「テレビで全日本卓球や世界卓球の放映を見て」「子どもが部活で始めて」「温泉旅館で久しぶりにラケットを手に取って」。
そんなふとしたきっかけで、あなたの中に眠っていた「卓球」が目を覚ますその時を、私たちはずっと待っていました。
「おかえり卓球」は、再び卓球の世界に戻ってきてくれた皆さんをお迎えするための、ささやかな場所です。
初回の前回は、1999年の全日本選手権で渋谷浩が圧倒的不利を跳ね返し、初優勝を果たした一戦を振り返りました。第2回は、1ゲーム21ポイント制だった時代の卓球とはどのようなものだったのか、そして、それは11ポイント制になってどのように変わったのか、2つの時代を経験している渋谷浩がその変化の核心に迫ります。
1ゲーム21ポイントの戦い方、11ポイントの戦い方
21ポイント制だからこそできた戦い方
この決勝が行われた1999年から、卓球はいくつかの大きなルール変更を重ねてきた。
その大きなひとつが1ゲーム21点制から11点制への変更(2001年9月1日)だ。この変更によって、プレーはどのような影響があったのだろうか。
「21点の時は、接戦になりそうな相手とやる場合には、戦術的に前半で思い切りカットを切っていました。そうすると、最終ゲームまで行くと、相手のスイングがガタガタになる。序盤で切っておくと、相手は持ち上げるために縦方向のスイングになる。そうすると、後半でナックルが効いてくるんです。押さえが利かなくなってくるんですね。カットを切れば相手の肩の消耗もそれだけ大きくなる。21点の5ゲームズマッチだからできた戦い方ですね」
11ポイント制になって変わったプレーと心構え
同じような戦い方は11点制ではできないのだろうか。
「11本の7ゲームズマッチで同じことができるかと言ったら、難しいですね。
(かつては)1ゲームの中でも、序盤は相手のドライブに対してラケット面の角度が合わなくて、8-12とかで負けているケースが多かったんですが、そこから逆転するのが得意でした。なので、21点の時は焦らずにプレーできました。
11点制だと4点差はもう致命的ですよね。1ゲーム取られたら焦りも出てしまうし、自分にはあまり向いてなかったと思います」
それでは、11ポイント制になってから戦い方はどのように変わったのか?
「前半、出足から攻撃を仕掛けていくしかないと思ってプレーしていました。一球一球の戦いですね。21点制では『ここは取られてもいい』というポイントがありましたが、11点勝負ではなかなかそういう発想になりにくい。いわゆる『見せ球』を使って相手を惑わすことで、1点を捨ててでも、後の2点、3点を取りにいくみたいな考え方でプレーすることが難しくなりましたね」
サービスの本数変更がもたらした駆け引きの変化
ポイントの変更に伴って、サービスも5本交替から2本交替に変更された。その点ではどのような影響があったのか。
「サービスの配球が大きく変わりました。21点のときは5本の中での組み立てを考えて、攻撃されにくい下回転系のサービスから入ることが多かったのですが、11点になってからは、攻撃をしなければいけないという意識で、上回転系から入ることが多くなりました。
21点制のときは、下回転系でまず相手に攻めさせない、それで、3〜5本目でナックル(無回転)性や上回転のサービスを出して3球目攻撃を仕掛けたりすると効果的でした。11点制では、そうした『組み立て』は難しいので、点が取れる(得点につながりやすい)サービスを出すことが優先になりますね」
初めて11ポイント制でプレーする方がいるとしたら、どのようなアドバイスが可能なのだろうか。
「とにかく大事なのは相手の研究とスタートダッシュだと思います。相手の情報をできるだけ把握しておく。対戦したことがなかったり、プレーを見たことがなければ、間接的にでも情報を集める。それもできない場合は、フォア打ちのときに、相手のプレーの癖などに注目します。私は特に、ラケットのグリップ(握り方)を見ます。
例えば、フォアハンドを打つときに打球面が内側を向いている選手だったら、フォアクロスに曲がってくるボールが多そうだなと予測を立てるので、フォア側には安易に送らないようにします。
逆に面が開いている選手だったら、バック側に送ったら、バッククロスに曲がってくるようなボールを打つのが得意だろうなという予測ができるといった具合です。
これはあくまでカット主戦型の私の視点ですが、攻撃型でも、相手の癖を見抜いてそれに対応したプレーを心掛けるという点では変わらないと思います。
用具についての知識も多ければ多いに越したことはないですね。例えば、対戦相手が表ラバーの場合などは、ブロックがナックルになりやすいかどうかなどは、知っているのといないのでは大きな差があると思います」
サービスルールの改定が与えた影響
また、2002年9月からはサービスのルールが改定され、いわゆるボディーハイドサービスが禁止されてフリーハンドや上半身でインパクトを隠すことができなくなった。このルール変更の影響はどれほどのものだったのか。
「ルール変更というのは全ての選手にとって同じ条件ではありますが、サービスがうまい選手、つまり、より巧みにサービスを工夫して得点に結びつけていた選手ほど、不利になったと言えると思います。私は中学生の頃から、いかに相手の目をごまかすかという練習ばかりしていたので(笑)、このルール改定の影響は大きかったです。
サービスを隠せなくなったというだけでなく、以前の方が体の近くでボールにラケットを当てることができたので、力が入りやすく、回転量が多いサービスが出しやすかったと思います。体を開くと、体からちょっと離れたところで打球しないといけないので、力が入りにくくなりました」
このルール改定の影響を強く受けたのがサービスの名手として知られた選手たちだ。
「劉国梁(中国)はアップダウンサービスがうまかったですね。私は、劉国梁のサービスは2バウンド目で止まるか伸びるかで回転を見極めていました。
ワルドナー(スウェーデン)もサービスの名手でした。彼の場合はラケットが全然動いていないように見えて、横上回転と横下回転が出せる。私はその回転の違いが分からなかったので、全部ツブ高でレシーブしていました」
ボディーハイドサービスを出していた選手が、今、卓球を再開した場合にはどのようなアドバイスが可能だろうか。
「以前のように、切れた下回転とナックルを分かりにくくするのは大分難しくなったと思います。ただ、回転のかけ方の違いなどで、分かりにくくする工夫はできると思います。
私の場合はラケットを振り下ろすスイングで回転をかける工夫をしていました。このかけ方の方が、通常のスイングに比べてフォロースルーが大きく取れるので、回転がかかります。馬琳(中国)もこのやり方でサービスを出していました。ボールタッチが難しいので練習は必要ですが、サービスにもまだ工夫の余地はあると思います」
次回は、卓球を大きく変化させたもう一つの要素──「38mmから40mmへ」、そして「セルロイドからプラスチックへ」。ボールの変遷が、卓球にどのような影響を与えたのかを見ていきたい。
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おかえり卓球〜渋谷浩と振り返る卓球の今むかし〜|試合編
おかえり卓球〜渋谷浩と振り返る卓球の今むかし〜|ルール・用具編
(まとめ=卓球レポート)





