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わたしの練習⑳渋谷五郎 14年間やってきたという誇りと情熱で

 強くなるためには他人より一球でも多く、激しく、合理的に、そして計画的に練習しなければならない。
 いまここで私の現在の練習状況を書いたとしても、強くなりたいと思っている読者諸君にとっては、ほとんど参考にならないかも知れない。それ故、私の過去14年間の競技歴をふりかえりつつ書こうと思うが、それとてもたいしたものにはならず申し訳ないが、まあ小説でも読み流すぐらいの気持ちで目を通していただければ幸いと思う。
 また文中で何か心にさわるものがあれば、その底にあるかも知れない何かを探り出し、自分のものにしていただきたいと思う。

 ◇練習時間および練習中における心

 社会人生活5年目ともなると、練習に対するいろいろな障害も出てくる。会社での業務、子一人持つ家庭生活と卓球という具合にいずれも満足させることは、非常に難しいものだと感じている。更に卓球を始めた中学時代から卓球だけに時間をとられ、ほとんど自分の時間を持てなかったので、自由な時間を持ちいろいろ勉強もしてみたい、等々現在の私にとってはいずれも欠かしたくなく、1日24時間が少なく感じられる。(これから強くなる諸君は、わき目もふらずに卓球一途に打ち込んでもらいたい。)だから、卓球にかける時間も必然的に少なくなる。
 3年前、自分の卓球が峠を越し、また身体上の故障もあったとはいえ、世界にかけた夢が北京大会においてあえなくつぶれるという、私に与えられた唯一のチャンスをとらえることができなかった。夢破れた私にはもはや目標がないし、目標のない者には進歩がないのである。
 諸君は小さくてもよいから、必ず目標を持たなければならないのだ。現在の私にはそういう意味で目標なく、進歩もないが、まだ卓球を続けているのは卓球に対する愛情があるからである。崩れかかっているような私の卓球を支えているものは、14年間一生懸命やってきたという誇りと情熱である。
 このように考えてくると、卓球生活において、卓球への情熱がどんなに大きな役割を果たしているか驚かざるを得ない。
 だいぶ横道にそれたが、現在の私の練習時間は不規則ではあるが、普通週3日、1日1時間半ないし2時間というところである。試合が近づいた時は、できるだけ都合をつけて、大体週5日ぐらいである。諸君にとっては全くお話しにならないような練習時間である。私も学生の頃はよくやったものであり、年中休みなく、日によっては朝の3時頃から起き、夜は12時過ぎまで練習したこともある。とても現在のような練習時間は考えられなかったが、いまはそれで間に合わせようとしているのである。それ故、強くなることはとうてい無理で、いかにしたら落ちるのを最小限にくい止められるかが主眼みたいになってくる。
 それでこのような短時間の練習でも、現在どうにかやっておられるのは、過去の蓄積と経験、加えてそれ相応の練習方法、気のくばり方をしているからだと思っている。自分のいまの調子はどんなものか、どこが悪いか、どうしたら一番早くもとどおりになるか、またもっと調子をよくするためにはどうしたらよいか、等々よくわかるからである。そして短い時間ではあるが、練習項目に対して計算して時間を割り当てるのである。
 高校、大学時代は1日でも練習を休むとおかしかったし、また毎日練習しなければ気がすまなかった。
 現在は短い時間を最も有効に練習しなければならないので、一本でもおろそかにできない。一球一打に全神経を集中し、いま打った球の打球感、フォーム等を瞬間的に考えながら練習している。
 長時間練習するとき、おうおうにして途中でダレて、ただ何となく練習することがあり、こんなときは調子を崩す原因ともなりかねないし、むしろやらないで休んだ方がよい。人間であるから、長時間緊張しつづけることは大変であり、適当に休んで、よく考え、次の練習に備える方がよいと思われる。ただ、いつ休むかを決めるのが難しく、絶対自分を甘やかしてはならない。高校生ぐらいでは、むしろ練習中に休むなどと考えることはよくなく、指導者がよく見て決めるべきであろう。その頃の年代は無理がきくし、また少しぐらい無理をした方がかえって好結果が得られるかも知れない。(体をこわさない程度に)
 練習時間の長短もさることながら、それに対する場合の心構えはそれ以上に大切なのである。

 ◇練習方法

 現在の私の練習方法は、ほとんど基本練習抜きのゲーム主体である。いかに過去の蓄積があり、自分の型ができあがっているとしても、基本練習が必要なことはよくわかっているが、なにしろ短時間のためにまず動きがにぶくならないよう最も気をつけている。そしてゲームをしながら、基本練習不足を少しでも防ぐことを考えて練習している。カットマンにとっても、動き、フットワークがにぶることは致命的なものだから、手を伸ばすと間に合うボールでも極力足を使ってカットするし、その他打球点、ミート、フォームに気をつけるかたわら、自分のボールの調子をよく観察しているわけである。いろいろなことを考え、観察しながら練習するのは難しいが、なれたら割合要領よくできる。
 ゲームは、基本が一つ一つ組み合わされ、総合されたものである。最近はあまり調子が崩れることがなくなったが、それでもゲームをしながら少しでも狂うと、基本練習をしてすぐ調子をもどすという方法をとっている。
 最近調子があまり崩れないということは、よくとったら自分の卓球がすっかり固まり、完成されて、安定したとも考えられるし、悪くとったら、調子をよくすることはできても、強さ、鋭さがなく、進歩することがないとも考えられる。未完成の技術が多ければ多いだけ、その分、まだ上達する可能性が残っているわけだから、諸君が指導者におこられたり、欠点を指摘されたり、教えられたりすることが多いといっても、決してがっかりしたり、自信を失ってはならず、現在よりまだ強くなるわけだから、より以上のファイトを持って頑張るべきである。
 練習方法は各上達段階、時間の長短、そのときの調子、試合のあるなし、等によって違うのでいちがいにどの方法がよいと決めることはできない。一流選手ともなれば、よく考えて練習方法を決められるが、そうでない人は指導者に見て決めてもらった方がよいだろう。もちろん基本練習は絶対欠かせなく、時間に占める割合も大でなければならない。

 ◇トレーニング

 現在の私はほとんどトレーニングはしていない。トレーニングの必要なことはよくわかっているのだが、前途のように何しろ時間の余裕がないものだから、ボールを打っている時間だけで精一杯という感じである。おかげでトーナメントの大会などではすぐバテるし、2日でも続くものなら2日目は疲労が残っててんでだめである。学生時代はトレーニングも十分したし、疲れて試合に負けるなんてことはなかったが、いまではこのような状態である。ただ体の柔軟性だけは失わないように、随時体操はしている。諸君は、もし時間に余裕があれば、そして強くなり試合に勝ちたいと思うならば、ランニングから始まる一連の効果あるトレーニングをした方がよいだろう。トレーニングは、ただ体力をつくるばかりではなく、非常に効果のあるものである。今更ここで述べるまでもないが。

 ◇日常生活において

 ラケットを握ってボールを追いかけているときだけが練習ではない。真に卓球を愛し、強くなろうと思っているならば、日常生活における諸々の行動を、卓球上達のための一手段とするべきであろう。私は学生時代は、つま先でプレーするために、普通歩くときでもつま先で歩くくせをつけたし、風呂の湯につかっているときでも手首を強くしようとして訓練した。なんとか少しでも強くなりたいと思って努めたが、その直接的な効果というものはどのぐらいあったかわからないけれど、卓球への追求心、執着心といったような精神的なものへ果たした役割は大きいと思っている。

 以上「わたしの練習」を書いてみたが、現在の私の練習はあまりにも内容がなく、したがって変なものになってしまった。
 諸君は大きな目標の下に一歩一歩確実に前進して下さい。勝者は必ずそれ相応の練習をしているのだ。

しぶたに ごろう
一枚ラバーのシェーク選手。昭和34年度全日本硬式選手権者、昭和39年度全日本軟式選手権者。昭和36年の世界選手権北京大会に出場し李富栄(中国)に3-2で惜敗した。明大出、八幡製鉄勤務。

(1964年12月号掲載)

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