アスリートには、それぞれの競技人生の中で大きな選択を迫られるターニングポイントがたびたび訪れる。そのときの判断がその後の競技人生を大きく変えることも少なくないだろう。進学か、就職か。国内か、海外か。アマチュアか、プロフェッショナルか。引退か、続行か......。
このインタビューシリーズでは、今、転機を迎えている選手たちに焦点を当て、なぜその道を選んだのか、その決意に至った理由に迫る。
今回は、吉田海偉(小西海偉/東京アート)にインタビューを行った。
卓球界に大きな衝撃が走った東京アートの休部や新天地での挑戦について、吉田はどう捉えているのか。40歳を越えてなおトップを走り続ける鉄人が、その胸の内を明かしてくれた。
−東京アート休部のニュースは驚きました。吉田選手が受けた衝撃は我々の比ではなかったと思います。知らされた時のお気持ちをお聞かせください。
4月からの新しい契約について佐々木さん(東京アート卓球部の佐々木賢二部長)に連絡したら、「契約は難しい。実は......」という感じで、東京アート卓球部の休部を知らされました。聞いた時期はよく覚えてませんが、正式に発表される数日前だったと思います。
聞いた時は、一瞬、頭が真っ白になって倒れそうになりましたね。
休部を聞いて、まず思ったのが「杏ちゃん(妻で元日本代表の小西杏さん)にどう言おうか」でした。
−所属先の休部は、ご家族にも影響しますよね。
そうです。やっぱり、安定した生活を送るという面では、成績によって収入が大きく左右されるスポーツ選手は不安がある。だからこそ、良い環境でプレーできるよう、この年になっても努力してきました。そうすれば家族は安心しますから。自分には実績はありますが、それは昔のこと。やっぱり自分を必要としてくれる会社は現在が大切ですから、今、頑張るしかない。
そうして、次も契約してもらえるよう結果を残してきましたが、まさか休部になるとは思いもよりませんでした。
−東京アートは昨年も日本卓球リーグでずば抜けた成績を収めました。それだけに、惜しまれる声も多いと思います。
日本リーグで1番力を入れていたチームが、東京アート。それは自信を持って言えます。日本リーグの優勝回数も1番多い。その東京アートがなくなるなんて、今でもちょっと信じられない。
僕には、これからの人生のイメージがありました。選手として東京アートであと数年頑張る。選手を終えたら指導者として東京アートに所属し、可能であれば監督、というふうに頭の中で絵を描いていたんです。それが、まさかまさか。世の中は怖いし分からないですね。運だと思います。
−休部は残念ですが、吉田選手は実績も力もあるので、ほかからの誘いも多かったと思います。
いやいや。日本代表や全日本チャンピオンならまだしも、自分はまだ力があるとはいえ、年齢的なことも考えると「自分をほしいチームはたくさんある」とは自信を持って言えない。実際に次の所属先を探すのは大変でした。
−そうでしたか。そんな中で、ポーランドのスーパーリーグのチーム、「デコルグラス・ジャウドボ」と契約されました。
ヨーロッパでプレーしたくて、梅村さん(梅村礼/タマス・バタフライ・ヨーロッパ)や木村くん(木村寛/タマス・バタフライ・ヨーロッパ)をはじめ、知り合いを通じてチームを探していました。
ドイツやフランスのチームなどが僕に興味を示してくれましたが、条件が良くて慣れ親しんでいるポーランドのチームに決めました。
−ヨーロッパでプレーする魅力はどこにありますか?
チャンピオンズリーグなどの大きな舞台で、各国のトップ選手たちと対戦できることですね。そして、彼らを倒したい。日本リーグだと対戦経験のある選手が多いですが、ヨーロッパのリーグには対戦したことがない選手がたくさんいるので、そうした選手たちと試合ができる新鮮さも魅力です。
また、ヨーロッパの気風は自分に合っている。僕は闘志を全面に出すスタイルだけど、日本だとちょっと引かれることが多い。でも、向こう(ヨーロッパ)は、僕がほえるとベンチやファンも一緒になって盛り上がってくれます。なので、やりやすいしプレーも乗るんです。
ただ、ヨーロッパで生活するのはストレスがかかるので、ずっと向こうで生活するのは難しいですね。
−確かに、生活する上では不自由が多いと思います。
言葉は通じにくいし、何でも自分一人でやらないといけないので、海外の方がプレッシャーは強いですね。また、日本にいると杏ちゃんにすぐ相談できるけど、向こうにいたら時差の関係で簡単には連絡が取れません。特に、試合前は不安だから電話したいのですが、それが難しいのがつらいですね。
−孤独との戦いですね。
そうです。ただ、そうした面だけでなく、良い面もあります。相手も強くてプレーのレベルアップも見込めるけど、それだけではない。相談相手がいなくて何でも自分一人でやらなければいけないし、寂しさに勝たないといけないから心が強くなる。そうした中で勝つことができれば、技術も心もどちらも強くなります。
戸上(戸上隼輔/明治大)や宇田(宇田幸矢/明治大)も海外に行くということですが、彼らにとっては大きなプラスだと思いますよ。
−ポーランドでのスケジュールはどのような感じですか?
詳しい日程はまだ出ていませんが、契約は9月からスタートなので、それに合わせて行く予定です。
練習の拠点は、観光地としても有名なグダニスクという都市の練習センターになると思います。以前はそのセンター内に住めたのですが、センター長が代わって管理が厳しくなったみたいで(笑)、住めなくなったようです。なので、近くのアパートやマンションに住むことになると思います。
−海外に加え、日本でも、日本卓球リーグ2部の関西卓球アカデミーと契約されました。
ポーランドでプレーできることが決まったものの、9月まで試合がありません。僕はプレーしてなんぼのプロですから、できる限り試合に出たい。
そこで、日本リーグの役員もされている佐々木さんにお願いして紹介していただきました。関西卓球アカデミーは「うちはまだ2部だけど大丈夫?」と遠慮されていましたが、自分のことを必要としてくれるということで、話が来たときはうれしさしかありませんでしたね。
−プレーの場が1部から2部に変わることで、心境の変化はありますか?
それはもちろんあります。チームが変わるということもありますが、ずっと1部でプレーしてきた自分にとって、2部で勝つのは当たり前です。なので、勝利へのプレッシャーは大きくなると思います。
−吉田選手の加入で1部昇格の可能性も高くなったのではないでしょうか?
2部も強いチームはたくさんあるので、簡単じゃない。油断したら負けます。
ただ、関西卓球アカデミーも坂根翔大や各務博志など良い選手がそろっているので、自分は全勝して1部昇格に貢献したいですね。
−東京アートで出場できない寂しさはありますか?
それはもちろんありますよ。特に、ベンチに大森さん(大森隆弘東京アート卓球部監督)がいないのは寂しい。
正直に言うと、僕は熱いタイプのベンチコーチが好きなので、冷静で落ち着いた大森さんとは、最初の頃、なかなか合いませんでした。しかし、最近ではお互いのことが分かり、コミュニケーションがしっかり取れるようになってきました。大森さんのおかげで接戦を切り抜けた試合が何回もあります。なので、ベンチが大森さんでなくなるのは寂しいです。
寂しいですが、自分はプロだから気持ちを切り替えるしかないですね。プロはチームがコロコロ変わるのは当たり前。結局のところ、プレーするのは自分ですから、自分で考えてコントロールしてやっていくしかない。どんな環境でも勝てる選手は本当に心が強い選手ですし、それを目指します。
−現在は、どのようなスケジュールで活動されていますか?
会社のご厚意で来年の3月まで東京アートの卓球場を使わせてもらえるので、そこで練習することが多いですが、近隣の大学などにもお邪魔して比較的自由にマイペースで練習しています。ペンだし若くないから、毎日ハードに練習するのは無理(笑)。ただし、トレーニングは定期的にしっかり行っています。
試合は6月22日から前期日本卓球リーグ和歌山大会がありますが、その前に(埼玉県)戸田市のオープン戦に出ます。
--えっ!?市のオープン戦に出るんですか?
はい、出ます。優勝したら商品券もらえるので(笑)
それは冗談として、日本リーグの2部は朝の9時から第一試合、午後1時か第二試合と1日中会場にいる感じになるので、そのスケジュールがオープン戦と似ているんです。会場も自宅からすぐなので、日本リーグのウオーミングアップも兼ねて出ることにしました。
−そ、それは吉田選手と対戦できた人はラッキーですね(笑)。最後に今後の抱負をお聞かせください。
まずは、ヨーロッパチャンピオンズリーグに出て、各国を代表するような選手たちに勝ちたいですね。そうすれば、「吉田はまだ強い!」とファンの方たちも喜んでくれると思います。
国内では日本リーグ2部で全勝し、関西卓球アカデミーの優勝に貢献すること。そうして、「どこのチームに入っても吉田はすごい。存在感がある」「吉田がいると優勝できる」と誰もが認めるような吉田海偉を目指していきたいですね。
−これからのご活躍をお祈りしております。本日はありがとうございました。
まずは、戸田市のオープン戦で頑張ってきます(笑)
東京アート休部の衝撃は少なからず吉田に残っているようだったが、インタビューを通して彼から最も強く感じたのは、「試合がしたい」という選手としてごく当たり前の欲求だった。年齢を踏まえれば、所属チームの突然の休部は引退につながってもおかしくないトピックスだが、吉田にラケットを置く気配はみじんも感じられない。この、次々と湧き出るような卓球への純粋な欲望こそが、41歳を迎えた吉田を突き動かしている源泉なのだろう。
「自分は死ぬまでペンドラ」と宣言する鉄人は、どこに行ってもどんなステージでも、これまでと変わらず我々を魅了してくれるに違いない。
(まとめ=卓球レポート)