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「作戦あれこれ」第105回 我流では大成しない

 現在、私は卓球レポートの原稿を書くかたわら各地で講習会をおこなっている。その関係で常に各地の若い選手たちの卓球のレベル(体力や練習法も含む)に触れることができる。
 今回は、その経験の中から、最近強く感じていることを述べてみたいと思う。

 手打ちの選手があまりにも多い!

 各地の講習会に行き、今感じているのが「我流のフォーム(自分勝手な打ち方)が多いなー」ということ。せっかく卓球が好きで、よい素質をもっていても、良い指導者もなく自分で卓球レポート等を参考に良いフォームを作りあげることの大切さを知らないため「残念ながら、このままではいくら練習しても将来性はないなぁ」と感じる選手のなんと多いことか! 
特に多いのが「入ればいいや」と、からだ全体を使わず手先でけで打つ、いわゆる手打ちの選手。
 なぜ手打ちが悪いか、というと
①合わせて入れているだけの時はいいが、強く打とうとする時フォームが大きく変わり入らない
②相手ボールに対してタイミングが合わせずらく、強弱や回転の変化に対して弱い
③重心移動がないため、速く正確に動いて打てない
④特にカット打ちができない
⑤腕だけのスイングのため、スピードが出ない
...というような欠点が必ずでて、ある程度のレベルまではいっても壁につきあたって伸び悩んでしまう。
 特に地方の選手や指導者のいないチームの選手は、必ずといっていいほどどこか我流の悪いクセがついてしまっている。

 人の優れた技術を盗め!

 このような選手に、今、声を大きくしていいたいのが「人の優れた技術を盗め!そして、同じ卓球をやるなら一流を目指せ」ということである。
 優れた技術、それも一流選手の優れた技術を盗む(参考にマネする)ことで、誰の前にも将来への可能性が大きく広がってくるのである。
 読者皆さんは、一流になった選手たちがどのようにして強くなっていったか知っているだろうか?
 猛練習によって強くなったことはいうまでもない。が、強くなった選手の話を聞くと「誰々選手の技術を参考にして...」という言葉が必ず出てくる。
 強い選手といえども自分一人で考えて強くなったわけではない。むしろ、強くなった選手ほど、自分の体格やグリップ、戦型等と同じ選手の話をよく聞いたり、技術を盗んだりする名人である。これは、現日本チャンピオンの斉藤・星野両選手についてもいえることである。
 さて、それでは「人の技術をどのように盗んだらいいか」の参考として、私がどのような方法で練習したかを紹介しよう。

 兄が買ってきた卓球レポート

 私が「この人のマネをしよう」と初めて他人(ひと)の技術を盗んだのは中学校(名古屋市立守山中学)の時。一年先輩のサウスポー選手の技術だった。
 この人のフォアロングのフォームが正確できれいだったため、私は一生懸命マネをした。が、すぐ「どうせやるなら将来一流選手になりたい」と感じ、そのためには「ぜひもっと強い選手のマネをしたい」と考えた。
 今考えると、その時、すぐ私がそう考えたのは幸せだった。というのは、いくら上手に見えても中学校の選手と一般の一流選手では、フォームから何から雲泥の差があるからである。
 しかし、そうは思ったものの「ではどうしたらよいか?」になると、私は悩んでしまった。身近にそういった選手がいなかったからである。私の父も兄も卓球をしていたが一流選手ではなかった。
 その時、偶然にも私は自分の一生を決めるほどすばらしい本に出会った。それは兄が買ってきた"卓球レポート"であった。
 現在私は卓球レポートの編集にたずさわっているため、結果として宣伝めいて恐縮だが、これはけっして宣伝でなく、本当に幸運なできごとだった。
 当時の卓球レポートは、まだ創刊5年目ぐらいの若い本で、今より薄く写真の数も少なかったが、その本に色々な一流選手の写真が連続写真でのっていた。私は飢え死にしそうなところへ温かいおいしい料理を出されたような気持ちで、隅から隅までむさぶりつくように何回も繰り返して読んだ。

 松崎選手のマネをして

 卓球レポートに載っている選手の写真はどれもすばらしく美しいフォームだった。特に、この時私はフォアハンドロングを盗みたかったので、女性ながら2度世界チャンピオンになった松崎キミ代選手の美しいフォアロングフォームに魅せられた。
 当時、私はすでに1本差し(シェークで裏面の人指し指が中央にくる)グリップだったが「体の軸がくずれないこの腰の使い方、フリーハンド等松崎選手のフォームが自分に一番あっている」と感じ、4コマの連続写真を見ながら、足、腰、かかとの使い方、重心移動、フリーハンドの使い方、フィニッシュの位置等、松崎選手の技術を盗もうと、それこそ暗記するぐらい一生懸命マネをした。
 学校に行っても、フォアの乱打、素振り、ゲーム等、常に松崎選手のフォームを意識した。あまり松崎選手のフォームが頭に強く残り、時には素振りをする時鏡に写った自分の顔が松崎選手に見えてくるほど...。
 そして、幾日かするとあれほど不安定だったフォアハンドが日に日に安定し、自分でも「もしかすると、将来自分も一流選手になれるのでは」と、明るい希望がわいてきた。おかげで毎日の練習が楽しくてしかたなくなってきた。

 卓球の本を活用しよう!

 同じように、ドライブマンを目指した私は当時「フォアドライブは世界一」といわれた木村興治選手('61年世界複No.1)のドライブを、やはり卓球レポートの連続写真から盗み、バックハンドが必要になった時は「バックハンドの名手」といわれた高橋浩選手('63年アジアNo.1)のバックハンドを盗んだ。つまり、私の基本技術は当時の一流選手の得意技術を寄せ集めたものであり、当初はそれを目標としてやっていた。
 その後、自分の体格や特徴、戦術やグリップ等を考慮して、バックスイングやフォロースルー等多少の改良を加え、自分自身の技術として完成するよう努力してきたわけだが、何といっても卓球を本格的に始めるスタートの時点で一流選手の体の使い方等をそっくりマネし、我流の悪いクセをつけなかったことが大変よかったと今でも強く感じている。
 日ごろ、一流選手のフォームに触れるチャンスの少ない皆さん。卓球レポートに限らず、卓球の本を読み、連続写真からよいフォームを盗むことは"将来を決める"といっていいほど非常に大切!ぜひ、この卓球レポートを最大限に活用してください。



筆者紹介 長谷川信彦
hase.jpg1947年3月5日-2005年11月7日
1965年に史上最年少の18歳9カ月で全日本選手権大会男子シングルス優勝。1967年世界選手権ストックホルム大会では初出場で3冠(男子団体・男子 シングルス・混合ダブルス)に輝いた。男子団体に3回連続優勝。伊藤繁雄、河野満とともに1960~70年代の日本の黄金時代を支えた。
運動能力が決して優れていたわけではなかった長谷川は、そのコンプレックスをバネに想像を絶する猛練習を行って世界一になった「努力の天才」である。
人差し指がバック面の中央付近にくる「1本差し」と呼ばれる独特のグリップから放つ"ジェットドライブ"や、ロビングからのカウンターバックハンドスマッシュなど、絵に描いたようなスーパープレーで観衆を魅了した。
本稿は卓球レポート1985年3月号に掲載されたものです。
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