卓球の世界におかえりなさい!
「もう一度、あの強さを取り戻したい」「子どもたちと卓球を楽しみ直したい」「まずは運動不足の解消から」──。
そんなさまざまな思いを胸に、再びラケットを握った皆さんを応援する「おかえり卓球」。
その第3弾では、「最強のベテラン」こと三田村宗明さんをゲストにお招きし、渋谷浩とお互いの現役時代には言えなかった本音や舞台裏をじっくり語っていただきました。思い出話あり、あの時は言えなかった打ち明け話もあり、卓球を再開された方、再開しようと考えている方のみならず、現役世代にも役立つ実戦的なヒントが盛りだくさんの対談になりました。ぜひ、ご覧ください。
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今回のゲスト 三田村宗明さん
小学校3年から卓球を始め、卓球の名門・青森山田高校に進学。高校3年の時に世界選手権大会の日本代表となり、その後プロへ転向。現在はリトルキングス代表として、ジュニアからシニアまで幅広い層の選手を指導する傍ら、選手としても全日本選手権大会マスターズの部や全日本クラブ選手権大会に20回以上出場し活躍し続けている。
「渋谷さんの引退理由って何ですか?」
三田村宗明(以下、三田村) 早速、僕から聞きたいんですけど、渋谷さんの引退理由って何ですか?
渋谷浩(以下、渋谷) いくつかあるんだけど、1つは自分のイメージするプレーができなくなった。体の使い方なのか何か分からないけれど、ずれが生じて、そのずれが埋まらなかった。
もう1つはけが。引退する2年くらい前に膝の半月板を損傷して、もう先もそんなに長くないから、手術するか保存療法でいくかいろいろ考えたんだけど、手術したからと言ってすぐ復帰できるわけでもないし......。
三田村 それって何歳の時ですか?
渋谷 37。卓球をやり始めたのが7歳だから、ちょうど30年。、30周年で引退できたっていう感じ。最後、引退するって決めてから全然練習しなかったのね。だって、そんなに強くなったってしょうがないでしょ(笑)
最後の全日本は練習してないから、自分が攻撃して相手にしのがれる。得点しても息切れしてタイムアウトを取ってたから、ゼーハーゼーハー言って(笑)
三田村 確かにコートを息を切らせて歩き回っていましたね。
渋谷 でも、引退してから随分気が楽になったね。なんかもう小さい時から宿命付けられているものがあったから。
三田村 僕と渋谷さんって立場が全然違うじゃないですか。小さい時からずっとこう......。
渋谷 父親が日本チャンピオンだったからね(編集部注=渋谷五郎。昭和34年度全日本選手権大会男子シングルス優勝)。どうしても比較されちゃうんだよ。
三田村 そうですよね。そのつらさもありますよね。
渋谷 ある。それはめちゃくちゃあった。
三田村 ですよね。僕は普通の一般人なので(笑)
「毎日泣いていました」
渋谷 今まで卓球やめたいと思ったことある?
三田村 ないです。
渋谷 よく言うじゃん、試合は好きだけど練習は嫌いとか。
三田村 卓球をやってること自体はずっと好きです。
渋谷 えらい!
三田村 ありがとうございます(笑)
ただ、やっぱり突き詰めていって、勝たなきゃいけないという時期に入った時ですかね。そうなってくると、自分の中で卓球というものが仕事になってきて、勝てなくなった時期がやっぱり1番やめたいというか、団体戦とかも、僕を使わないでほしいという時期があって、その時は結構泣いていました。
部屋で、もう毎日泣いてました。引退したくて。その時はもう選手をやめたくてしょうがなかったです。練習もちょっと苦痛でしたね。
渋谷 どうやってそれを乗り越えたの?
三田村 乗り越えずに引退しました(笑) 27歳で日産自動車をやめた時に解放されて......。でも、やめなきゃよかった。
渋谷 重いもんね、日産だと。自分も日産でプレーしてた時、特に団体戦は手が震えたもん。
三田村 なんか勝手に重く感じて、試合を全体で見れなくなっちゃって。息苦しかったですね。
渋谷 でも、それっていい経験でしょ?
三田村 はい。
恩師、吉田安夫氏の指導を振り返る
渋谷 あと、振り返ってみたら、想像するところ、高校時代が1番きつかったんじゃないかなって。練習内容的に。
三田村 多分渋谷さんも経験されていると思うんですけど、(フットワーク練習で)足の裏とか血だらけになるじゃないですか。痛いですよね。
でも、インターハイが終わってすぐ国体が来て、全日本があって、どんどん試合が来て、そのたびに結果を出せる自分がいたので、当時は、苦しいけれど楽しいというか、前向きでした。
渋谷 じゃあ、自分の中で伸びしろを感じていた?
三田村 伸びしろしかないです。
渋谷 そういう時期あるよね。
三田村 言いすぎじゃないのって思われちゃうんですけど、世界チャンピオンになるんじゃないかと思ってました。ジュニアの国際大会に出ても、当時ヨーロッパジュニアチャンピオンだったメイス(デンマーク)にも2対0で勝っていたので、(世界チャンピオンまで)行くんだろうなって思っちゃってた自分がいました。
渋谷 当時、吉田安夫先生だったよね。厳しくなかった?
三田村 めっちゃ怖いっす。
渋谷 怖いよね。
三田村 怖いんですけど、時にめちゃくちゃ優しいんですよ。日本国籍取得したばっかりの偉関さん(偉関晴光)が日本チャンピオンになって、その次の月ですよね。トップ12で僕が偉関さんと同じリーグに入ったんですよ。で、まだ21本の時に、20-15の僕がサービスから逆転負けしたんです。もう正直ベンチに帰りたくない。もう絶対怒られるって思って帰ったんですよね。
そしたら吉田先生が急に僕の肩をつかんで、「今日の偉関とお前は五分だぞ。これ何が起こるかわかんねえぞ」って言われて。「え!?」と思って振り返ったんですよ。なんて優しいのと思って、ちょっとキュンとしちゃったんですよ(笑)
渋谷 そういうのなかったなぁ。お昼ご飯食べて、午後の授業の時、必ず胃が痛くなった。で、やっぱり練習でも調子悪いと怒られる。だから、毎日練習時間にベストコンディションに持っていかないといけない。毎日が試合みたいな練習だった、本当。
三田村 やっぱり吉田先生が道場にいるって緊張感あります。だから、僕らも練習場のドアを開ける時はものすごくしゃきっとして気合を入れていくんですけど、それこそ水谷君(水谷隼)とかあの辺の世代になった時はもう仏ですよ。丸くなって。
渋谷 へえ。想像できないんだけど。自分の時なんて、県立高校だから練習時間も限られてるのね。だから、吉田先生もめちゃくちゃ質の高い練習を求めてるわけ。だから目つきが悪いとそれだけで怒られた。
三田村 目って結構言いますよね。吉田先生、すごく言います。「死んだ目しやがって!」ってよく言ってましたね。
そのわりには練習場で吉田先生よく寝ていましたね(笑) 一番よく寝るのがサービス練習の時でした。
渋谷 俺の時はフットワークだよ。吉田先生が次の練習の指示を出すんだけど、寝てるからフットワークが永遠に続く。だから、わざとスマッシュでボールぶつけてた。
三田村 僕らはサービス練習の時に寝ているので、起こしようがない。パンパンパンパンって狙ってボールを当てると、そこで起きて、「終わったか!?」みたいな感じで言われる。で、吉田先生の周りにボールがいっぱいになるんで、「やっべえ」みたいな感じになるんですが、吉田先生はサービスが切れて戻ってきてボールが集まってる」と思って「切れてやがんな」って言ってましたね(笑)
「情報があったらもっと強くなってたかも」
渋谷 体力トレーニングってどうしてた?
三田村 高校時代はフィジカルなトレーニングはあんまりやってるイメージはなかったです。
渋谷 吉田先生はあんまり好きじゃないのかな?
三田村 やらないですよね。でも、走ることはすごい好きですよね。ダッシュとか大好きですよね。
渋谷 ダッシュ大好きだね。20本とかね。いかに見ていないとこで気を抜くかっていう。そればかり考えてた(笑)
三田村 そうなんですか。僕は速い方なので手を抜いたらバレるんですよね。それにどこかで恐怖心を持っているんですよ。そういうことしたら負けるんじゃないかなっていう。
渋谷 昔はインターネットもなかったから、フィジカルトレーニングの情報も全くない中でやってたの。当時の卓球選手は、締めにウエートトレーニングやるじゃん。あれ効率悪いよね。負荷がまずかけられないし。あれ、心肺機能は良くなるかもしれないけど、筋肉に刺激全然かけられないじゃん。もうちょっとね、いろいろ情報を知っていたらもっと強くなってたかもしれない。
三田村 メダル取ってましたね。
渋谷 オリンピック? それはないな!
「1回だけ世界チャンピオンを意識した」
渋谷 でもね、1回だけ世界チャンピオンを意識したことがある。
三田村 1回だけなんですか?
渋谷 1回だけ。1993年のイエテボリの世界選手権大会で組み合わせを見た時に、「これ、うまくいけば世界チャンピオンになるぞ」って思ったの。それは事実。
三田村 それはリアルですね。
渋谷 団体戦で10勝したのね。団体戦で王涛(中国)にストレートで勝って、それでシングルスの組み合わせを見ても、全部互角以上にできるって相手だったの。ただ、落とし穴があって、団体戦で勝った王涛に個人戦で負けちゃったの。
それも理由があってね、団体戦が終わって、世界ランクが上の方だから中日(なかび)あるのね。その時にちょっと、弾むラバーにしようと思って(フォア面の裏ラバーを)変えちゃったの。それが影響して、楽して点を取ろうって気になっちゃって。攻撃でさっと点を取りたいじゃん。
それで多分足をすくわれたんだと思う。そこを抜けてたら結構いい組み合わせだったのね。ポドピンカ(ベルギー)、J.セイブ(ベルギー)とかプリモラッツ(クロアチア)、決勝でガシアン(フランス)。お、いけるじゃんと思った。でも、あの時が自分のピークだったかな。
三田村 ええ、何歳ですか!?
渋谷 25歳くらいじゃない? 技術的にはピークだったけど、精神的にはまだまだ。だから、カットマンって遅咲きが多いのね。やっぱり駆け引きとかも絶対に必要だから。使える技が多いじゃん。そうなると駆け引きの勝負になるから。やっぱり経験値がないとね。
「日本代表の合宿は毎日が緊張だった」
三田村 僕、代表に初めて入って、渋谷さんたちは憧れの人たちじゃないですか。そこで渋谷さんたちと一緒に合宿に参加して、毎日緊張でしたね。
渋谷 オーラを出してたんだな(笑)
三田村 めちゃくちゃありました。呼ばれたけど、俺じゃ練習相手にならないよなって思って。当時カットマンが青森山田高校にいなかったんで、マジ下手なんすよね、カット打ちが。それで、午前、渋谷さんとやって、午後、松下浩二さんとやってみたいな。
渋谷 当時のナショナルチームの監督がアレーンさんでね。大体僕とか松下のスパーリングパートナーに若手をつけてた。
三田村 渋谷さんとの練習はどちらかと言うと、シンプルにカット打ちをする感じだったんですよ。ただ午後の松下浩二さんは、1発打って、こうポンってわざと上げて、思いっきり打てっていう練習なんですよ。肩が破壊されると思いましたもんね。
渋谷 彼のカットは球質が重いからね。それを思い切り打てってしんどいよね。
三田村 それが多分、何回目かの合宿なんで、僕もまだ華奢(きゃしゃ)な体で......。
渋谷 じゃ、随分鍛えられたんだ。
三田村 はい。でも、うらやましいな。25、6で世界で、30何歳まで代表にいたんですか?
渋谷 30。最後はね、先に日本代表に選ばないでくださいって引退宣言した。だから、全日本で、ダブルス7回目の優勝しても代表に選ばれなかった。もう国際試合から引退しますって。燃え尽き症候群だよね、正直。ぜいたくなこと言っちゃいけないけど。
三田村 確かにそうですよね。
僕は代表7年間ですもんね。シドニーオリンピックの選考会に出て、3人代表で4位だった。ゲームオールジュースで負けたんすよ。勝ってたら代表でした。
渋谷 おお、勝ってたら一緒に行ってたんだ?
三田村 はい。その時19歳で、これは行けるって思ってたんですよ。そしたら出られなかった。思うように勝てなくて世界ランクが上がらなかったので、その時はすっごく悔しかったです。「代表はもうないよ」って言われた時に、まだ日本ランク4位で、23歳だしまだ行けるって思っていたので。
でも、日本で勝ってもね、世界で勝たないとダメですよね。
「渋谷さんもマスターズ出ませんか?」
渋谷 モチベーションって、楽しいからここまで続けられてるの?
三田村 何なんでしょうね。
渋谷 まだ向上心ってあるわけ?
三田村 ないですよ。
渋谷 試合が楽しい?
三田村 楽しいですね。試合やってて駆け引きしてるのって、なんか楽しいじゃないですか。あのドキドキ感ってなかなか日常生活ではないし、それだけですね。負けて悔しいとか思う気持ちもまだあるので。だから、何しようっていうことはないんですけど(笑)。そこはちょっと矛盾してるんですけど、悔しいとか勝ちたいとか、今やれることの中で勝ちたいとか、そういったことはまだあるので。そこが、ただ楽しいだけですかね。
当時、日産自動車を引退した時に、ドイツの2部とスペインの1部からオファーが来たんですよ。それを断らなきゃよかった。行っておけばよかった。
行ったから何になるわけでもないんですけど、「もういやだ、選手なんかやりたくない」って思えるまでやればよかった。
渋谷 だから俺はきっぱりやめたのか。
三田村 そうかもしれないです。渋谷さんは多分やり切ったんだと思います。僕はやり切っていない自分がありました。それが続けちゃってる原因だと思います。
渋谷さんもマスターズ出ませんか?
渋谷 出ないです、絶対。もう悪い自分見せたくないもん。
今、2人が対戦したら......?
渋谷 今、対戦してみたい選手いる?
三田村 渋谷さんと試合したことないですよね。
渋谷 練習はめちゃくちゃやったけどね。
三田村 やりましょう、今日!
渋谷 絶対いやだ。
今やったらどういうふうになると思う? 自分のピーク時と今のミタさんで。
三田村 ボコボコにされると思います(笑)
でも、結構カット打ちが好きな時期があったんですよ。やっぱり練習させてもらってたから。
渋谷 取りづらいんだよね。ほら、この身長じゃん。だから、ボールがシュートするの。フォア側に来たボールもミドルに食い込んでくるみたいな。
三田村 僕はカーブドライブだと思ってます(笑) どうなるんでしょうね? 面白い試合にはなるかな。長い試合にはなりそうです。
渋谷 あまりストップしないよね。連打だよね。
三田村 これ、偏見かもしんないですけど、今カット打ちがうまい選手ってあまり多くないですよね?
渋谷 僕らの時代はトップが2人いましたからね。そこを倒さないとチャンピオンになれない時代だったから。
用具もプレースタイルも変わってない
渋谷 私たちの時代ってものすごくルール改定が多かったじゃないですか。1番大きいのは40mmボール(2000年)。あれはもうプレー自体に影響が出る。
三田村 やっぱり38mmから40mmボールへの変更は大きかったですね。でも、多分、今僕らが話してるのってラリー派の人の話だと思う。サービス派の人はボディーハイド禁止(2002年)でしょうね。
渋谷 ああ、そうか。
三田村 めちゃくちゃサービスがうまい選手が第一線から消えましたね。だから、サービスがうまかった人は、あのルール改定にはものすごく影響を受けたと思うんですよね。
用具の話だと、去年(2025年)、国体(国民スポーツ大会)に久々に出て、その時に卓(高木和卓)に言われたんですよ。「三田村さん、そのラバー、軟らかいんじゃないですか?」って。何かって言うと、その時は僕はディグニクス64を使っていたんですが、回転量の多いドライブをカウンターしたときに、コンと落ちるんですよ。回転量の多くないボールだったら、やっぱり軟らかい方がコントロールしやすいんですけど、回転量の多いボールだとガーンと落ちるんですね。それでディグニクス05に替えたらカウンターの精度が上がりましたね。
僕、バタフライの用具に不信感を持ったことが全くないんですよ。テナジー05が出てきた時、弾む接着剤を塗っていた時と全然変わらない感覚で打てたので、すごいと思いました。
渋谷 そういえば、用具はそんなに変わってないよね。
三田村 はい。たぶんプレースタイルも変わってない。だから、何も変わってないんですよ(笑)
卓球を再開する方は目を慣らすところからスタート
三田村 (卓球を再開する方は)どのくらいこのスポーツから離れていたのかっていうところも重要だと思うんですけど、まずは、しっかり体を作るってところからスタートだと思うんですよ。そこが作れないと、思うようなパフォーマンスができないと思うので、まずは体を作るところからスタートだと思います。
僕の場合、現役からずっとやってきて、1番衰えてきたのが目なんですよね。要は速度についていけない、回転を見る力がついていけなくなってくるので、回転やスピードに目を慣らすところからスタートしなきゃいけない。
そのためには練習相手のレベルを徐々に上げていくことです。いきなり高いレベルの選手とやっちゃうと、目が慣れてないのでついていけないから、体がびっくりしてしまうので。
用具選択も重要になってくると思うんですよ。何十年前かのラバーと今のラバーの性能って違うじゃないですか。なので多分、いきなり性能の高いものを買ったら、おそらくびっくりしちゃうと思うんですよね。「こんなに飛ぶんだ!?」って。少しずついいラバーにしていく方がいいのかなと思います。
それで、自分の思い描いているスイングと自分の打った軌道がいかに一致させられるか。本当はここへ飛ばす予定だったのに、意外と低いところを飛んでたり、高いところを飛んでたりというのが感覚のズレなので、その感覚のズレを小さくしていくことが大事だと思います。
サービスもドライブも、ここに落とす予定だったのが違うところに落ちた、ここに飛ばす予定だったのに違うところに飛んだというのが感覚のズレなので、このフォームからこういうボールが出る、出したいボールが正確にそこに、その高さに、狙っている回転、狙っている速度で、それらが一致してきたら、感覚が戻ってきて、いい状態になっていると思います。
僕は試合に出る前とかは、確かにゲーム感覚もよみがえらせるんですけど、自分が思い描いたボールが出ているかどうか、思い描いたポイントで打ててるかどうかという感覚がしっかり一致してくるまで、あんまり不規則すぎる練習はしません。正確に合わせていきながら徐々に不規則との融合練習をやっていって、ゲームに近づけていくっていう流れの方が、感覚が復活しやすいんじゃないかなと感じます。
渋谷 今日はありがとうございました。楽しかったです。
卓球に復帰した方も、復帰を検討している方も参考にしてみてください!
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おかえり卓球~渋谷浩が"最強ベテラン"に会ってみた!
(まとめ=卓球レポート)




