静かな期待を、大きな歓喜へと変えた一戦だった。2025年5月25日、世界卓球2025ドーハの最終日。男子ダブルス決勝で日本の篠塚大登/戸上隼輔ペアが歴史的勝利を収め、1961年以来となる日本人の世界ダブルス王者が誕生した。
その一方で戸上は、男子シングルスでも日本勢で唯一となるベスト8入りを果たし、ダブルスとはまた異なる舞台で強さと存在感を示した。
帰国後間もない某日、いつもと変わらない様子でタマスに現れた世界チャンピオンは、いつもと変わらぬ様子で、時に軽妙に、時に深刻に、言葉を選びながら、私たちの質問に答えてくれた。インタビューでは、激闘のダブルス、そして己との対話でもあったシングルスの5試合を、戸上自身の言葉で振り返る。
前編では、男子シングルスについて詳しく聞いた。
単に同士打ちが嫌だということではなく、
「張本だから」という部分が強かった
--今大会は、組み合わせが事前に発表されましたが、ドローの結果はどのように受け止めましたか?
戸上隼輔(以下、戸上) さすがに日本人同士が序盤で当たるとは思っていませんでした。ドローを見ていましたが、シードの選手が先に決まって、なかなか自分の名前が出てこなくて、今年も王楚欽(中国)のところかななんて考えていたら、ぱっと日本の国旗が見えて「あ、自分かな」と思ったら、やっぱりそうでした。結局ベスト16決定戦(3回戦)で張本(張本智和)と当たることになって「マジか......」という感じでした。
--準決勝まで中国選手がいないブロックで、勝ち進める可能性が高いとは思いませんでしたか?
戸上 とりあえずひとつのヤマ場として張本を見ていたので、その先のことは考えていなかったですね。
メダルのチャンスは他の選手よりは高いとは思いましたが、「メダルメダル」とはならずに、張本に勝ってからどうするか考えようという方が大きかったです。
--張本選手と当たる可能性が高いことについてはどう思いましたか?
戸上 当たりたくないし、3回戦は早すぎだと思いました。当たるならせめてベスト8決定戦くらいで当たりたかったし、内心はすごく嫌でしたね。
--その「嫌」を具体的に言うと、どのような感じですか?
戸上 張本に勝つ想定をする中で、勝ったその次の試合のプレッシャーは本当に計り知れませんでした。次の試合で負けたら「せっかく張本に勝ったのに」みたいな感じになると思っていたので、それを考えるとしんどかったですね。「張本だったらこのブロックを勝ち抜けるだろうけど、自分は本当に勝ち抜ける実力があるのか、日本代表の悲願のメダルを自分の実力で勝ち取れるのか」と。その重圧を想像するだけで、張本としっかり戦えるかどうか分からないくらいでした。
だから、単に同士打ちが嫌だということではなく、「張本だから」という部分が強かったですね。他の日本選手だったら、ラッキーだと思えたかもしれませんし、他の選手に対してだったら「倒さなければいけない」というポジティブな考え方ができたと思いますが、張本に勝った後のことを考えると、「負けられない、負けたらどうしよう」というのはすごく考えてしまいましたね。
張本とは同じ日本代表の仲間として2人とも勝ち上がりたいと思っていたというのもあります。個人戦なのだから、ライバルとして挑戦すればいいという考え方もあったとは思いますが、結局は張本のことを「仲間」として見てしまっていた。だから、勝った後の重圧がすごく大きくなってしまったんだと思います。
WTTでも何回か勝ったり負けたりしていますが、今回ほどではないけど、自分が勝つとやっぱりちょっと深刻になってしまう部分はありましたね。
--事前合宿でも、張本選手と練習をしなかったということですが、お互いに意識はしていましたか?
戸上 僕はまず、張本のところ(3回戦)までいけるかどうかというところに一番不安を抱いていたので、その準備を一番に考えていました。結局、合宿期間中1回も練習はしませんでしたが、僕は自分の1、2回戦のために張本と練習したかったというのはあります。張本はやはり世界のトップ選手なので、練習ができたら自信につながることもあるし、張本が相手じゃないとできない練習もあるので。
意識はしたくはなかったけど、お互いにしてしまっていたと思います。
--大会に臨むに当たって、調子はいかがでしたか?
戸上 合宿中は張本がすごく練習していて、本当に「どれだけ練習するの?」というくらいずっと練習していたんですよ。で、それを見て僕も内心焦って「自分ももっとやらなきゃ」みたいに、つられてしまった部分がありましたが、合宿後半は大分我慢して抑えたので、ピークを大会期間中に合わせられました。本当に体調もよくて、精神的にもいい状態で初戦に臨めました。
--練習しすぎて失敗したという経験があったのですか?
戸上 昨年の釜山の世界卓球がそうでした。めちゃくちゃ練習して、体調を崩して、免疫力も下がってしまって。それがあったので、やりすぎないことも必要だと思うようになりました。
気持ちの中心には自信が大きくありました
--男子シングルス1回戦を振り返って、どのような試合でしたか?
戸上 マドリッド(メキシコ)は一度対戦したことがあって、2年前に3対0で勝っていましたが、ベテラン選手ならではの豊富なサービスにかなり警戒して臨みました。
始まってみると、予想以上に自分のレシーブがうまくいって、サービスもかなり効いたので、3球目、4球目でとどめを刺せることが多くて、予想していたよりも簡単に勝てました。
戸上 郭冠宏はWTTで向鵬(中国)に勝ったり、ユースの選手にしてはシニアでも結構勝っているという印象がありました。サウスポーで、サービスの出し方が、僕がまだ勝ったことがない林昀儒(中華台北)にそっくりで、そこはかなり警戒していました。
でも、まだ若いこともあって、ラリーではパワーのなさに救われました。ラリーで負けることはほとんどありませんでしたし、サービスで崩されてこちらが後手になっても、相手が先にミスしてくれたので、落ち着いてプレーできました。
--上田仁コーチからはどのようなアドバイスがありましたか?
戸上 バック側に来るロングサービスとフォア前へのショートサービスがすごく分かりづらくて、必要以上にフォア前をフォアハンドで取らないといけない機会が多かったので(※編集部注 バック側へのロングサービスを警戒していると、フォア前のサービスに対してバックハンドで回り込むことが難しくなる)、左利きの順横回転系サービスに対してフォアハンドでラケットの角度を合わせて返す練習などはしました。郭冠宏はまだパワーがないので、ツッツキを持ち上げさせてからの展開も悪くなかったですね。
--3回戦は張本選手が勝ち上がってきました。どのように試合に臨みましたか?
戸上 倒したい半面、張本に勝った後、次のヨルジッチ(スロベニア)に勝てるかどうかという不安と半々でした。
戦術的には、ラリーになれば自分が優位だと思っていたので、ラリーになるまでの展開を意識していました。何回もやっていますし、お互いの長所短所は分かっているので、正直、やることはそれほど変わりませんが、今回は、大事な場面での一本をどう取るかとか、トリッキーな戦術をどこで取り入れるかというのを考えながらやっていました。
--トリッキーな戦術というのは?
戸上 効いていることをずっとやり続けるのではなく、あえて一本強く打たないで普通に打つとか、そういうことですね。基本的には真っ向勝負で、極力ミスを減らすけど、時にはリスクを取ることも必要です。そのリスクをどこで取るかということをずっと考えながら試合をしていました。
--心情的には難しい部分もあったようですが、プレーはさえていましたね。
戸上 試合をやっていく中で、1点1点がどんどん自信につながっていったんです。
序盤2ゲーム連取して、3ゲーム目は逆転で取られてしまいましたが、特に焦ることもなく落ち着いてプレーできたし、いろいろ考えてしまって迷いもありましたが、気持ちの中心には自信が大きくありました。点を積み重ねるごとにどんどん調子も上がっていって、最後まで変な力が入ることなく自分のプレーができたのかなと思います。
僕の場合、WTTの初戦とか、ブンデスリーガでもそうですけど、緊張しやすいので結構思い詰めるんですが、そっちの方がいい緊張具合で挑みやすいという面はありますね。
ヨルジッチには負けたことはありますが、今年に入って4連勝していたので、負けるイメージがなく試合に入ったんですよ。どこかに勝ちのイメージが湧いていて、それで逆にゲームを取られた時に緊張してしまったのかもしれません。
命拾いしたなという感覚でしたね
--ヨルジッチ戦(4回戦)の話を引き続き聞かせてください。何度も対戦している相手ですが、サービスに苦しめられましたね。
戸上 ヨルジッチは極端で、バックハンドサービスとフォアの順横回転系サービスの2つしかなくて、すごくシンプルで崩しやすい半面、こっちも崩されやすい。基本的にはどちらかのサービスにハマってしまったら、ずっとそのサービスを使ってきますが、この試合では、僕が最初バックハンドサービスに苦しんで、途中はフォアハンドサービスに苦しんで、最後はまたバックハンドサービスに苦しみました。ヨルジッチはサービスの戦術をコロコロ変えてきて、そこにやりづらさを感じましたね。
でも、こちらのサービスもすごく効いていたので、とにかく自分のサービスで必ず2点取る、レシーブは2本中1本取ればいいという考えでプレーしていました。
--ヨルジッチ選手とは相性は悪くありませんが、この試合は本当にどちらが勝ってもおかしくない内容でしたね。
戸上 分はよかったけど、やっぱり、だてに世界ランキング10位ではないと試合中何度も思いました。ヨーロッパ選手に聞くとみんな言いますが、こちらがいくらリードしていたとしても、ヨルジッチが相手だといつの間にか逆転されることが多い。逆転でゲームを取られたり、気を抜いていると連続失点して取られてしまうんですよね。だから、本当に神経質に戦わないと、簡単にゲームを落としてしまう。5ゲーム目みたいに1点(1-11)で取られる怖さは結構ありますね。
6ゲーム目はマッチポイントを取られましたが、あの時はもう点数は見ないようにしていました。見たところで危機感が勝ってしまうだけなので、あまり考えることなく相手だけを見ながら集中していました。
ヨルジッチは爆発力もあって、正直、怖さはありましたが、僕の中ではどこかに自信もありましたね。追い詰められても怖さはないというか、こっちがしっかり試合に入って自信を持っていれば大丈夫だと思ってプレーしていました。
--最終ゲームは、6-9とリードを許し、マッチポイントも先に取られました。逆転して勝利が決まった瞬間の心境は?
戸上 感無量という感じでした。命拾いしたなという感覚でしたね。
勝つチャンスがあったからこそすごく悔しい
--次戦の準々決勝はメダルをかけてモーレゴード(スウェーデン)との対戦となりました。
戸上 試合後に卓レポの梅村さん(梅村礼/タマス・バタフライ・ヨーロッパ)のレポートを見ましたが、「まさにその通り!」という内容でした。痛いところを突かれていましたが、1から100まで全部合っていると思いました。
大事なところで攻め急いでしまったんですよね。それで、大事な、大事な4ゲーム目で8−5から6連続失点してしまって......。あのゲームを取っていれば、4対1で勝つ可能性があったし、2対2の10−8でもレシーブミスをして焦ってしまったし、ラリーは本当によかったと思いますが、そこに持って行くまでのこちらの焦りと相手の冷静さに惑わされてしまったかなと思います。
--最初の2ゲームは最高の立ち上がりだったと思いますが、どこかで流れが変わりましたか?
戸上 最初の2ゲームで行けるという手応えは正直ありましたね。相手も1ゲーム目を取りたかったと思いますが、自分が取って、そのままの勢いで2ゲーム目も取れました。3ゲーム目は出足は悪かったけど、やっていることは全部効いていたし、終始自分のペースで試合も運べていたので、想定していたより本当にうまくいったなという実感はあります。
--モーレゴードに敗れる選手は、トリッキーさに翻弄(ほんろう)されたり、雰囲気にのまれたりしてしまうパターンが多いと思いますが、その点では対応できているように見えました。
戸上 そこは大丈夫でしたね。ただ、ヨルジッチと対戦した4回戦までは会場で台を2台使っていて、隣のコートでも試合をしていたので、声援もずっと聞こえる感じでしたが、準々決勝からは1台だけになって、雰囲気が変わったんですよね。そこに自分はすごく不安があったんですよ。この雰囲気の中で自分の全力のプレーを出し切れるかなと。
でも、1ゲーム目から雰囲気にのまれることなく、しっかり試合に入り込めたという点では、臆することなくこの舞台で戦えているな、というのは試合中に思いました。
--試合内容は押している場面が多かったと思いますが、それでも勝つことができませんでした。モーレゴードとの間に差を感じた部分はどこですか?
戸上 やっぱりどれだけリードされていても、どれだけ競っていてもミスが少ないと思いました。こっちがリードしていても常に冷静で、自分の嫌なところばかり攻めてくる。落ち着いてプレーされているところにも焦りを感じました。
もちろんモーレゴードも感情を出してプレーしていましたが、感情を出した後はしっかり試合に向き合って集中してきていたので、それはすごいと思いましたね。集中力散漫にならずに戻ってこられるところはさすがだなと思いました。
--メダルには惜しくも届きませんでしたが、ベスト8という結果はどのように受け止めていますか?
戸上 自分がベスト8に入ったという自覚も実感もないですね。本当にひとつずつ戦った結果であって、初戦からいつの間にかベスト8に入って、メダル決定戦まで行っていた。モーレゴードとの試合もメダル決定戦という感覚はなく、この試合に勝って王楚欽とやりたいという気持ちで試合していたので、本当に実感はないですね。
ただ、今になって結構悔しいと思う瞬間はあります。もっと冷静にラリーにまで持ち込めていたらチャンスはあったし、「ラリーは自分の方が分がいい」と自信を持って思えていたら簡単なミスも減らせただろうし、もし、リスクを取らない選択をしていたらとか思ったり......。やっぱり勝つチャンスがあったからこそ余計にすごく悔しいんだと思います。(後編に続く)
(取材/まとめ=卓球レポート)




