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「作戦あれこれ」第12回 相手の先方を早く読もう

■まずいレシーブ

 底冷えのする駒沢体育館で行なわれた'75年の総決算である全日本選手権大会が幕を閉じた。私は'74年の全日本を最後に現役を退き、今回が初めての取材だった。そして観戦しながら初出場の高校1年のときは青森県の村上選手に1回戦でストレート負けしたときのこと、3年のとき(このとき3年生もジュニアの部に出場できた)ランクにも入れず卓球をやめようと思ったときのこと。その後1日8時間から10時間の猛練習と毎日10キロ以上走った大学1年のとき、中学時代からあこがれていた木村選手に勝ち18歳の史上最年少で優勝したときのこと。そして'73年「困難にあったとき逃げると危険が2倍になる。しかし俄然立ち向かえば危険が半分に減る」のチャーチルの名言に励まされて夜中にトレーニングをして6度目の史上最多優勝を獲得したときのこと。などの印象に残っている試合を昔のことのようになつかしく思った。
 全体を見て私の印象は"好試合"で、少し述べたがその他に感じたことは若手が少しずつ伸びてきているが、欧州と比べてパワーが不足している。主戦武器に安定性とパワーをつけなければ世界で活躍することができないのではないか、と特に強く感じだ。
 作戦面では相手の戦法をすばやく読むことのたりなさとレシーブのまずさが非常に目立った。


 相手の戦法を鋭く読もう

 攻撃対攻撃は先手必勝といわれるように、できるだけ多く先手をとることが大事である。ドライブマンであっても消極的な攻撃ばかりですぐに台からさがるようではまずい。積極的な攻撃で先手を取り自分の長所対相手の短所と試合をするのが試合のコツである。だが何も考えないで自分のことばかり考えてやっていたのではいつまでたっても先手をとることはできない。よく集中して相手がどのようなサービスの組み合わせで出してくるか、どのようなレシーブを主にしてどのコースに多く打ってくるか、3球目、4球目の攻めはどのように攻めてくるか、をできるだけ早く読むことが必要である。

 すばらしい河野の読み

 たとえば優勝した河野選手の読み。私から見た河野選手は決して調子がよくなく、80%ぐらいのできだと思った。しかし優勝を決める決勝戦でサービスを持ってスタートして相手を左右に激しくゆさぶった。そのスタートを見て私は、前原はバック側からの攻撃は鋭いがフォアからの攻撃はミスが多いしあまり威力がないと思った。さて河野選手はどうでるかなと思っていた。やはり河野選手もそう考えたのだろう。その後はフォアにドライブをめったにかけないのを何本もフォアに攻めたり、バックハンドのストレートを多く使ったり、強打をフォアに多く打ったり、フォアを主体に攻めて大差をつけて悠々とストレート勝ちをして優勝を決めた。このようにスタートで相手の戦法を読んで相手の攻撃を封じることだ。
 しかしジュニアの試合も一般の試合も次のようなまずい試合が多くあった。その悪い例を紹介しよう。まずい試合をした人の名前をAさん、相手の人をBさんとしよう。Aさんは左利きで中陣から前でプレイすると強いドライブマン。フットワークがいいしネットプレーもうまいし守備もなかなかうまい選手である。しかし台からさがって受身になったときは勝てない。対するBさんもドライブマン。右利きから繰り出すドライブとスマッシュは入ると強烈だが荒い。バックハンド力と後陣での守備力がないために先に攻められると弱い。2人の力を比較するとAさんの方が1枚上である。だからBさんは消極的な攻撃をしたら勝てないと考えサービスから3球目、レシーブから4球目をフォアで動いて得意のドライブで積極的戦法に出た。Bさんとしてはもっとも良い戦法であった。それに対してAさんの戦法は追われる立場から受け身になっているのか、相手が主に小さいカットサービスを出してくるのに対してツッツキ主体の安全第一主義のレシーブを多くとった。払うボールも中途半端でスピードがない。一番危険なまずいレシーブ。そのためにAさんは一番悪い形のロビング態勢に追い込まれて、無理にスマッシュを打ち返すまずい攻め方で大苦戦。最後Bさんの凡ミスに救われたもののほぼ負けている試合であった。Aさんは試合が終わったあと頭を何度もかしげていたが、それは当然のことである。
 本来ならばAさんはスタートでBさんの戦法がレシーブ、3球目を積極的に攻めてきているな。じゃあサービス、レシーブに変化をつけて相手の攻撃を封じて逆に先手をとろうという作戦に出なければいけなかった。多分ときどきくるフォアへのロングサービスが怖かったと思うが、バック前のレシーブを勇気を出して回り込んで鋭く払ったり、コートで2バウンドするストップレシーブを主に相手を前後左右に激しくゆさぶって相手のドライブを封じて逆に先手を取るレシーブ対策。サービスを持ったときも同じように、スピードをつけたドライブロングサービス、と同じモーションから小さい変化サービスで激しくゆさぶり相手の読みを複雑にして足を鈍らせる。先手を奪い相手の弱点のバックを強打または速いドライブで攻める戦法をとるべきだったと思う。このことは攻撃対攻撃の試合で忘れてはならないことだと思う。

 レシーブが下手

 「レシーブは試合の鍵を握っている」と耳にタコができるほど大切だといわれているが、相変わらずまずいレシーブが多かった。とくに台上のレシーブ。たとえば村松はジュニアの部で山本にすばらしい攻撃を見せて優勝したが、準決勝の対石田(三重、高田高)戦はまずい試合だった。石田の思い切った3球目攻撃がよかったこともあるが、1ゲーム目を取られ、2ゲーム目はジュースを繰り返す危ない試合でストレートで負けそうであった。阿部対久世の試合も、阿部は3-2で勝ったもののストレートで負けている試合であった。ロング戦に持ち込めば力は変らないのに負けた人の試合内容の多くは、レシーブのまずさが一番の原因であるように思えた。さきほども書いたがレシーブで一番悪いのは、ツッツキなのか払っているのか、ストップしているのかわけのわからないレシーブのためにそれをねらわれて先にラリーの主導権を奪われて、レシーブになると4本、5本取られていた。これではいくらサービスを持ったときに3本、4本取ったとしても勝てない。もし石田、久世にコントロールがもう少しあったら勝っていた試合内容であったといえよう。

 レシーブのときは2本取ればいい

 私は高校1年のときレシーブが非常に下手でレシーブにまわると5本取られるということはしょっちゅう。ツッツキレシーブしか出来なかったからである。当然、小学生でも出場できる新人戦でいつも2~4回戦で負けていた。
 あまりよく負けるのである日ゲーム練習で、バック側に小さく出されたサービスをフォアでまわり込んで攻めてみた。そうしたら信じられないぐらい4球目攻撃がやりやすくなりリーグ戦の勝率がグーンとよくなった。その後、フォアで攻めるようになって急に試合に強くなって、通過できるとは夢にも思わなかった全日本ジュニアの県代表になれた。しかし打つばかりの単調なレシーブは全国大会では通用せず1回戦で敗退した。が、その後は相手の逆をつくツッツキやストップレシーブ、ナックルレシーブを工夫するようになって進歩した。
 大学1年生のときだった。左利きに対するレシーブが大の苦手で全日本学生選手権の決勝で北村選手にストレートで敗れた。フォアにロングサービスを出してくるのではないかと思ってばかりいたために足がすくんでバック側に回り込めなかった。そのためにバック側に来たサービスはほとんどツッツいて返し3球目攻撃をされたからだった。その敗戦から私は次のように考えた。相手がフォアにロングサービスを出してくるのは10本のうち2本か3本しかこない。それに気をとられて8割近くくるバック側のサービスをツッツくのは下手なレシーブの考え方である。相手の思うツボだ、ということをやっと悟った(大学1年にもなって...)。その後バック側のサービスを思い切って回り込めるようになって左に対して急に強くなり、その年に国内でもっとも苦手だったサウスポーの木村選手を破って史上最年少の全日本No.1になることができた。

 欲ばりすぎるな

 レシーブで5本全部取ってやろうと欲ばり過ぎたときもダメだった。どうしても消極的になって入れるだけになるからだ。そんなときに限って逆に5本全部取られるということが多々あった。それよりもレシーブのときは2本取ればいいんだという気持ちでやるようになってからよくなった。ミスを怖がらなくなって自分の考え通り思い切ったレシーブができるようになったからである。このように練習や試合から自分の戦型にあったレシーブと性格にあった気持ちの持ち方をすれば、弱い人でも徐々に強くなれることがわかっていただけたかと思う。このコースにきたらショートしかできない、ツッツキしかできないというのではそこばかり攻められて話にならない。
 半年前に河野君とコーチに行ったとき、高校生から河野君がサービスの質問を受けたときに「同じモーションからどのコースへも最低3種類以上を出せなければ相手の心理を複雑にすることができずうまいサービスといえない。それはすべてにいえることだ」と答えていたが、レシーブにもおおいにそれがいえる。とくに女子はバック側の小さいレシーブをなぜフォアで回り込んで攻めることをまぜないのだろうと強く感じた全日本だった。


筆者紹介 長谷川信彦
hase.jpg1947年3月5日-2005年11月7日
1965年に史上最年少の18歳9カ月で全日本選手権大会男子シングルス優勝。1967年世界選手権ストックホルム大会では初出場で3冠(男子団体・男子 シングルス・混合ダブルス)に輝いた。男子団体に3回連続優勝。伊藤繁雄、河野満とともに1960〜70年代の日本の黄金時代を支えた。
運動能力が決して優れていたわけではなかった長谷川は、そのコンプレックスをバネに想像を絶する猛練習を行って世界一になった「努力の天才」である。
人差し指がバック面の中央付近にくる「1本差し」と呼ばれる独特のグリップから放つ"ジェットドライブ"や、ロビングからのカウンターバックハンドスマッシュなど、絵に描いたようなスーパープレーで観衆を魅了した。
本稿は卓球レポート1976年1月号に掲載されたものです。

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