配分して振れるようになる。これが第3の段階。
 そうすると、ミスのしかたにまとまりが出はじめる。5㎝オーバーした、3㎝オーバーした。もう少し回転をかけ、もう少し小さい入射角で、というような感じがひらめいてくる。やがて、サービスが計算どおり入りだす。これが第4段階。この間、足は完全にストレートに最も出しやすい形をとる。上体の角度もエンドラインに平行で、腕が振り回しやすい。第5段階はこれで百発百中になったところ。
 ここでネットの高さを1.5㎝あげる。またミスの連発。ここでは5発連続をねらう。それが決まるようになったときには、まず足の位置がピタッときまっているはずだ。身体の構え、振り出しのタイミング、掌(てのひら)のしめぐあい、打球のリズム、すべてアポロクラスの信頼度。このへんまでやれた者が、ボールのつぎ目をねらう心境と技術に達するわけだね。

 目をつぶって出す練習もし、自信を深めた

 その次が目をつぶって練習する段階。これをやると、それまで自信をもっていた身体の構えや動きが、いかに不確実なものだったかわかる。それだけに、この練習は自信をかためさせる。
 その次は、そのままインパクトの一瞬前にパッと腰をひねって、バッククロスに出す練習。富田、田中、坂井なんてカンのよい人にはねらわれたことがあったが、10人中9人まではショートになる。このカンのよい人たちのカンをはずすには、自分自身がサービスを出す前に、いったん無の境地に立たねばダメ。振りはじめたときは自分でも知らなくて、インパクトの瞬間に決まっていた、というのであれば、相手のカンは山カンに近い程度でしか働かせられなくなる。これが最終的な工夫だった。
 学校が終わってから、日暮里の卓球場へ5:30~6:00頃つくように行った。だいたいその時間に五百部(いおべ)、富田、山口(才二)、角田氏らが集まってきて、一緒に練習をした。角田さんがあがる(練習を終わる)のが一番早くて、8:30ぐらい。なぜかというと、あとで知ったのだが、角田さんは朝4時半に起きて仕事をしていたからである。ほかのものは夜の9時、10時までやった。それから11時ぐらいに吉祥寺へ帰って、1.0~1.5時間ぐらい練習した。日暮里では、ほとんどがゲームだった。吉祥寺ではスマッシュの練習とか、ツッツキの練習とか。ショート打ちは河田さんとかコウダさん(東京銀行)にやらしてもらった。
 都立大では体力トレーニングとシャドープレー、壁打ち、台を使ってのサービスと3球目攻撃。日暮里でゲーム(日暮里には週に3~4日通った)、あとは吉祥寺で基本練習を主体にやった。フットワーク練習(1日30分)によりきたえた。トレーニングは夜2時間ぐらいのコースをロードワーク。週に3回ぐらい。右手に石を持って走るとバランスがくずれ、とても走りにくい。石をクラブの入り口に敷きつめるまで毎日1個ずつ持って帰ろう、なんて。いろいろ条件をつけてやるとハリが出て長続きするものだ。うさぎとびが好きで、よくやった。井の頭公園のロードワークでは、木のぼりや縄(なわ)のぼりなどをやった。
 日大へ入るころは、ふつうのショートでなく、プッシュ相手のフットワークだった。内田らのショートマンに全力でプッシュしてもらって、それに対してのフットワークをやった。からだをボールに間に合わすことと、間に合ったらスマッシュすること。この2つに焦点をしぼると、練習内容はスッキリしてくると思う。
 読書は電車の中とか、夜家に帰ってからとか。メシを食いながら本を読んだりもしていたし...。時間をムダにしないように努めたことはたしかだね。本を読むのは子供のころから速く、都立大のときは図書館も相当つかった。本屋の立ち読みも得意だった。これだけ練習やトレーニングをすれば、本を読む時間がないと考える人がいるかもしれないが、そんなことはない。そういう人は、時間をムダにしている。絶対にそうだよ。電車の往復2時間は、がっちり読書に使った。つまさきで立って、片手でつり革につかまり、片手に本をもって...。睡眠時間は、8~9時間。疲れたときは、電車で居眠りをした。

 忘れないために工夫したこと

 選手生活と時間の問題には二つの部分がある。一つは時間をどう配分して使ったか、という工夫。もう一つは持ち時間の質を高める工夫。このころよく思ったのだが1日が30時間あればいい、とか。そうすれば、あれもやれて、これもやれて、と。ところがだれでも持ち時間は24時間だ。結局この24時間×質の問題になる。
 自分自身を観察した場合、あまり勤勉な方ではない。よほどせっぱつまらないと動きださない。まず1日のスタートをよくすること。朝起きたら、きょうやることを考える。寝床の中でもよい。ここのところの集中力がよいと、その日の練習はすごく能率がよい。前の晩につけた日誌を読み返すと、朝の頭の立ち上がりが早いようだったので、なるべくそうした。
 前の日に練習や試合でインプットされたエネルギーを日誌にぶちこみ、それを翌朝読み返すことでアウトプットする。こういうようにすると、目がさめてから20~30分ぐらいの時間はすごく大切だ。この時間をラジオとか新聞とか会話とかで別の対象に頭の働きをとられると、思考の方向転換がむずかしいような気がした。
 寝ている時間に卓球のことを忘れなければならないのはまことに無駄だ、と思ったが、しかたがない。しかたがないので、眠る直前まで卓球のことを考え、さめた直後に卓球のことを考えると、その間の空白は8時間だ。高校の生物の時間に、忘れるということは自然現象で、忘れないのは異常である。したがって、忘れてよい。忘れてよいが、いかにひんぱんに思い出すか、ということが大切だという内容の講義があった。これはヒントになった。
 これは絶対に忘れちゃいかん、ということを意外に簡単に忘れる。あとでしまった、と思う。卓球の試合の時間の流れの中で臨機応変に完全な手が打てるようになるまでに、人はどれくらい「しまった」と思うことだろう。それを少なくすれば上達が速い。
 忘れるのが仕方がない、とすれば、あとはどのくらい数多く思い出すか、ということだ。日誌のこともそうだし、ぼくのラケットの裏には、いつもゴチャゴチャと書きこみがしてあったが、これもそうだ。ふつうはラケットの裏はきれいにしておくか、せいぜい座右銘ぐらいのものだ。ぼくはメモの代わりにつかった。これは1本ごとに見かえすことができるし、チラッと目に入ってハッとするときも1日に1回や2回はあった。何が書いてあるかは読まなくてもわかっているのだから、一種のサインみたいなものだが、ハッとする。繰り返し頭と体にたたきこんだら消えるにまかせて、別の注意を書きこむ。
 ぼくの他にも同じようなことは誰でも考えると思うが、ラケットがうす汚れてみえて、ちょっとていさいが悪い。それでやらない。また、何だか自信がないみたいで厭(いや)な気もする。僕も変わっていると思われるだろう、とは思ったが、それどころではない、という気持ちであった。とにかくぼくは卓球をはじめたのもおそすぎるくらいにおそかったし(高校1年)、やれるだけの手を打たねば気のすまないたちだったので。

 試合で負けたりしたときの心の整理の仕方を工夫

 次に精神的なダメージを受けている時間を短くすることの工夫。失敗したり、ゲームに負けたりすると、その瞬間にイヤーな気持ちがするのは当たりまえ。どうしても、あれがまずかった、これがダメだ、というような否定的な状況分析がはじまりやすい。このときに、基本線は自分の卓球を発展させる大道上に敷かれた試合だったか?イエス。いいところはなかった?あった。あれとこれ。まずかった点はどうであればよかったか?こうすればよかった。というように肯定的な、ポジティブな整理の仕方をすると、心象風景はあまり暗くならず、ダメージから早く回復できる。肯定的な整理がすすむにつれ、首がたてにゆれだす。これはよい自己暗示だ。まずくいったときにくよくよしてダメージを受けている期間の長い人ほど、状況が良好であるときに「なぜ調子がよいのか?」と深刻に考えることをしない。このときに考えれば、いちばん頭もスムーズに回転していいんだが。
 大学時代はアルバイトはしなかった。都立大時代に3カ月ほど川口の高校へコーチに通った。その結果、時間がもったいないと思った。たしかに金は貴重だ。だが、時間の方がもっと貴重だ、と思った。昼と夜で50円の食費だから、昼35円のカレーばかり2年間たべた。
 それからみんなもやっているだろうが、下着はユニフォーム。学生服をぬげばいつでもすぐ練習ができた。







―日大時代は日本チャンピオン、世界チャンピオンとなり、選手として最も充実した時期ですので、この時期の練習内容を少しくわしく説明していただけませんか。
 学校は池袋の先の江古田。授業が終わって神田三崎町の練習場へつくのが3時半ごろ。それから夜の11時ぐらいまで練習。その間に夕食で6~7時の1時間抜けるのと、3日に1度くらい図書館で本を読む時間が週に2~3時間あった。大体、家に帰るのが12時すぎ。この時期は、比較的寝ていない。ただ、電車の中でも寝られるし、15時間ぐらいは一気に眠れるので、ときたま挽回(ばんかい)し、合計すれば8時間ぐらいかな。

 練習ゲームは勝敗にこだわらず基本練習を兼ねて

 練習は基本練習とゲームが半々か、時間的にはやや基本練習が多かった。ゲームは1日に20~30ゲームぐらい。40ゲームやる日はあまりなかった。この頃の日大のゲームはたいてい勝ち抜きで1ゲーム。応援つき。挑戦者に全員で応援する。勝ち抜くほうは精神的負荷が増す中で連勝記録をのばす。ただし感情的になるような応援はなかった。吉祥寺でも日大でも真剣さに対する理解はすばらしくあった。基本練習の内容は、フットワーク、ショート、ツッツキ打ち、カット打ちスマッシュ、対スマッシュ。スポンジで"最速最強の卓球"をめざしていたので、サービスと3球目、レシーブスマッシュ―これはたくさんやった。サービス練習はとにかく、がっちりやった。あとのラリーを全部レシーブと考えた。相手の送ってくるボールを全部サービスと思って、それに対して全部レシーブスマッシュしよう―基本的にはそういう考え方だった。あとは個人個人の相手によって、3球目5球目とか、4球目6球目とか、ラリーの中で特に手をつけねばならない動きはゲームでやる。特殊例を基本練習の中でやっても、時間の不経済になるから。
 大門大助氏に「試合まで練習と考えて思い切ったことをやる」と書かれたことがあるが、練習ゲームでは基本的には勝敗にこだわらず、『こうやらなきゃいかん』と思うことをやるように努めた。ゲーム中にミスしたりして、本当はこうやるべきだ、と思うことは、その場で素振りをして、相手に失礼にならない程度にその場でなおしていくのが一番いいんじゃないかな。相手によってはロングサービスだけで戦うということもやった。練習ゲーム自体にただ全力をつくして相手を倒すということだけでなく、それ以上の意味があったんじゃないかな。基本練習を兼ねていたと思う。都立大時代に日暮里でゲームをやったときは、そういう意味は少なかったけどね。相手が強いせいもあったし、それに卓球場はお金をはらってできるだけ大勢とやらなきゃいけないから。
―地方にいくと、ときどきこういうことを聞く。
 「部員が5~6名しかいない。毎日きまった相手とゲームをやっているので、刺激がないし、マンネリ化して困る」と。それは、考えてみれば、そのときそのときを勝つためのゲームをやっているからなんでしょうかね。さっきおっしゃったように、基本練習を兼ねたゲームをやれば、もっと毎日毎日が、たとえ同じ相手との練習でも、新鮮さがあるのでしょうが...。新しい試みができるし...。
 そう思うね。矢尾板さん(当時日大監督)は、制限つきのゲームをときどきやらせた。オールショートでやれとか、成田(ペンのカットマン)にはオールロングでやらせたり。それが成田にあとで役に立ったんじゃないかな。ぼくの場合も、日本選手権で2ゲームを先にとられてから山田清治選手にカットで勝ったことがある。周蘭蓀(中国)や瀬川栄次選手にも、カットからの逆襲で勝った。15年間に3~4回は、オールカットの練習が生きたときがあった。田中利明君も全日本学生準決勝で笠原(日大)にオールカットで速攻をかわしたことがある。
 練習でカットをやるときは、ただカットをやってもしようがないので、カットのあと2mぐらいとびこんでいって、とびこみながらたたいて抜く―という逆襲の練習をコンビネーションとしてやっていた。足が速いので、ストップには強かった。台に腹だけで反って乗って打ったりね。

 相手が下手でも効率の高い練習ができる

 オールツッツキの練習も、随分やった。ああいうのはある程度練習でやれれば、あとは集中力だと思った。相手が下手であっても、たまにすばらしいツッツキをしてくれれば、その1本を待って、それをうまく返す練習をすればよい。4~5本しかラリーがつづかない人とでも、十分に練習ができると感じた。ショートの練習でも同じで、吉祥クラブの仲間に、わざとスマッシュボールをあげてやり、それを全力でスマッシュしてもらって、それをショートする練習をやった(日大時代も、ときどき吉祥クラブでの練習をやっていた)。下手なものと練習をするときに、スマッシュしてくれといっても、ふつうに低い球を送ったのでは、相手がスマッシュミスが多い。これではスマッシュをショートで返す練習の効率が下がる。こういうときに、まず絶好球を送り、それをスマッシュしてもらって、ショートなり打ち返すなりをすれば、相手の力は下でも一流選手に近いレベルのものと練習をしたことになる。練習の効率が高い。ただ1回だけだが、その瞬間を記憶の中にとっておいて、それをつづけざまにやるのが一流選手だと思えばいいわけだから。あとは、こなすのは、その人の集中力とか真剣さだと思うけどね。
 日大へ行くまでは、環境は絶対よくないですよ。日大へ行ってからでも、台はせまい練習場にたった1台だし、そんなによいわけではない。

 dash and smash練習は攻撃選手に必要

 3時半から11時までの練習時間の使い方は、午後はゲームが多かった。大勢のものが練習をするから。夕食後になると、練習をやるものが少なくなるので、夜はほとんど基本練習をやった。道上さん(日大で2年先輩)に主に相手をしてもらった。当時の道上さんは、トップ打ちで、バックストレートの得意なよい卓球をしていた。1000本ラリーとか、みっちり基本練習をやってもらった。
 回り込みスマッシュ→フォアへのダッシュ→またスマッシュというようなdash and smashの練習もやった。ぼくとか田中の場合は、動きながらスマッシュできるところに特徴があったと思うが、それはこういう練習によるものだった。動き終わってからのスマッシュはだれでもやるが、ダッシュの途中で空中姿勢でスマッシュして、それから着地するというもの。これはフォアハンドロング主戦の選手なら、絶対に必要だと思う。
 ミドルに立っていて、バックへ打ってもらい、それをフォアハンドで回り込んでスマッシュする練習も、よくやった。足型をチョークで書いておいたり、ゆか面をゆびさしておいて、そこへ行くような反復練習。スマッシュしては、足がそこで終わるというような練習。田中も、よくそれをやっていた。

 サービスと3球目、レシーブスマッシュを多く

 レシーブスマッシュの練習は、多かった。ロングサービスをフォアへ送ってもらって、とびこんで頂点より少し前をとらえてフォアクロスにスマッシュ。これができると、バックへきたロングサービスをバッククロスにたたくのは楽だ。経験の転移ができる同系の練習は、むずかしい方をいきなりやってしまうことにしていた。その方がつらいが、上達が早いからだ。そういう習得法をする場合、問題は神経強さだ。最初の段階で生じるメチャクチャなミスの連続を確信をもって耐え抜けるかどうか、だけだ。
 それから、フォアへショートサービスを出してもらい、左足を一歩ふみこんで打つ練習。
 レシーブ関係で一番きつい練習は、バックへショートサービスを出してもらう→フォアハンドでふみこんでストレートとクロスに打って返す→3球目をこちらのフォアへ打ってもらう→それをとびこんで、クロスとストレートにスマッシュ。こういう練習もやったが、伊藤とか長谷川なんか絶対に必要な練習じゃないかね。特にクロスに引っぱるのは身体の動きと逆になるのでややむずかしいが、最近の選手では木村がよかった。
―ちょうどそういう動きの連続写真が本号のグラビア実戦連続に載りますが、これは動き<スタート>の速さともどりの速さがないと、むずかしいでしょうね。
 とにかく、足とか体の動きに関しては自信があったね。「オレより速いものはないだろう」と思っていた。
 日大でのランニングは靖国神社-千鳥ヶ淵-三宅坂-桜田門の皇居一周コース。練習前、中、後、特に決めてなかったが、どちらかといえば前が多かったかな。夜とか夜中に井の頭公園を走った。このころから社会人になっても、個人のトレーニングは夜中に走った。10㎞前後、週に5、6日。なわとびは随時、1日に1000~2000回やった。練習の合間に待っているときにもできるし...。ウエイト・トレーニングを本格的にやったのが、東京大会(昭和31年)前の3~4カ月。サエキタカオという人が、サエキジムというのをつくっていて、そこで卓球選手用に指導してもらってやった。その経験をもとにして、強対でウエイト・トレーニングをとり入れた。最初の1カ月ぐらいは体がかたくなるようで、不安だった。しかし効果ははっきり出た。ショートスイングでパワーが出た。大学4年のころは、体力的にも峠を越していたから、そこでウエイト・トレーニングをとり入れたことは、よいトレーニングだった。
 フリーハンドをきたえることの重要性をこの時期に認識した。サエキさんに左手も一緒にきたえなくちゃいかんといわれて...。鉄アレイでも、右手と左手を一緒にやれといわれた。
 睡眠時間は、7~8時間ぐらい。この時期は夜中にトレーニングをしていたので、読書は電車の中が多かった。

 ●理想的なコーチと選手の関係
 <自主性について>


―"自主性"ということについて...。
 理想的なコーチと選手の関係は、練習場ではきびしくコーチによってチェックされているが、試合場では全くフリーに選手が行う。コーチは見ているだけ―というのが、一番目標にすべき状態だと思う。
 ところが、そのためには選手のいろんな面の能力が最高になっていなければならないと思う。特に、卓球競技そのものの理解とか、自分自身の卓球の理解とか、現在試合をしている相手の理解とかが、まず完全な状態で行われていて、体力的・技術的にも選手の状態が申し分ない―そういう状態になった場合は、コーチはむしろ余計な口だしをすると、選手をスポイルする状態になる。むしろ、引っこんで見ていた方がよい。
 原則として試合は、試合をする人個人の持ち物だから、『下手なときからでもベンチコーチなどはすべきじゃない。その人の好きなようにさせろ』という考え方もあると思う。しかし、これはあとで述べるように、最上のやり方ではない。そこで、たとえば選手の能力開発が不十分であって、その試合を一つの啓発の場として利用していきたいという場合、そこにコーチがいろんな試みを支持する可能性が出てくる。
 それに、試合が全く純然たる個人のもちものでない場合もある。たとえば、学校の代表とか、国の代表とかで、本来スポーツの意義とはかかわりのない、"勝たねばならぬ"とか、"よいゲームができないと観客の動員数がへる"とか、"予算にひびく"とか、"関係者の前で1本でも余分に点数をあげたい"とかいう動機が介在してきたときに、コーチもしくはオーナーまでも、その選手の試合に乗り出してくることが起こるだろうと思う。
 だから、関係者としては、いろいろそういう雑多な動機をできるだけ整理して、選手に伸び伸びとプレーさせるように努めなければならないし、コーチとしてはできるだけ選手の力を全面的に高めて、早く一本立ちできる方向へもっていくべきだ。

 コーチは途中で安易な妥協をするな

 しかし、途中で安易な妥協をして選手の自主性におぶさるのもいかんと思う。選手がまだたいして力がないのに、なんでもそのときの感情のおもむくままの試合をさせてしまうことは、よくないことだ。たとえ30分の試合時間としても、やり方によっては、その後2カ月なりの練習にすばらしいプラスを掛ける試合にもなるし、逆にマイナスαを掛ける試合にもなってくる。だから、ここでこういう経験を得させれば、今後の練習にこういうプラスαが掛けられるというチャンスがあれば、そのチャンスを逃させてはいけない。
 たとえば、ある試合である選手が、下切りのフォア前ショートサービスのあとのフォアの3球目攻撃とバックプッシュの3球目とで大事な試合を有利に展開していたとする。そのサービスと3球目がよいために、ほかのラリーでもその選手のトップ打ちのよさが引き出されて、いままでにないゲームができそうだ。このままやりとおせば、自信とともにこの戦術・技術が安定するというチャンスをコーチがベンチで発見したとする。そのときに何を思ったか、選手がサービスを横回転にかえた。選手の心境としては、次のゲームとか、その次の試合を有利に展開するために、練習の意味で横回転サービスにかえた。その1本目は相手のレシーブが浮いたために、すばらしいように見えた。しかし、コーチが相手の実力を見た場合に、今後横回転のサービスが主体になれば、必ずレシーブからはらわれて、それまでの第3球攻撃のペースがくずれると予想される場合、コーチはすぐさま、もとの戦術にもどるようにアドバイスすべきだろう。
 そういう判断というのは、コーチのキャリアと選手のキャリアの差が選手の努力によってうまっていないかぎり、必要だ。

 選手の自主性を高めるためにやったこと

 それで、ぼくらの場合には、強対なんかで映画、スライド、討論、レポート、自分で自分の練習システムをつくること、などを通じて、世界選手権に一度も出たことのないような若い選手が世界選手権出場数回のキャリアに匹敵する"知識上のキャリア"をもつように、いろんな刺激を企画した。
 ただ、試合におけるベンチコーチは、まだぼくらが強対のコーチをやっていたころは、選手の力からいって、まだまだベンチコーチが必要な段階にあったと思う。リュブリアナ(65年)の団体戦の高橋(張と荘を決勝で破った)とか、66年北京国際招待大会の山中、深津とか、このあたりだと、ベンチコーチはいらなかったね。もうベンチへ帰ってきても、彼らが十分承知していることを念のためにこちらが反復して述べる、という程度の作業だった。松崎とか、男子の田中、富田とか、ほとんどベンチコーチはいらなかったんじゃないかな。ベンチコーチはいらなくて、ヒントとかチェック、そういう会話が必要なくらいの域だったんじゃないかな。
 大学では、放任の欠点が目だつ。年とったら、すべて自由放任が最上の手段だとすれば、大松のニチボーは出てこない。高校では、ぼくらが知っているかぎりでは全国で10数名のピンキチ先生が心血を注いで選手育成をやっているけれども、これは仮にコーチの若さによる失敗があったとしても、プラス面をうんと評価しなければならないと思う。真剣にやっているからこそ、その失敗は必ず生きる。同じあやまちをくり返さないだろうし、そういう人たちは年ごとに成長しているような印象を受けている。
 一番まずいと思うのは、キャリアからいってもほとんど差がない上級生が、下級生のフォームをいじったり、制裁を加えたりすること。そういう事実をときたま聞くけど、これは僭越(せんえつ)だと思う。
 最終目標は、選手の完成された姿での自立。その場合には、コーチは最良の鑑賞者になればよい。
―コーチが1本1本「こういうサービスを出せ」とか「こう攻めろ」とベンチコーチをしていたのでは、選手は自分で考えるクセがつかないし、コーチを頼るでしょう。反対に、選手にまかせっぱなしもいけない、ということで、そのへんのかね合いがむずかしいですね。自主性を植えつけながら、大きく育てていくということは...。先日、ある高校指導者に会ったら、課題練習のときは「なぜそれをやるか、どういう点に気をつけてやれ」というようによく説明してから練習をさせる。だが、自由練習のときは、全く生徒の自由に練習させる。なぜかというと、自分で考えて練習をするクセをつけさせるため(自主性の養成)と、もう一つは自由練習のときにだれがどういうことを考えてどういう練習をするかを見るためである、と語っていました。

 自由練習のときは選手の自主性にまかせよう

 自由時間は、それでよいと思う。そして、自由練習のあとに、ディスカッションをやるのが一番よい。ぼくらの経験でも、ある選手は、自由練習というと、バックハンドばかりやっていた。こちらとしては自由練習の中に、フォアハンド強打をくみ入れることを期待しているのに。といって、自由練習だから、フォア強打をくみ入れろ、とはいえない。なんとかして、自由練習の中にそれをくみ入れられないかを考えて、いろいろディスカッションをしたことがある。ディスカッションをしても、それに気づいて、というか、よく理解して、その次の自由練習からくみ入れるものもいるが、そうでないものもいる。しかし、その選手の成長段階の一ステージとして考えれば、それはしようがない。理解しなければならないのは、コーチの側である場合も多い。
 大会が間近にせまっていると、ついそういったディスカッションなどをはぶいて、強制的にやりたくなるものだが、そこのところは、はぶいちゃいけないところじゃないかな。人間尊重というか、個人の尊厳の問題だと思う。日本人のいちばん弱いところかな。

(2000年3月号掲載)

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