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水谷隼に聞く 38 過去の自分への助言

 

 もし10年前の自分にアドバイスができるとしたら、何を伝える? そんな仮定の質問に対して、水谷隼選手(木下グループ)はこう答えた。
「もっとプロフェッショナルに卓球をしていたかった。ですね」

 それでは、もし20年前の自分に伝えるなら?
「もっとプロフェッショナルに卓球をしていたかった。ですね」

 水谷選手は、中学2年でドイツに渡り、ブンデスリーガというプロの世界に身を置いてきた。初の世界卓球出場は高校1年。当時世界ランキング183位だった水谷は、当時世界ランキング8位の荘智淵(中華台北)に勝利する鮮烈なデビューを果たすと、その後も日本代表としてプレーし、何度もメダルを獲得する。全日本では、高校2年の時、17歳7カ月という当時史上最年少でチャンピオンになると、連覇を重ねていく。独特の厳しさを漂わせ、誰よりもプロフェッショナルであるように思えた。

 その水谷選手が言う「プロフェッショナルに卓球をしていたかった」とは、どういう意味なのか。真意を測りかねて説明を求める我々に、水谷選手は言葉をつないでくれた。

「若い頃は、あまり節制をしていませんでした。卓球がそんなに好きでなかったというのもあるし、嫌々やっていた部分があるというか、卓球に本当に向き合ってやれていなかった。
 でも、ロシアに行ってプロの人たちの生活を見て、心を入れ替えました。だから、高校や大学の時から本当にプロの世界を見てやっておけば、もっともっといい成績を残せたんじゃないかな、と思うことがあります」

 全日本で連覇が途切れ、国際舞台でも思うような結果を出せなくなっていた2013年、水谷選手はロシアリーグに参戦した。未知なるロシアリーグ参戦という考えは、2008年にはすでに口にしていたが、ここで実現することになった。そして、ロシアリーグを経験した水谷選手は、2014年に再び全日本チャンピオンとなり、2016年にはオリンピックでのメダルを成し遂げた。そういえば、2014年のインタビューで水谷選手はこう言っていた。

(ロシアリーグに行ったことで)「プロであることを強く意識するようになりました。プロだから食事もしっかり管理するし、体のケアも、感情のコントロールも、すべて自分の責任です」

「僕が自分のレベルを上げるには、一人のプロとして完全に自立することが必要だった」

 卓球で生活していても、全日本を5連覇していても、世界卓球でメダルを獲得していても、まだ足りていなかった。もっと卓球に向き合っていたかった。過去の自分に言葉を送るなら、そう伝えるというのか......

「もっとプロフェッショナルに卓球をしていたかった」

 水谷選手が過去の自分に送った貴重なメッセージを、プロフェッショナルを志す後進たちのために書き残しておきたいと思った。

取材=猪瀬健治 文=川合綾子


水谷隼、全日本決勝を語る

全日本史上に残る激戦になった、宇田幸矢選手(JOCエリートアカデミー/大原学園)と張本智和選手(木下グループ)の男子シングルス決勝。その攻防を、全日本を10度制した水谷隼選手(木下グループ)が圧倒的な分析力と説得力で、鮮やかに解説するスペシャル企画です。
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