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「作戦あれこれ」第11回 1つの戦法しかなく敗れたシェラー戦

1つの戦法しかなく敗れたシェラー戦

 初のヨーロッパ遠征

 私は負けた試合をほとんどといってよいほど鮮明に覚えている。そうして次に対戦したときは絶対に負けるものかと、負けた試合を逆にエネルギーにして猛烈に頑張り、それが強くなった大きな原因の1つでもあると思っている。大学1年の1966年2月に初のヨーロッパ遠征をして、シェラー選手(西ドイツ)に負けた一戦もよく覚えている。
 このとき少ない遠征予算であったために、横浜からバイカル号という船で津軽海峡を通って、一面が氷で張りめぐられたナホトカ港に渡り、ナホトカから大きさでは世界的に有名なアムール川が走るハバロフスクまで汽車で行き、そこから飛行機でモスクワ入りをした。モスクワまで短期間で早く着くのに一番安い方法だったらしい。モスクワでゴモスコフやサルホヤンなどのソ連選手と最初に試合をしてから、スウェーデンに渡り、スウェーデン、デンマークを通って西ドイツの国境を越えたのは日本を離れてちょうど2週間目ぐらいだった。
 西ドイツには1965年のリュブリアナ(ユーゴ)世界選手権大会で魔球カットと呼ばれた中国の張燮林に勝ってシングルス3位に入賞した広い守備範囲を持つシェラー選手がいた。スポーツの道を心ざしていて、その道の強豪と手合わせできることは非常に幸せだと考えていたから、西ドイツ入りをしたときは大変嬉しかった。試合は2日目から1日おきに4回行なわれた。試合はすべて世界選手権形式(3人総当たりのスエスリングカップ方式)この頃の西ドイツチームはシェラーの他に、大きくドライブを曲げる左腕のアーント、ハーフボレ―のうまいネスという選手がいた。

 沈むドライブからスマッシュで2勝

 注目のシェラー選手とは、第1戦、第2戦とも対戦する機会を得た。そのとき両面緑色のラバーでフォア側が裏ソフト、バック側が一枚ラバーの異質ラバーを使用していた。そして彼のカットのフォームは日本の耳の辺まで高く上げて振りおろすフォームとちがって、肩の少し下あたりから膝までぐらいの50センチぐらいの小さなスイング。そのかわり打つ瞬間に膝を曲げて手と膝で取るような独特のフォーム。アーント選手の強烈なドライブをスイスイと確実に返している練習をベンチから感心して見ていたものだった。それと生れて初めて世界的に有名なカットマンと対戦することで、はたしてどの程度やれるか心配だった。
 しかし第1戦、第2戦と彼は私の200グラムに近い重いラケットから腰を大きく入れて振りまわす回転のかかった沈むドライブにタイミングがあわずかんじんなところでミスが出て、私は幸運にも第1戦、第2戦は勝つことができた。こちらは全日本チャンピオンといっても18歳、彼は世界3位で追う身の気楽さと追われる立場の差が出たような試合だった。しかし勝ったもののカットを打ち抜いたという試合ではなく、彼はまだ十分に力を出していないと思った。
 そして第4戦に再び対戦する機会を得た。翌日はハンガリーの首都ブタペストに向かうという最終戦であった。私はこの遠征のほとんどがA、B、CのBかX、Y、ZのZで中心選手として出ていたので、7番目だったと思う。私は2勝していることから大観衆が見守る中を自信満々で出ていった。彼は幾分緊張している様子で顔がこわばっているような感じがした。このまま勝たせて新人に自信を持たせるのはよくない、なんとか一勝して阻止しようという心中であったかもしれない。1、2戦の彼の表情とはまったくちがっていた。

 ドライブを封じられて雪辱を果たされる

 私は1、2戦で一枚ラバー側の切れたカットのスマッシュミスが多かったので、フォア側の裏ソフトのカットをねらっていく作戦をとくに意識して臨んだ。彼の方はしっかり動いて凡ミスをなくすように注意していたことと、カットに変化をつけてゆさぶってきた。1ゲーム目はわずかに私のドライブがカットにまさり先取することになった。しかし1、2戦のときよりカットの返球に凡ミスが少なくなっていることははっきりとしていた。1ポイントを奪うのに少なくとも15本から20本のラリーをひかなければならず、体力を消耗する苦しい試合となった。しかも私はストップが下手でドライブからスマッシュの1つの戦法しか残念なことにできなかった。ドライブの変化も慣れられて効果がなくなっていた。守備力対私のドライブからスマッシュ力の勝負となった。早くいえばスマッシュの得点率が51%以上あるかないかの勝負になった。その苦肉の策として長いラリーに持ち込んで相手の集中力がグッと落ちたところを打つ作戦をとった。しかしこれはうまい前後のゆさぶりと短いラリーから低いボールを決めてこそ効く作戦であって1つの作戦だけでは相手に読まれて効くはずがなかった。反対に変化のある重いボールをこれでもか、これでもかと肩に力が入ったドライブをかけているうちに腕が疲れてスピードが落ちうちあぐんでしまった。結局、ドライブからスマッシュで決める1つのパターンしかない私は相手のいいところばかりを見せられ逆転された。
 同時に自分のスマッシュの確実性の悪さとパワーのなさ、それと中学生に笑われるような単純な攻めしかできないカット打ちに大いに反省させられた。とくにこのときの悪いスマッシュフォームを分析すると次のようであった。
・スマッシュを打つ構えのときにすでに脇があいた悪い基本姿勢であった
 ・そのためにスマッシュを打つ瞬間のも脇が離れすぎスマッシュで大切な押しがなかった。また振りの鋭さがなかった
 ・左肩の突き出し方が少ないためにインパクトのときに体がすでに開き手だけで打つ感じになっていた
 ・それとドライブマンに多い、ドライブをかけたためにラケットの出る位置が低く必要以上に回転がかかってしまった。
 このような打ち方でとても重いカットを打てるはずがなかった。

 相手の先を読んだシェラー選手の作戦

 反対に彼は次のようなうまい作戦をとっていた。
 ・フォアカットのチャンスボールをたたいてくる長谷川に対して先に同じフォームから切ったり切らなかったりしたカットを送ってミスを誘っていた
 ・長谷川がスマッシュの構えをとったときは一番取りやすい位置に素早くさがり間合いの取り方がとてもうまかった
 ・変化をつけて少しずつゆさぶっていた。ストップボールの処理の場合は大きくゆさぶって常に相手を動かしていた
 ・それととくに感心したのは試合の前半から中盤はいくら高く上ってきたチャンスボールでもほとんどといってよいほど打たない。15本すぎてからチャンスボールを突如として打つ作戦(そのボールはそれほどスピードがないが、それまでゆっくりしたカットばかり打っていたため鉄の床に足が磁石になっているようで足がついていかなかった)
 ・いくらすばらしいボールを決められても、また決めても表情一つかえず常に冷静さを保っていた
 などのことである。

 この一戦に学ぶ

 世界を代表するカットプレーヤーと初めて対戦していろいろ勉強になることが多かった。とくに強く感じたことを書き出してみることにする。

 一流のカット打ちを目指せ
 ■私はこの頃ジェットドライブといわれるぐらいドライブにスピードがあり、しかも回転がかかっていて恐れられていた。少し強いカットマンとしても3本とラリーが続かなかった。それをいい気にして他のカット戦法を工夫せず、勝てるからといって現状に満足していたために負けた。それはやはり目標が小さかったからである。目標が小さいと創意工夫をしなくなって伸び悩む結果となる。たとえ現在カット打ちがうまくても一流のカットマンに勝てるよう、一流のカット打ちを目指すことが大切である。そうすれば1つの戦法だけがいくらすぐれていてもダメだ、もっと新しい戦法をあみださなければと創意工夫をしてやるようになるから進歩がある。また大きな目標をもってやればどんなに苦しいことでも耐えることができ非常に大切なことである。

 足を止めてはいけない
 ■1つは足の動きが悪くなると非常に危険である。切れているとわかっていながらネットにひっかけたり、切れていないとわかっていながらオーバーミスをしたりしてしまう。それはカットはロングの前進回転とちがって後進回転で角度だけでは飛んでいかない。正確な角度、正確な押し、腰のひねり、安定した下半身でなければ入らないからである。それにはまず第1にボールのところまでしっかり動いて浅いボールのときは前に動いて、深いボールは少しさがり、前後左右にしっかりこまかく動くことがカット打ちの一番のコツである。

 ドライブはチャンスボール作り
 ■ドライブにこだわりすぎるのは非常に危険である。もちろんドライブが効いているのに無理にスマッシュをするのはよくない。しかし広い守備範囲を持つ本格的なカットマンに対しては、やはりドライブはチャンスボールを作るものであって決定打ではないという気持ちを持ってやった方がいいようだ。ドライブにスマッシュまでの役割り(得点源として)を頼ると、どうしても力みが出てドライブの威力が半減してかえってマイナスになり自分の首をしめるようなものである。しかしチャンスボール作りと思えば、1、2戦のときに勝ったようにリラックスした気持ちでやることができ足も動きやすくなりボールに威力が出てくるものだ。スマッシュも打ちやすくなる。このことはドライブに限らず何に対しても同じことで、1つにこだわるとプレーがどうしても萎縮してしまう。

 2バウンドするストップが必要
 ■コートで2バウンドするストップを身につけ、相手を前に寄せつけておいてたたく戦法がなければいけないとこを痛切に感じた。それも相手にストップをやりますよという構えからやるのではいけない。スマッシュあるいは強いドライブをかけるぞという構えを見せて、相手が台からさがりかけたところをストップすることだ。相手は完全に逆をつかれて出足がおくれて態勢がくずれスマッシュが決まりやすい。また相手はストップを警戒せざるを得ないので、ドライブからスマッシュの戦法が大きく生きてくる。

 低いボールをスマッシュ
 ■低いボールをスマッシュする技術が必要ということも強く感じた。そしてときどき相手の意表をつく攻撃をして相手の心理を覚乱させることだ。しかしむちゃくちゃな打ち方をしてはかえって相手に自信を持たれるから、しっかり動いて正確なフォームで打つことが大切。低いボールをスマッシュ、ドライブからスマッシュ、台に寄せておいてたたく、ドライブの変化で攻める、この4つの戦法ができればどんなに広い守備範囲を持つカットマンと対戦しても十分にやれると思う。

 自信を持つ
 ■よいカット打ちをするにはとくに自信を持ってやることが大切。というのはロング対ロングでやる場合は相手に攻撃ミスが多いが、カットマンは凡ミスが少ないし攻撃していかなければならない。そのときに自信がないとミートが弱くなってミスが続出する。またカット打ちをする場合、とくにミートが大切で強い自信を持ってやれば足の動きがよくなって十分な態勢からミートがよくなり、攻撃ミスが少なくなる。

 リュブリアナの世界選手権でベスト4入りをしたとき彼はクールな勝負師と人気を集めた。私も彼は本当にクールなすばらしい勝負師であり、またカットマンの真髄を見せつけられた気がした。


筆者紹介 長谷川信彦
hase.jpg1947年3月5日-2005年11月7日
1965年に史上最年少の18歳9カ月で全日本選手権大会男子シングルス優勝。1967年世界選手権ストックホルム大会では初出場で3冠(男子団体・男子 シングルス・混合ダブルス)に輝いた。男子団体に3回連続優勝。伊藤繁雄、河野満とともに1960〜70年代の日本の黄金時代を支えた。
運動能力が決して優れていたわけではなかった長谷川は、そのコンプレックスをバネに想像を絶する猛練習を行って世界一になった「努力の天才」である。
人差し指がバック面の中央付近にくる「1本差し」と呼ばれる独特のグリップから放つ"ジェットドライブ"や、ロビングからのカウンターバックハンドスマッシュなど、絵に描いたようなスーパープレーで観衆を魅了した。
本稿は卓球レポート1976年1月号に掲載されたものです。

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