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坪井勇磨インタビュー(後編)

 アスリートには、それぞれの競技人生の中で大きな選択を迫られるターニングポイントがたびたび訪れる。そのときの判断がその後の競技人生を大きく変えることも少なくないだろう。進学か、就職か。国内か、海外か。アマチュアか、プロフェッショナルか。引退か、続行か......。
 このインタビューシリーズでは、今、転機を迎えている選手たちに焦点を当て、なぜその道を選んだのか、その決意に至った理由に迫る。
 今回は、東京アートの休部という不測の事態に襲われ、ドイツ・ブンデスリーガへの挑戦を決めた坪井勇磨(東京アート)にインタビューを行った。
 後編では、ドイツ・ブンデスリーガとの契約に至るまでの経緯、今後の課題と目標などを聞いた。

--休部が決まって、何かアクションは起こしましたか?

 休部が正式に決まってから一番最初に連絡したのは自分の親で、その次が森薗さん(森薗政崇/BOBSON)でした。一番仲が良くて、一番尊敬している先輩で、プロとしてやってらっしゃるので、実際に僕でもプロでやっていけそうかどうかという相談をしたんですよ。
 僕の気持ちは決まっていたんですが、客観的に自分がプロとしてやっていけるレベルかどうかってことを知りたかったんですね。そしたら、森薗さんは「お前もいけるよ。早くこっちに来いよ!」みたいな感じで言ってくださって、具体的なアドバイスもいただくことができました。
 それで、すごく参考になったのと、自分の中で楽になったんですね。それから、海外リーグでのプレーも視野に入れて、青森山田高校時代の恩師の板垣先生(板垣孝司。ブンデスリーガ・ケーニヒスホーフェン監督)に連絡を入れたら、開口一番「お前、遅いよ」って言われて(笑)
 それから、梅村さん(梅村礼/タマス・バタフライ・ヨーロッパ)につないでもらって、「とりあえず海外で練習と試合がしたいです」とだけお伝えして、チームを探してもらうことになりました。

坪井はブンデスリーガ2部との契約が決まった経緯をユーモアを交えて話してくれた

--アクションを起こしたのは早かったんですね。

 はい。東京アートの中では僕が一番早く動き始めてたんですよ。あとのみんなは休部が決まってから1カ月くらい放心状態だったんです。ただ、ちょっと焦ったのが、あとから動き出した卓さん(高木和卓)や吉田さん(小西海偉)や村松(村松雄斗)の方がポンポン決まっていったんですね。みんな、世界で名前が通っている選手なので当然といえば当然なんですが。
 それで、僕の方はベルギーリーグの話があったんですが、ビザに関する交渉でつまずいて、次に、フランスリーグの1部チームの話があって、「テストしたいから、来週こっち(フランス)に来てほしい」と言われたんですが、僕のパスポートが切れていて、2チーム続けてダメになってショックを受けていたんですよ。
 最終的にドイツのブンデスリーガ2部のバート・ホンブルクというチームに決まったのがゴールデンウイーク前でしたから、動き出してからチームが決まるまでに2カ月くらいはかかりましたね。でも、いい着地点というか、僕にとってベストなところに落ち着いたと思っています。
 こうして思い切った挑戦をさせてもらえるのも、東京アートがこの1年間、練習場を提供してくれて、給料も出してくれているからなので、それは本当に感謝しています。

--ブンデスリーガはどのようなスケジュールですか?

 シーズンは9月からスタートですが、8月中旬くらいから向こうに行って、10月9日の全日本予選で日本に戻ってきて、終わったらまたドイツに行く予定です。もし、全日本予選に通ったら、来年の全日本の時にも戻ってきますが、基本的にはシーズンが終わる4月まではドイツにいる予定です。

--ブンデスリーガへの挑戦は初めてではありませんが、あらためて海外リーグに臨む意気込みは?

 まだ、どんな環境で練習できるか分からないので、不安はありますが、ワクワクがありますね。このシーズンを終えたあと、自分がどうなっているのか。強くなってるんじゃないかっていう期待があります。そういう意味では不安より期待と希望の方が大きいですね。

「25歳の今だからこそ海外リーグへの挑戦には意味がある」と坪井

--板垣先生には「遅いよ」と言われたということですが、その言葉はどう受け止めましたか?

 もっと若いうちに来てればよかったのに、っていうことだと思うんですが、逆に今だから、この年齢だからこそ意味があると僕は思っています。高校生の時にドイツに行けたのもすごくよかったんですよ。英語も練習も試合も移動も食べ物も、全てが新鮮で、その経験の一つ一つが全部強くなるためにプラスになっていたと思うんです。
 でも、今だったらいろいろ経験してきた上で、卓球もある程度プレースタイルが固まってきた中で、自分がどう感じるか、どう変われるかというのも楽しみです。以前よりは海外の選手や指導者ともコミュニケーションが取れるだろうし、広い視野で物事を見ることができると思うんですよね。高校の時は自分の卓球しか見えてなかったし、海外の選手との関わりもそこまで深くなかったんですが、今回はそれぞれの選手の考え方とか、どういうモチベーションでやっているのかとか、深いところまで知れたらいいなと思っています。

―現時点で坪井選手がステップアップするには何が必要だと考えていますか?

 精神面と環境ですね。技術は二の次と言ったら怒られるかもしれないけど、環境面ではもっと自分から強い選手と練習したり試合したりする機会を増やしていかなければいけないと思います。
 気持ちの面では、卓さん、吉田さんみたいな気持ちの強さを持ちたいですね。上に行けば行くほど、メンタルも強くなりますし、選手を長く続けたいと思ったら、そこでも気持ちは必要です。気持ちだけで強くなれるわけではないけど、気持ちがなかったら強くなれませんからね。
 この前、大森さんに、「なんで僕、勝てるようになったんですかね?」って聞いたら、「元から持っている力を出せるようになっただけだよ」って言われて、まずは、自分の持っている力を試合で出すことが大事なんだなと、逆に、それができないのが自分の弱さだったんだなということに気づかされました。本当は「強くなった」って言ってほしかったんですけどね(笑)
 高校3年生のインターハイ前に中国で合宿をした時に、邱さん(邱建新)にも言われた言葉があって、それが「坪井は、まずファイト、次に戦術」でした。やっぱり、僕の場合、必要なのは「まずファイト」なんですよね。それは今でも僕の座右の銘になっています。

--最後に今後の目標を教えてください。

 あまり先のことは考えないようにしていますが、全日本で優勝とブンデスリーガでしっかり勝ち星を挙げることですね。とりあえず2部で試合経験を重ねて、実力をつけて、チームの信頼を得て、周囲にも自分の名前をしっかり広めていきたいですね。

東京アートのチームメートと大森監督は坪井を大きく成長させた

 ターニングポイントがどのような形で訪れるのか、それは誰も知る由のないことだ。
 所属先の休部をポジティブに捉えることは至難の業だと思うが、「今だからこそ、海外リーグへの挑戦には意味がある」と語る坪井からは悲壮感をみじんも感じなかった。もちろん、彼の中には不安も苦悩もあるに違いない。だが、坪井にはそれを大きく上回る自身の可能性への期待がある。
「ピンチをチャンスに変える」とは手垢のついた言葉だが、そもそもピンチなどなかったかのように前進しようとする坪井の期待に私たちも懸けてみたい。

(まとめ=卓球レポート)

坪井勇磨インタビュー(前編)「2、3年目になってやっと卓さんと吉田さんの本当のすごさに気づけた」

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