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世界一への道 長谷川信彦 
人の3倍練習し、基本の鬼といわれた男 10【最終回】

 独特な一本差しグリップから放つ「ジェットドライブ」や、ロビングからのカウンターバックハンドスマッシュなど、絵に描いたようなスーパープレーで世界を魅了した長谷川信彦。
 運動能力が決して優れていたわけではなかったが、そのコンプレックスをバネに想像を絶する猛練習を行って世界一になった「努力の天才」であった。【前回の記事を読む】【第1回から読む

文=田中大輔 監修=辻歓則
※この記事は月刊卓球レポート2003年1月号を再編したものです


絶対に負けられない

 そして迎えた団体戦決勝、相手は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)。試合前の予想では、北朝鮮が有利かと見られていた。だが、この試合に勝たなければこれまでやってきたことがすべて無駄になってしまう。選手も応援もみんな必死だった。
 日本はトップの河野が、北朝鮮の金昌虎に負けてリードを許してしまう。2番手は信彦、相手は鄭良雄。
「この試合は絶対に負けられない。どうしても勝ちたい」
 極度の緊張のためか、信彦にはコートに霞(かすみ)がかかって見えた。試合が始まってからも体が思うように動かない。序盤は一方的に攻められ、1-6と離されてしまう。だが、中盤になるとようやく調子を取り戻し、そこから強烈なドライブが決まりだした。そしてついに11-11と追いつき、第1ゲームを21-17で押し切った。第2ゲームは鄭良雄の速攻に対してジュースで落とすが、最終ゲームは出足からリードし、21-16で勝利。貴重なポイントを挙げた。(編集部注:当時は1ゲーム21ポイントの3ゲームズマッチ)

長谷川信彦(左) 対 鄭良雄

 3番手の鍵本は、マイペースで朴信一を倒し、日本は2-1と逆にリードした。
 4番手、再び信彦の出番だ。相手はトップで河野に勝っている金昌虎。
「みんな調子がいいみたいだ。俺も今日は足もしっかり動くし、ドライブも絶好調だ」
 しかも金昌虎とは今までに3回対戦して1度も負けていない。信彦は1試合目で勝ったことから自信満々でコートに入った。
 今度はコートが霞んで見えることもなかった。この試合は、先程とは逆に序盤からサービス、3球目ドライブがよく決まって6-0とリード。後半に追い上げられたもののドライブの打ち合いで何とか競り勝ち、21-18で1ゲーム目を取った。だが第2ゲーム、信彦は油断したのか、前半からドライブをカウンタースマッシュされるようになり、逆に18-21で落としてしまう。最終ゲームも勢いに乗った金昌虎の速攻を最後まで止めることができず14-21と敗れ、団体戦での初黒星を喫してしまった。
 信彦は金昌虎に負けたことでショックを受け、ドッと疲れが出てしまった。そこで5番と6番の試合が行われている間に、スウェーデンのマッサーにマッサージをしてもらった。
 その間、日本は5番手の河野が勝ち、6番手の鍵本が敗れて3-3のタイになった。再び3-3の場面で、信彦の出番が回ってきた。相手は朴信一。
「大事な決勝戦でもうこれ以上負けるわけにはいかないんだ。そのためには何としても第1ゲームを取るんだ」
 だが、先ほどのマッサージがどうやら体に合わなかったようで、信彦は筋肉の調子を崩してしまった。
 さらに、再びものすごいプレッシャーが信彦をおそった。1試合目と同様に、出足からレシーブミスや、ドライブのミスで0-8と離されてしまったのだ。しかし、またもや信彦の逆転劇が始まる。ドライブが決まりだし、じりじりと追い上げ、ついに9-10から信彦が打ったドライブを朴信一がミスして10-10に追いついた。追いついても信彦は攻め続け、このゲームを21-16で何とか奪った。
 第2ゲーム。このゲームは序盤から信彦が攻めて10-6とリードした。だが、この日3試合目ともなるとさすがに疲れてきた。信彦は朴信一の踏ん張りの前に14-14と追いつかれた。
「この試合で最後だ。何とか力を振り絞ってドライブを打っていかなきゃ」
 そこから信彦は再びドライブの連打を相手のコートに叩(たた)き込んだ。1本取るのに15回以上のラリーが続く。18-16から続けざまに強打を打ち込み、21-16と勝利。貴重な1ポイントを挙げ、優勝に王手をかけた。

朴信一

 8番手は、鍵本対金昌虎の試合となった。日本のベンチは必死で応援した。試合が終わった信彦も必死で声援を送った。そしてついに最後の1本を金昌虎がネットに引っかけ、3時間45分の熱戦が終わった。

鍵本肇(手前) 対 金昌虎

あともがんばれ
 日本の優勝が決まった瞬間、満員の観衆から歓声が上がり、選手たちの目からは涙が流れ出していた。もちろん信彦もみんなと一緒に喜びの涙を流した。
「全日本チャンピオンになったときから、世界選手権大会の団体戦で優勝するために練習してきたようなものだ。もうこれで、全日本チャンピオンとしての自分の責任を果たすことができたんだ。後藤先生や木村さんにも恩返しができた。もう個人戦は、どうでもいいや」

1967年世界選手権ストックホルム大会
男女団体で日本が優勝

 実は信彦は、世界選手権大会が始まってから1度も個人戦の組み合わせを見なかった。団体戦に集中するためである。
 だが、個人戦が始まって2日目、家族から電報が届いた。そこには、ローマ字でこう書いてあった。
「OMEDETOU ATOMOGANBARE」
 おめでとう、あともがんばれ......
 個人戦はどうでもいいと考えていた信彦は、これを読んで驚いた。家族が自分のことをどれだけ思ってくれているのかが伝わってきた。
「俺を応援してくれる家族のためにも、個人戦もがんばろう。よーし、1球だって無駄にするもんか」
 信彦は心にそう決めて、シングルスの試合に臨んだのだった。
「10日間の大会中にあきらめたり、気を抜いたりしたボールは1球もない。転んでもいいから、どんなボールでも追いかけるようにした」

長谷川信彦のフォアハンドドライブ
その威力から長谷川は「ミスター・ドライブ」と呼ばれた

世界の頂点へ
 家族からの電報で、気を引き締め直した信彦は、快調に勝ち進んだ。結局1ゲームも落とさずに決勝まで勝ち進んだのである。
 決勝戦の相手は何と同じ日本選手で、団体戦でも共に戦った河野満だった。だが、河野は信彦にとって一番嫌な相手だった。河野とは今まで13回試合をして全勝。数字だけ見れば得意な相手だが、その分絶対に負けてはいけない相手というプレッシャーがのしかかる。
「もしこの試合で負けてしまったら、今までの13勝がすべて水の泡だ」
 そして、ついに運命の決勝戦が始まった。第1ゲームは信彦が快調に攻めて簡単に取った。第2ゲーム、序盤は第1ゲームと同じような展開だった。しかし後半、信彦のループドライブに河野のブロックやカウンタースマッシュが合いだした。最後は19-21で河野がこのゲームをものにする。第3ゲームになると2人のラリーは激しさを増した。信彦もドライブだけでなく強打を打ち込み、素晴らしいラリーの応酬となった。だが、ジュースにもつれ込む大接戦の末、最後はネットインが決まって20-22と河野がゲームを取り、世界チャンピオンにあと一歩と迫った。信彦は試合中、「河野には負けられない」という大きなプレッシャーに常にさらされていた。

決勝の相手は河野満(向こう側)だった

 第4ゲームも同じように点差が離れないまま進んだが、9-9になったあたりから河野に焦りが見え始めた。
「これまで1度も勝ったことがない長谷川に初めて、しかも世界選手権大会の決勝で勝てるかもしれない」
 河野が焦っているのが信彦にもはっきりとわかった。このゲームの中盤から、河野に攻撃のミスが増え始めたのだ。勝ちを意識したために、力が入ってしまったのだろう。信彦はこの試合で初めて「いける」と思った。21-14で取り、試合は2-2のファイナルゲームへともつれ込んだ。
 そして5ゲーム目、泣いても笑ってもこれで最後。信彦には1球1球が、とても重く感じられた。勝ちを意識しまいとしても、どうしてもミスが怖くなる。思い切りボールを打っても、全然ボールにスピードが出ないように感じる。だが、やはりこのゲームも河野の攻めにミスが出て、信彦は18-12とリードした。
「まだ油断しちゃだめだ」
 信彦は何度も何度も自分に言い聞かせ続けた。最後まで動き続け、そして攻め続けた。
 最後の1本が決まったとき、信彦はうれしさと同時にホッとした。同士打ちだったこともあり、あまり大きく喜びを表すことはできなかった。
 だが、表彰式が始まり、表彰台の一番頂点に立ったとき、満足感が込み上げてきた。
「自分は世界一になったんだ」
 まるで地球で一番高いところに立っているような気分だった。

決勝を終えた長谷川信彦(向こう側)と河野満


 ついに信彦は世界チャンピオンになったのだ。体は小さく、運動神経も悪い。だが、誰よりも卓球が大好きで、家族や恩師への感謝の気持ちを大切にした。そんな少年がトレーニングと基本の鬼となり、世界一へとたどり着いたのだ。人の3倍努力して......。(完)


Profile 長谷川信彦 はせがわのぶひこ
1947年3月5日 ー 2005年11月7日。愛知県瀬戸市出身。
1967年世界卓球選手権ストックホルム大会男子シングルス優勝。
一本差し右シェーク攻撃型。快速ドライブとバックスマッシュ、ロビングで18歳で全日本制覇。20歳で世界制覇。全国優勝29回、アジア優勝20回、世界優勝5回。

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