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世界一への道 河野満 
究極の前陣速攻選手 6

 世界チャンピオン、河野満。長い間「優勝候補」とささやかれながらも、世界はおろか、全日本でも優勝を逃し続けてきた河野。そんな苦難の時を乗り越え、30歳にしてついに世界の頂点に立った。
 ただ黙々と努力を重ね、己の限界に挑戦し続けた、河野満の足跡を追う。【前回の記事を読む】【第1回から読む】

文=川合綾子 監修=辻歓則
※この記事は月刊卓球レポート2001年4月号を再編したものです

宣言
「河野、世界選手権に出ないか」
 突然の野平さんの言葉に、河野は仰天した。自分が世界選手権に。河野の驚きをよそに、野平さんは話し続ける。
「次の世界選手権は再来年の4月だ。出場するには、来年の全日本で3位になれば大丈夫だろう。なあ河野、一緒にがんばろう」
 野平さんの自信満々の声を聞きながら、河野は自分の中にむくむくと闘志がわき上がるのを感じていた。よし、やってやろう。全日本で3位になって、世界選手権に行くんだ!
「野平さん、がんばります。絶対に世界選手権に行きます!」
 河野ははっきりと宣言した。

世界を目指して
 再来年の世界選手権に出るためには、来年冬の全日本で結果を残さなければいけない。猶予は2年。これから2年間をどう過すかで運命が決まる。練習計画が重要だ。
 河野と野平さんは、これからの練習計画について話し合った。
 最初の1年はフォアハンドの攻撃力とフットワークの強化。そして、あとの1年で河野の持ち味であるバックハンド技術を完成させる。これが、二人の決めた作戦だった。
 計画に従って、猛練習が始まった。最初の1年はフォアハンドとフットワーク。足を使ってオールフォアで攻めまくり、何本も連続してスマッシュを放つ。それは非常にハードな練習だった。しかも、1年生の河野は、練習場の掃除はもちろん、先輩の着替えや道具を用意したりせねばならない。練習と上下関係でへとへとになりながらも、毎日のランニングも欠かさなかった。こうして河野は、ひたすら目標を追うのだった。

批判
 こうして迎えた大学1年生の全日本選手権大会。オールフォアで戦った河野は、5回戦で姿を消した。
「高校時代はバックハンドを振っていたのに、今回の戦い方はどういうことだ?」
「河野の卓球はダメになった」
 さまざまな批判を浴びながらも、河野はぐっとこらえた。今はいい。これでいい。俺が見据えているのは来年の全日本、そして世界なのだから。

昭和40年度全日本卓球選手権大会
河野(向こう側)は5回戦で長谷川信彦にストレートで敗れた


 周囲の声を振り払うように、河野はますます練習に打ち込んだ。今度はいよいよバックハンドをものにするのだ。この1年間でみっちり鍛えたフットワークを利用して、威力のあるバックハンド攻撃を仕掛ける。フォアハンドの連続スマッシュだって、もっと威力を増してやろう。自分のスタイルの完成を目指し、河野はがむしゃらに練習した。
 本当にバックハンドをものにできるのか、時間が足りないのではないか。不安はあった。しかし、迷っているひまはなかった。自分を信じ、一緒に計画を立てた野平さんを信じて、河野はバックハンド修得に取り組んだ。
 こうして1年が過ぎ、いよいよ勝負の日がやって来た。

3位になれば......
「ここで3位になれば、世界選手権に行ける」
 そう思うと、緊張感で気持ちが引き締まる。全日本選手権大会を迎えた河野は、闘志を燃やしながらコートに立った。
 初戦の相手はカット主戦型。河野が最も苦手とするタイプだった。
「嫌だな。ツイてない」
 頭に浮かんだ思いを、河野は急いで振り払った。やれるだけのことはやってきた。余計なことは考えずに、全力を尽くそう。
 河野は、確実に実力を培っていた。苦手のカット主戦型を相手にしても、その攻撃力が鈍ることはなかった。
 続く2戦目、3戦目もカット主戦型に当たるという不運にもかかわらず、河野は次々と勝ち上がっていった。そして、目標の3位に見事入賞したのである。

昭和41年度全日本卓球選手権大会の準決勝
河野(向こう側)は長谷川信彦に敗れたが目標3位に入賞
自在に繰り出される両ハンドや、フットワークの強化による
ピッチの速さは、並み居る選手の中でも際立っていた

負ければ日本に帰れない
「おい、河野」
 全日本選手権で3位になった直後、河野を呼びつける人物がいた。日本のナショナルチームの監督、荻村伊智朗である。荻村は厳しい調子で河野に尋ねた。
「河野、世界選手権に行く気はあるか」
「はい、あります」
 河野はもちろん即答した。しかし、続く荻村の言葉に河野は耳を疑った。
「もしも優勝できなければ、もう日本には帰って来ないぞ。それでも行きたいか」
「......すぐには返事できません」
「今すぐに返事してくれ。返事がなければ、今回の選手団には選ばない」
 当時の日本は強かった。前々回63年の世界選手権は4種目に優勝、前回65年の世界選手権は2種目に優勝。しかし、男子団体という花形タイトルは8年前に取ったきりである。日本としては、なんとしても団体優勝がほしかった。そういう事情で、荻村は選手の発奮を図ったのだった。
 しかし、河野にしてみれば「負ければ帰れない」というのでは、あまりにもリスクが高すぎる。河野は迷った。しかし、せっかくのチャンスをあきらめることはできなかった。
「わかりました。負けたら帰って来ないつもりでがんばります。よろしくお願いします」
 あまりにも重い決断に青ざめながらも、河野は荻村の目を見据えて返事をした。

合宿
 世界選手権選手団に選ばれた河野には、強化合宿がまっていた。そこで初めに行われたのは、意外にも「勉強会」だった。
 大会が行われるスウェーデンのストックホルムの気候や風土、生活や食べ物、そして言葉。一見、卓球には直接関係がないように思われるこれらのことが、指導陣によって選手に教え込まれた。慣れない海外で、コンディションを崩さないためである。
 もちろん卓球の練習も行われた。一流の指導陣に教わるシステム練習の方法など、河野にとっては新鮮な発見がいくつもあった。
 数度の合宿を重ね、選手団はストックホルムへと出発した。(次回へ続く)


Profile 河野満 こうのみつる
1946年9月13日生まれ。青森県十和田市出身。ペンホルダー表ソフト前陣速攻型。
1967年から1977年まで日本代表として世界卓球選手権大会に出場。
1975〜1977年全日本卓球選手権大会男子シングルス優勝。
1977年世界卓球選手権バーミンガム大会男子シングルス優勝。

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