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「世界一への道」荻村伊智朗②卓球コーチとして心がけたこと

『卓球レポート』1970年1月号から3回にわたって掲載した故・荻村伊智朗氏へのインタビューの第1回目を前号で紹介した。2回目の今回は、「コーチ時代の話」を紹介する。「世界一の選手を育てるための道」「世界一の選手になるための資質、その他」を感じ取ることができると思う。

―今回は"卓球コーチ"という面からのお話しをうかがいましょう。海外10カ国でコーチの体験をもち、国内では2年間日本卓球協会のヘッドコーチをつとめられた。その間に多くの卓球選手に卓球に対する考え方の点で、大きな影響を与えている。
 卓球コーチとしての荻村さんの特徴を考えてみますと、第1は選手や関係者に大きな目標をもたすことが上手だ、ということ。これは、あちこちでよく聞くことです。
 第2は技術に片寄った指導ではなく、全人的に鍛えるということ。合宿で学習の時間を作って、選手に読書をさせたり、スポーツ科学の話をしたり、あるいは、なんのために卓球をやるか、といった話をしたり...。
 第3は理論的な裏づけをもった指導をするということ。とかく、自分の体験を選手にそのまま当てはめようとするコーチ、つまり自分の体験にもたれかかってコーチをしようとする人が多いですが、絶えず勉強し、体験をだれにも当てはまる理論にまで昇華(しょうか)した上でコーチしようとする態度であった。
 コーチとして常に心がけていたこと。あるいはコーチとして大切なことはどういうことであるとお考えですか。

 技術だけでなく"全人的"に鍛える。
 ロボット的な選手に興味はない


 スポーツ活動は人間の文化活動だから、それが行われた結果、人類の文化というものが、ほんの一歩でも前進した、よりすばらしい方向へ向かって一歩をふみ出した―というのでなければ、意味がないと思う。したがって、神経と筋肉と内臓だけが異常発達したロボット的な選手というものは、出てきたところで興味がない。意義も感じない。もちろん、そういう機械的な面も最高度にもたなければならないが、なおかつそれを動かす人間性というか、人間的な豊かさというか、それが神経と筋肉と内臓の能力を借りてゲームに出てくる、というのでなければ、スポーツ活動は文化活動にはなり得ない。これは芸術活動でも経済活動、政治活動でも、そういう面があると思う。それが全人的に鍛えるということの必要性につながってくると思う。意識して、そういう試みをしたことは事実だ。
 もちろん、強対活動(65~67年)のときに特に熱心にやったわけだけれども、たとえば高校時代でも日誌を卓球部員の間で回覧回記するという習慣を励行して、合同練習の時間の少ないマイナスを補った。合同練習の時間が少ないと、どうしても練習場では、技術練習だけに集中して時間が使われる。そのために、お互い同士の意見の交換、助言、批判―こういったコミュニケーションが十分に行えないうらみがある。それを日誌の回覧回記によって、在宅中に補おうということで、多いときは3冊ぐらいの日誌が常にだれかのところにあった。1冊に書くんじゃなくて。そんな努力が、合宿もやったことのないような都立の学校(西高)が、マグレにしろ、東京都のチーム戦で優勝するところまでチーム力を高められた大きな原因ではないかと思う。

 可能性を信じ、選手と一緒に努力。
 北京国際大会の山中、深津の奮闘


 次に、大きな目標ということだけれども、選手が求める目的というか目標というものを、コーチも自分でもっていなければ、選手に訴えることができないと思う。ぼくの場合は、自分もスポーツ活動の大きな意義を信じているから、まずそういうもの≪スポーツをやる意義≫を選手にぶつけることができた。
 大きな目標の中で、大きな技術目標の場合は、世界最高のレベルまで直結していく可能性のある長所を、選手の中にまず発見する。本人が気づかない場合は、実技あるいは話し合いを通して、その長所を本人がはっきり自覚するようにもっていく。つまり、選手の脳裏にはっきり自分のプレーの未来像が出てくるような努力をする。対象になる選手によって、アプローチの仕方がちがうし、それぞれの特徴を生かした未来像になる。選手にしても、それぞれの個性の長所を生かすことを自覚するから、十把(ぱ)一からげのコーチではないことを感じて、さらにやる気が出てくると思う。
 選手というものは、たった一人でもいいから、世の中に自分の可能性を信じてくれる人がいると、ものすごく力になると思う。それは概(おおむ)ね近親者の形をとりやすいが、近親者の信じる可能性は「勝つ」とか「やれるはずだ」といった信頼の原点に近い場合が多い。一歩技術や卓球の専門的領域に踏みこめば、もはや肉親とても力になり得ない。だから、自分の可能性を信じてくれる人が専門的領域にまで同行できる自分のコーチである場合、それがどんなにすばらしいことか、選手でなければわからないだろう。
 選手がどういうときにそれを実感するかというと、一番苦しいときだと思う。たとえば、試合場でなら、勝つか負けるかの苦しい試合をしているとき。練習場でなら、一つのカベを破れるかどうかというとき。こいった一番苦しいときに、選手自身が「自分はこれ以上はダメじゃないだろうか」と不安をもつ。そういうときに、周囲のものやコーチが、選手よりも先にあきらめることが多いと思う。「あー、やっぱりダメか」と。そういうときに選手と一緒にふみとどまって、難関を切りぬけるというか、そういう経験が1回2回と積み重なっていって、はじめて選手がコーチを≪自分の可能性を信じてくれる≫として、信頼感がわいてくると思う。
―66年の北京国際大会で、女子団体決勝の1、2番を日本が失って、3番のダブルスを迎えようとした。1万を越す大観衆の熱狂的な応援を受けて、中国が3-0で勝ちそうな形勢だった。そのとき、ほんの1~2分だったけど、荻村さんが山中、深津両選手を集めて、「絶対勝てるはずだ。それだけのことをやってきたじゃないか。絶対勝つ」とベンチコーチされた。ああいうムードのときに、盛り返すことは、特に相手が世界の超一流の林・鄭組であるし、極めて難しいことだと思うけど、球史に残るようなものすごい試合をしてダブルスを勝ちましたね。ああいう土壇場の一番苦しいときに、コーチがあきらめていたら、とてもハネ返すことはできないでしょうね。

 人間として最高の試合だった

 あの試合と個人戦のダブルス決勝。この二つは私が20年間に見た女子ダブルスの試合では4人の選手の実力、試合内容、会場の雰囲気と、すべてが最高の試合だったと思う。卓球はやるスポーツで見ておもしろくないスポーツだなどという人がいるが、あの試合を見れば自分がまちがっていたのが一目でわかるはずだ。ただ、そこまでやれる選手が少ないだけで、卓球の可能性はあんな高いところにあるわけだ。もちろん山中、深津だけがいかにすぐれていてもだめで、林、鄭といういまだかつてないダブルスが相手にいてくれたことは幸運だった。
 女子と男子との能力差を抜きにして考えれば、男女を通じても人間として最高の内容の試合だったと思う。最初の1本から最後の1本まで、4人とも最高に気合が入っていた。1本ごとの猛烈な拍手や毛語録の合唱など、雰囲気もロンドン大会(54年)なみかそれ以上の異常に興奮的な雰囲気だった。そういうところで、あんなすばらしい攻守が展開できたことは、日本の二人の選手の精神力がいかにすぐれていたか、ということだ(注:山中・深津組は2戦2勝した)。もちろん練習がきつかったからだ。ぼくはただ試合前に彼女らがすぐれていることを指摘しただけのことだ。
 技術的、戦術的には何年も考えつづけてきてすっかり選手の頭に入っている。しかし、選手としてもコーチとしても、寝ても起きても研究対象になるだけの相手がいるということは、卓球の場合、最高の幸せじゃないかな。林、鄭の両選手にしても、きっとそう思っているだろう。なにしろ、67年の世界選手権で日中がぶつかったとすれば、女子チーム戦は当然ダブルスで決まったはずですからね。
 長所を発見しても、それだけではダメだ。やっぱり、可能性を信じて、それが最高レベルまで行く道を開いて、あるいは具体的な例を示して、道をしっかりわかってもらって、そして選手とコーチが一緒に努力していく。その過程で、一つひとつが大きなキッカケとなって信頼感が芽ばえる。
 ところが、なんとなく選手が合宿へやってくる。コーチの方も、選手個人別の強化プログラム等の努力をせずに、ただ集まってゲームをやり、あとは自由練習では大きなキッカケにならないと思う。したがって、進歩の度合が低い。学校でやっていた方がずっと自分の練習ができる、ということになる。選抜合宿というのは、強い選手ばかり集めるから考え方によってはやさしいが、本当は一番むずかしい。ぼくの場合も、個別プロづくりのためヘッドコーチ時代は5~6時間しか眠らなかった。高校であっても、基礎的な信頼関係があり、相互努力ができているところは、無名であっても、意外と早く伸びてくると思う。そういう信頼関係にもとづいて、自分の青春をかけた練習にコーチの言を入れる部分が出てくる。権威主義や力関係でも、一度や二度はコーチの言を入れることがあるかもしれないが、それ以上はきかない。
 このコーチは自分のためになることを言ってくれる、という信頼感のみだ。そうした積み重ねによって、カット打ちがどちらかというと下手だった高橋君(シチズン時計)が張(中国)に勝つというような結果が出てきた。ただ『中高校生指導講座』(絶版)でもいっているように、スポーツはあくまでやる人間の好みが主体だ。コーチは一生懸命にアドバイスをする。だが、選手がそれを採らなければ、それはそれで仕方がない。選手の望む方向に努力するように努力しなければならない。言うことを聞かないからといって、感情的になる必要はない。ぼくのアドバイスも無条件にみんなが採ってくれたわけではなく、あとから「やっぱり人の言うことは聞いておくものだな」なんて言ってくれたこともある。それでも、仕方がないのだ。強制されたスポーツは、もはや人間の文化活動ではないものね。

 コーチの個性によって指導法が違うが
 理論的な指導を心がける


 理論的な指導ということだけれども、それぞれのコーチも人間だから個性があって、ぼくの場合には、自分自身が理論的に納得しなければならないし、納得できれば突飛(とっぴ)なように見えることでもやるタチだから、理論的な指導、あるいは指導ができるだけ理論になるように心がけたことは確かだ。純粋な実践派で、選手の腕をとり、打ってあげるだけのコーチもあると思う。選手の行きつくところは同じで、過程の手法がコーチの個性によって違うのだと思う。
 だがしかし、動物にない人間の特性というか長所は、抽象能力だと思う。体験や勉強の結果等を理論的なものにして、だれにもまちがいがないように理解できる言葉、文字、動作、あるいは映像を使って、コーチの頭にあるイメージを正確に選手に伝える努力をすることは、非常に大切と思う。その意味では、理論的なコーチングはどのような個性のコーチにとっても不可欠といえるのではないか。ただ、理論的というとやたらにむずかしいことを言わなければならないように聞こえるかもしれないが、そんなことはない。選手にわからないようなむずかしい表現しかできないのは、主としてコーチの表現力が弱いからで、理論そのもののせいではない。小学生に対してだって、理論的なコーチングはできるはずだ。

 何から教えるかもコーチの能力。
 長谷川信彦選手の実例


 一人の選手をパッと見たときに、コーチしたいことはたくさんあるが、それの何からやっていくかを選択することも、コーチの能力じゃないかな。長谷川(名電工→愛知工大卒)が高校時代にはじめて河野らと合宿にきたときは、朝日(名電工→日大卒)なんかの高校時代と同じで、後陣の方でドライブを引くだけ。それでもグリップやスタイルは、今のようなドライブ型をめざしていると見た。名電では安藤、柴田以後はトップ打ちの良い選手は出ていない。朝日、有本らの系統だ。そのままではつまらないが、シェークなので田中利明の守備力をもったらおもしろいと思った。できれば田中の第3球も、と思ったのだが、身体の"切れ"がちがうし、力は出そうなので、ドライブによる攻めでいったら、と思った。長谷川もよくやったと思う。いまやっている卓球はほぼ完成に近いと思うけど、そこ(完成)へどうやってもっていくかを考えた。まずドライブを少し速くすること。どっからかといえば、3球目からではないかな。それにはカットサービスの効果的なものを持たねばならないということであるから、田中のサービスをシェークになおして教えた。一番最初に重点をおいてやったのはカットサービスと3球目じゃないかな。それとドライブを引いて前に出ることとか。
 全日本学生で北村(専大)に負けた(66年)前のあたりからバックハンド強化。まだクロス打ちで、一般の日本代表として出るようになってから、バックハンドのストレートですよね。それと並行して、長谷川のタイプは内臓の持久力で点をとる要素が1試合で5~6点、しかもそれが重要なところの1本になることが多い。だから体力トレーニング、特に長距離走をすすめた。長距離走は、長谷川にとっては適したトレーニングじゃないかな。筋力トレーニングはカールやなんかのウエイト・トレーニングが、ドライブの威力を増すためにはよかったでしょうね。中国とやれば、グリップの問題もあって先手をとられるのははっきりしているから、顔色がまっさおになってぶったおれる寸前まで、ボールをたくさん使って連続守備の練習をやった。あの練習でいままで一番がんばったのは長谷川、連続スマッシュではヨハンソン(スウェーデン)というところかな。

 この選手はどこまで伸びるか?
 "先見性"もコーチの大切な条件


 この選手は、このままのスタイルでどこまで伸びるか。あるいは、やり方を変えれば、どこまで伸びるか―その将来を見抜くということが、コーチの能力では大切と思う。その能力を養うためには、選手として、あるいは観戦者としてのキャリアをできるだけ豊富にもっていた方がよい。また、歴史上の名勝負の話とか、できるだけ知っていて、適切なときにそのイメージを思い出すことができる。ぼくの場合、先輩の話を聞くのが好きだったし、言葉のハンデがあまりないので外国人の話もたくさん聞いているが、力になったと思う。それらを一つの資料にしながら、それに理論と選手の個性を掛けて将来性を計り、この選手が現在のやり方でどこまでいけるかを予見する。選手はいろんなことをやってみること(試行)はできるが、概ね自分がどこまでどのようにして強くなるか予見はできない。コーチの方がよりよく予見できる。
 コーチとしては、その選手の能力とか環境とかによって、現在やっているのはこれまでだが、それでいいだろうと考えてそれなりのアドバイスをすることもあるし、この選手のもっている潜在能力はもっと高いはずだ、したがってここでこういうふうにふみ切れば、もっと伸びるんじゃないか、現在やっているスタイルというか方向へそのまま伸びるよりも、こっちの方向だったら、もっと伸びるんじゃないか...ということもある。

 このまま進むべきか、グリップを変えるべきか

どっちの方向へ進んだらよいか、岐路(きろ)に選手が立っている場合というのは、二つあるいは三方の道がある。それぞれの道は一方通行で、行き止まりだ。しかも、互換性がない。やりかえがきかない。そういう岐路に、選手は選手生活中に二度や三度は立つと思う。そういう意味では、ぼくは長谷川の卓球は66年の中国遠征をした時期にグリップを変えていれば、もっと伸びると思った。また長谷川にはそれだけの素質もあると思った。だが、それは大きなカケでもあった。長谷川も真剣に試してみたが、やっぱり肝じんのフォアが弱くなるように思えた。1カ月の試行期間後、元の方向にもどった。変えないということも、大きなカケであった。結果として長谷川のプレーは、この中国遠征(66年夏)の対北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)のときが強さの頂点だったと思う。69年の日本選手権では、かなり近い強さを見せたが。
 しかし、今の時点で変えても、仕方がない。長谷川の問題はバック側のコート上の低いボール。ここはあくまで死角として残して、そこから生ずる振りはすべて内臓と筋肉の問題で処理してしまう。言いかえれば、技術の問題をラリー中に体力の問題にすりかえてしまう。その方向に向かっての訓練といえば、長谷川の場合は体力トレーニングの重視と守りの強化と一発の強化。これらをいまのスタイルで1ポイントずつ増やしていくという地道な強化をすべきだと思う。

 指導者の先見性と選手の決断力

 ―いまのまま進むべきかどうかという"先見性"の問題で一つ思い出すのは、山中(教子)さんの例です。64年の中国遠征でさんざん負け、遠征の途中で一枚ラバーから表ソフトへ転向することを荻村さんがアドバイスされた。そして遠征中に表ソフトに転向し、1カ月後の全日本選手権で初優勝し、その後、世界を代表する選手に成長していった。もし一枚ラバーのままで進んでおったら、全盛期のあの豪快なスマッシュも快速プッシュも見られず、あれほどの選手にならなかったかもしれませんね。
 女子では空前のあの攻めの速さを生かすには、表ソフトだったろう。よいときによいキッカケがあった。選手自身もキッカケをとらえた。表ソフトに変えたらというのは長谷川さんの意見でもあった。表ソフトに変えることはよいとして、いちばん考えに考えたのは、はたして遠征中に表ソフトにかえて、すぐ試合に出すべきかどうかということだった。だが、すぐ試合に出した。もちろん、2~3本で負けたりもした。しかし、意外といい勝負をする場合もあった。それがキッカケとなって、やるべきこととやらなくていいこととの区別がはっきり整理されたんじゃないか。それで練習の効率がすごくよくなったんじゃないかね。張に高橋君が勝った試合でも、だれも張にそういう戦い方をしたことがないが、考えをつきつめていけば、こうなるはずだ、こうなるべきだ...ということで、カット打ち1000本ラリーからはじまる30種類ぐらいの対張のシステム練習を段階的に消化していくという方法をとった。張のもっている技術を分解し、毛色の変わったスパーリングパートナーによく内容を理解した上で受けもってもらった。渡辺君(シチズン、中大卒。ペンカット、逆モーション攻撃が得意)や河田さん(三井生命。二本差しショート、ナックルボールのストップの名人)など。それが効果をあげた。
―練習のとおりにやって勝った、と高橋君が語っていましたからね。
 荘に対しても、高橋・小中とも、バック側のクロスのラリーでは勝った。ところが、システマティックな訓練をつむ以前の段階でぶつかっていった場合、長谷川は、中国遠征(66年)で同系の北朝鮮に対しては吹っ飛ばすような勢いですばらしい勝ち方をしたが、荘にも張にも10本前後でたたかれている。
 指導者は先見性を発揮して指導することが大切だが、その場合に選手の決断力も大切だと思う。

 何か一つ優れていれば一流になれる
 鍵本、河野、長谷川の高校時代


 ―先見性ということで、もう一つ思い出すことがある。大学1年のころの鍵本(早大卒)君は弱いといわれていたが、荻村さんは彼の将来性を高く買っていた。そして、67年世界選手権男子団体の決勝で、一番活躍したのが鍵本君だった。また、64年の全国高校合宿のとき、当時高校2年だった長谷川、河野を見て、この二人は伸びると思う、と語っていたことがある。どうしてそう判断されましたか。また、ある選手を見て、これは伸びそうかどうかを判断する場合に、どういう点でチェックしますか。
 河野の場合は、まじめさと体格がいいこと。それと球をトップで打てるということじゃないかな。トップでうたなきゃいかんとわかっていても、打てないものもあるし、わかっているということと打てるということは別のことだからね。井上(専大)を66年の全日本のチーム戦(当時高校生)にピックアップしたのも同じような理由だったんじゃないかな。
 長谷川の場合は、卓球に対する熱心さと吸収力のよさ、体のよさですね。
 鍵本の場合は、持久力と卓球の動きが速いこと。
 何か一つだけでも、人間としてトップクラスになれるような素質があれば、それを中心にして伸ばしていったら、第1級の選手になれると思う。逆に、消去法で考えることもできるんじゃないかな。たとえば...。
 ○練習に気が乗らない
 ○気が乗っても、短時間しかつづかない
 ○練習の熱心さに起伏がはげしい
というような。気が入っている点では申し分なくても、体力的につづかない選手には、あまり大きな目標をもたしても気の毒じゃないかね。まず器を大きくしてからでなければ。また、これといった特徴がなくても、これといった欠点がなければ、伸ばしやすい。
 要するに、下手な時代であっても、自ら光を放っている部分があると思う。河野のトップ打ち、鍵本の動きの速さ、井上の手の速さ、阿部の柔らかさ、田阪の脚というように。そして、運動能力面の光を求めるよりも精神面の光を求める方がもっと確率が高い。それを中心に育てていけばよい。

 欠点をなおすよりも
 長所を発見し、長所を伸ばす指導法


 コーチに行くと、昔は「悪いところをなおしてくれ」とよく言われた。矯正を重点にコーチをしたり、コーチを依頼したりすることが多い。コーチの資質もあるが、ぼくのやり方は違う。
 もちろん、どうしても矯正しなければならないものは矯正すべきだ。たとえば、凡失を繰り返すこと。これは徹底的に矯正すべきだと思う。それと、現代の卓球でスマッシュがないという場合には、たとえロングマンであろうとカットマンであろうと、矯正すべきだと思う。さらに大物をめざすなら、1カ所でも死角があるなら、根本的に考え直すべきだと思う。本当の一流選手と対戦した場合に、そこを狙われて勝てない。
 このような場合は、矯正すべきだし、矯正が第一着手である場合も起こり得ると思う。しかし、概ね長所の発見と長所を伸ばすというところから入るのがいいんじゃないかな。

 スケールを広げる努力は最初から
 その方が時間のロスがない


 それと、基礎的なスケールを広げていく。精神的、体力的なスケールを広げる努力は一番最初からやるべきだと思う。精神面でいえば、ハードな集中力、適応力を要求するような訓練をいきなりしていく。たとえば、集中力の問題だが、練習時間と練習効果は単純な比率で測れる関係にはない。精神を集中した練習がある一定時間を経過してから練習の作業能率のカーブは急上昇をはじめる。
 ところが、精神を集中した練習は、最初はそんなにつづくものじゃない。それをつづかせるためには、内部の奮起だけではなく、外部からの刺激も大切だ。その刺激はコーチの熱心な注視であってもよいし、観衆であってもよいし、ゲームであってもよい。その意味では長谷川さんの監督時代はよく練習を見ていた。矢尾板さんも見ていた。ぼくも選手の練習は、精神をこめて見た。強対の選抜大会や、合宿第1日の総当たりゲーム、とかも、そうした刺激剤として採用した。
 適応力の最たるものは、環境に対する適応力。オリンピックチームみたいに、ぜいたくな遠征は卓球には許されない。世界中のありとあらゆる場所でいきなりゲームができるように、合宿でパン食の採用など、食生活などでもトレーニングした。異種の条件に適応してやれる点では、卓球の選手が日本の全スポーツ選手のうちで最高だったと思っている。
 こうした方法は、ショックも大きいけど時間のロスがない。選手は時間と競争をしている。いいかえれば、選手生活は限られた時間の中でやっている。その人が卓球をやれる間に、どこまでいけるかということだと思う。そのことが常に念頭にあるから、精神的に非常にハードな訓練になるんじゃないかな、ぼくの場合は。
 体力的には、もちろん基礎作りからやっていく。卓球の選手はなぜランニングなんかするか、とか、体操なんかやるのか、といった批判にはしょっちゅうぶつかったが、スポーツマンとして一流の能力がないものが、どうして卓球の一流になれるだろうか。もしそれでも卓球の一流として通るなら、卓球は二流のスポーツだと思う。もし卓球のルールが、スポーツマンとして二流三流のものを卓球選手として一流として通すようなものであれば、ルールを変えるべきだと思う。卓球の発展のために。だが、卓球はスポーツとして超一流のものを実現できるだけの可能性をもったスポーツだとぼくは信じている。だから選手には一流の運動能力を要求し、それを十二分に引き出す一流の技術を要求する。
 だから、ぼくらがやり始めたころには、ほとんどだれもやらなかったことをやって、それがいま常識になっていることが多いんじゃないかな。体操や体力トレーニングを日常のプログラムの中に組みこむ問題とか、ショーツ・トレシャツ・トレパンの厚着の問題とか、試合前のシャドープレーのウオーミングアップの問題とか、ぬれたユニフォームはすぐ着がえる問題とか、小さなことではスポンジの底の靴をはき、厚手のスポーツソックスをはく問題とか。服装の問題は、いまのようなことが一般化されていないときは、ただのおしゃれにしかうつらない時代もあったと思う。肝臓を悪くしたこともあって、食生活にも気を配った。そしたら、食いものにぜいたくだと言われたこともあったけど、選手にとって栄養と休養と練習は同じぐらいに価値がある。豪州のマレー・ローズ(元オリンピック水泳優勝者)が菜食主義で、自分の食糧を世界のどこへ行くときでも持って歩いた。卓球でも、そこまで考える選手が出てくれば、当然それを援助すべきではないかな。だから、強対時代の合宿でも、金はおそらく一番使わない合宿をやったと思うけど、栄養という点では非常に気を使った。それが夜の3時まで練習をやりながら、選手の体重がふえたという事実に現われていたと思う。

(2000年3月号掲載)

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