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アスリートを支える人々
上田夫妻インタビュー<前編>


「僕、Tリーグをやめてドイツへ行くんですよ。都内の家も引き払って家族そろって」。上田仁からそう聞かされたのは、確か昨年の秋も深まった頃だったか。唐突な告白に驚いて質問を浴びせたが、その時は「詳しいことは妻に聞くのが1番ですよ」と上田に言われて話を切り上げた経緯がある。  
 以来、ドイツに新天地を求めた理由を、上田だけでなく、ぜひ妻の充恵(みさと)さんを交えて聞いてみたいと思っていたが、その願いがかない、ドイツ行きを目前に控えた7月のある暑い日、上田夫妻に話を聞くことができた。二人が胸中を語ったインタビューを前中後編の3回に分けて紹介しよう。
 今回は前編を掲載する。

上田と妻の充恵がドイツ行きを決断した全てを語る

休養時の上田は日本で生活するのが本当につらそうで
どうにかして逃げ場をつくってあげたかった/充恵

--本日は暑い中、ご夫婦でお越しくださいましてありがとうございます。まず、充恵さんの簡単なプロフィールからお伺いできますか?

上田充恵(以下、充恵):こちらこそよろしくお願いします。私は静岡県の最南端の南伊豆という、とても田舎の町で育ちました。旧姓は加藤です。父が教員で卓球部の顧問になったのをきっかけに父が卓球にのめり込んでしまって、その巻き添えを食う形で私も卓球を始めました(笑)。小学1年生の時です。
 田舎で卓球部のある中学校が地元になくて、卓球したいけどどうしようか迷っていた折、ふとしたご縁で岡山県の就実中学校が新入生を募集しているということで練習に行かせていただき、就実中学校に進学を決めました。

--就実といえば厳しい練習で知られる卓球の名門ですね。

充恵:練習はもうすごかったですね。田舎育ちでどこの学校が強いのか私も父も知らなかったのですが、練習に行かせていただいた時に半日くらい練習して「行くわ」って即決してしまいました。入試の時に初めて「あ、就実って女子校なんだ(当時。現在は男女共学)」って気づいたくらいで、全く無知で飛び込んだ形です。今思うと恐ろしいですね(笑)

--思い切りの良さがうかがえるエピソードですね(笑)。その後の進路は?

充恵:中学、高校と就実に通い、その後は運良く早稲田大学へ進学することができました。卓球は続けましたが成績は振るわなかったので、卓球を仕事にするのは無理だなと思い、普通に就職活動をして地元の静岡銀行に勤めました。
 自分があまり銀行員に向いている性格ではないと気づき始めた時期と結婚のタイミングが重なって退職し、現在は東京体育館などの都立のスポーツ施設を管理運営している公益財団法人に勤めています。

--大学まで卓球を続けられたのですね。ちなみに現役時代の主な成績は?

充恵:大学4年生の時に、現在、大矢さん(大矢英俊/ファースト)の奥さまの中島未早希さんと組んだ全日学(全日本大学総合卓球選手権大会・個人の部)女子ダブルス優勝です。私にとっては、まさに有終の美です(笑)

--それはすごい!ちなみに、お二人の出会いは?

上田仁(以下、上田):僕が高校1年で、妻が高校2年の時に行われた日韓交流合宿です。「この人かわいい」と思って、当時は今のようにSNSがなかったので、友人を介してメールアドレスを教えてもらいました。それからですね。

全日学女子ダブルス優勝の経歴を持つ充恵(左)

戦型はフォア面裏ソフト・バック面表ソフトのシェーク異質型で速攻が持ち味だった


--
上田選手が見初めたんですね。

上田:今では「だまされた!」っていつも言われます。当時の僕に対する第一印象はパーフェクトだったらしいですから。この後、どんどんボロカス言われると思います(笑)

--では充恵さん、遠慮なく(笑)。さて、本題ですが、あらためてTリーグを辞めてドイツ行きを決めた経緯や理由についてお聞かせください。

上田:(妻が横にいるので)あまりかっこいいこと言えないですけど(笑)。ドイツからは、僕が(オーバートレーニング症候群で)休みに入る前からオファーを頂いてはいました。妻は、「プレーヤーとしても視野を広げる意味でもいいのでは?」と言ってくれましたが、当時は現実として自分がドイツでプレーするイメージが全然持てなかったというところから話が始まります。

−ちなみに、上田選手の休養時期、青森山田中・高時代の恩師で、現在はドイツのブンデスリーガ1部のケーニヒスホーフェンで監督をされている板垣孝司さんの誘いで、家族でドイツを訪れたと聞きました。充恵さんにとって今回のドイツ行きは、その時の印象が良かったことも関係していますか?

充恵:そうですね。当時の上田は日本で生活することが本当につらそうでした。誰とも会いたがらないし、近所のスーパーすら知り合いと出会うんじゃないかと行きたがらない。卓球ももちろんできない状態だったので、「どうにか逃げ場をつくらないと」と思っていました。
 板垣さんから「ラケットを持たずに遊びに来いよ」とお声掛けいただいた時も、それすらおっくうそうで。そのような状態だったので、私の方から「この狭い日本にいても何も変わらない。気分転換も必要だから行こう」と話を進めたと記憶しています。


プロになり、勝ち負けだけにとりつかれてしまった/上田

 --実際にドイツへ行ってみていかがでしたか?

上田:当時の記憶がかなり曖昧で、今、妻の話を聞いて、自分がそこまで人に会いたがらなかったのかとあらためて思いました。
 ドイツへ行ったことはすごく良かったですね。誰も僕のことを知らないので気が楽でした。それに、プロ卓球選手という立場から少し離れてブンデスリーガを見た時、シュテーガーをはじめ、みんなが楽しそうに卓球をしていたんですよね。その光景を見た時、自分はこういう感覚を忘れていたなあと感じたことを覚えています。

充恵1週間くらいの滞在でしたが、板垣先生のご家族が住んでいる町に行かせていただいたので不安はありませんでした。見知らぬ土地でも知り合いがいるって心強いことだなと実感しました。その時から、(上田が)そんなにつらいなら日本じゃなくていいのではと思いましたし、今回ドイツ行きを決める3〜4年くらい前から、折に触れてそう言い続けてきたと思います。

上田:多分、自分の中でのつらさって、「プロ」への葛藤がずっとあったんだと思います。正直、プロは結果が全ての世界じゃないですか。協和キリンを辞めて会社員も辞めてプロになって保証が何もない中、自分の気持ちの上がり下がりについていけなくなりました。
 当時は日本代表でしたし、東京オリンピックを本気で目指していたので、麻痺(まひ)というかすごい興奮状態でした。勝っている時は良いけど勝てなくなった時にぽっかり穴が開いたような感覚に陥りました。

--プロになり、勝敗による気持ちの振れ幅が大きくなってしまったということですか?

上田:そうです。それが続いて、自分は卓球が好きでプロ卓球選手を職業に選んだはずなのに、勝ち負けだけにとりつかれてわけがわからなくなってしまったんですよね。
 それで、チームが悪いとかは全くなくて、これは環境を変えた方がいいと思い、Tリーグの創設からお世話になった岡山リベッツを退団し、ドイツではなく、T.T彩たまへ入団する選択をしました。ところが、そこでも気づいたら結果にすごくとらわれ始めている自分がいて。プロである以上、結果が全てですが、そこだけにとらわれると自分がどこかへ行ってしまう。そのバランスが紙一重ですごく難しかったし、年齢が上がるにつれて「自分の立ち位置はどうするべきか」など考える機会がすごく増えてしまったんですよね。
 自分の今の実力ではシングルスに出場できないことを痛感しました。それなら海外でいろいろなことを経験してみたいと思ったことが、ドイツ行きを選択した理由の一つです。
 でも、一番は家族が背中を押してくれたというか、理解があったことが大きいですね。正直、自分一人でドイツへ行くとなったら、同じ決断をしたかというと多分していません。家族で行くからドイツ行きを決めました。

--充恵さんにお越しいただいたのは、そのあたりの心境を直接お聞きしたかったのが大きな理由です。なぜ、一家で移住という選択をされたのですか?

充恵:(上田が)休養していた時期は、家族としても一番つらい時期でした。本当に「死にたい」ってなるレベルに気分が落ち込んでしまう日もあったりしたので、先ほども申し上げましたが、とりあえず逃げ場を確保した方がいいと思っていました。それと、「そんなにつらいんだったら引退したらどう?」ということを良かれと思って言っていたよね?

上田:うん。そうね。

充恵:会社員でも「この会社が合わない」と思えば転職するんだし、自分がいくら卓球好きでもプロが向いていないんだったら転職、転職!死にたいって追い込まれるほど卓球やるもんじゃないよと。卓球が好きなら趣味で楽しめばそれでいいわけですし。
 上田は真面目な性格で、すごくお金持ちになりたいタイプではないし、卓球でお金を稼ぐことがモチベーションになるタイプでもない。だけれども、卓球でお金を稼げるようになった時、自分の目標を履き違えたのか、もしくは履かないまま走り出してしまったような感じに見受けられました。
 実業団の時は「自分の頑張りが会社に貢献している」みたいな満たされた思いがあったけれど、プロになってそこにお金が付いてきた時に、卓球を頑張る方向性がうまいこと自分の中でつくれなかったのかなと思います。

--お金が絡み、卓球への向き合い方がうまくいかなくなってしまったと?

充恵:そんな感じでした。がむしゃらに東京オリンピックへ向けて走っていたらお金も付いてきてどんどんふくらんで、その先の東京オリンピックが見えなくなった時に、自分が卓球をする意味を見失ってしまったのかな。そんなことなら卓球やめなよ!と言っても、「俺は卓球をしなければお金を稼げないから卓球をやめられない」というふうにとらわれていたのが、今回ドイツ行きを決断するまでの数年間だったのかなと私は思っています。
 本人がどう思っていたのか分かりませんが、「自分が卓球をやめたらお金を稼ぐのが大変で家族を苦しめるから、俺は家族を養っていくために卓球をやめちゃダメなんだ」みたい考えはあったよね?

上田:あったと思う。

充恵:そういう気はしていて。でも、私も感覚がちょっとずれるなと感じたのが、Tリーグの試合を見に行くと、勝ってほしいと思うんですけど、そこにお金がついてくるので純粋に勝利の喜びが分からなくなるんです。本人ももちろんあったと思いますが、「この試合に勝てば賞金がいくらもらえる」というところにとらわれると、人間はちょっとずれてしまうという感覚がありました。

2018-2019シーズン、岡山リベッツのデビュー戦で世界トップの荘智淵(中華台北)を下し、華々しいTリーグデビューを飾った

勝たなければ給料がもらえないプレッシャーは想像以上だった/上田

--例えば、実業団時代だったら、勝てば、給料には大きく反映されないけど会社の役に立てる。そうした達成感が、Tリーグだとお金以外になくなってしまったということですか?

上田:いや、なくなってはいないんですが、そこが大きすぎるというか。特に、自分はもともとプロを目指していたわけではなく、会社員からプロになった選手。例えば、大学に行かずにドイツへ行ってプロになっていたら、そうした感覚はなかったかもしれない。「お金を稼ぐために自分は頑張るんだ」と素直に思えたかもしれないし、そこに楽しさを見いだしたかもしれない。けれど、自分のスタートの本質がそこじゃないのに、途中からプロに飛び込んだ時、みんな上手にマッチしているのに、僕はお金を稼ぎたいのか卓球をやりたいのかどちらなのか分からなくなることがすごく多かったですね。
 もちろん、お金を稼ぐためにハングリーに取り組むことがめちゃくちゃ大事なことも分かっています。分かっているからこそ、そこに振り切れない自分はプロに向いていないんじゃないかと思ったりして。

--プロとしての自分の在りようを考えすぎたということですか?

上田:そうですね。年数を重ねるごとに、「プロって、ただ単にお金を稼ぐだけじゃないよな」という思いも抱くようになったのですが、日本の卓球界はプロ化して日が浅いから、「プロ」というものがどういうものなのか確立していないじゃないですか。極端な話、水谷さん(水谷隼/木下グループ)みたいに突き抜けてしまえばいいけれど、じゃあ水谷さんレベルまでいっていない人はプロではないのかというと、そうじゃないですよね。そのあたりの葛藤が大きくて、「プロとは?」にとらわれすぎて、そこへ向かおうとしたときに気持ちがついていかなくなってしまった。
 思うんですけど、水谷さんや岸川さん(岸川聖也/ファースト)らは中学生の頃から「自分は卓球1本でやっていく」というふうにマインドがプロだったんですよね、きっと。もちろん、本人たちにしか分からないつらさはあったと思います。一方の自分はもともとがそうじゃなかったから、その壁にぶち当たった時にわけが分からなくなり、葛藤が生まれてしまったんだと思います。

--上田選手もジュニア時代から将来を期待された選手でしたし、実際に輝かしい成績を残してきました。それでも、卓球で稼ごうという考えはなかったのですか?

上田:なかったですね。今だから分かりますが、僕の強さって気持ちの安定があるから思い切ってプレーできるという面があるんですよね。協和キリン時代は、自分は会社員で特別すごい給料をもらっていたわけじゃないけど、プロ選手と同じ土俵に立って彼らに勝ったりして、それが誇らしかったし、やりがいでした。
 しかし、自分がいざプロになってみて分かるんですが、誤解を恐れずに言えば、(会社員として生活が)安定した中で行う試合と、勝たなければ給料がもらえない不安定さの中で行う試合って、プレッシャーのかかり方とか消耗具合が当たり前ですけど全然違ったんですよね。勝った時の安堵(あんど)感は会社員時代よりめちゃくちゃ強いし、負けた時のどうにもやり場のない気持ちの落ち込みも全然違った。家族も増えたし、会社員時代のやりがいを経験しているからこそ、プロの世界に飛び込んだ時に、プロの世界の厳しさが想像以上にこたえました。(中編に続く

協和キリン時代の上田。会社員を経験したからこそ、プロとのギャップに苦しんだ


(まとめ=卓球レポート)

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