選手紹介

選手

松崎 キミ代(まつざき きみよ)
1938年6月18日生
香川県高瀬町出身
右ペン表ソフト速攻型

小学5年生の時に、放課後の講堂で2人の選手が汗を流して白球を追いかけていたのを見たのが卓球との出合いだったという松崎。松崎は、ただラリーを見ることを楽しんでいただけではなく、打球の描く放物線の軌道に興味を持っていた。
単なる遊びであっても、絶対に負けるのが嫌だったというほどの"負けず嫌い"だったという松崎。負けた試合の後は、相手のサービスの特徴やスイングの癖を観察し、次の対戦で勝つための準備を必ず行っていた。この相手の特徴を観察することが、後に初めて対戦する選手の弱点を素早く見つけ出す能力につながった。また、医者から「心臓肥大と不整脈がある」と指摘されたときも、その心配をフットワーク時の呼吸の仕方を改善することで乗り越えた。
周囲の環境や自分の体調など、あらゆることを強くなるための糧として力をつけた松崎は、見事20歳で世界チャンピオンに輝いた。

主な戦績

世界卓球選手権大会大会初出場となった1959年の世界卓球選手権ドルトムント大会で、いきなり女子シングルスと女子団体の2冠王に輝く。続く1961年世界卓球選手権大会北京大会でも、団体と混合ダブルス(荻村伊智朗選手とのペア)の2つの金メダルを獲得すると、1963年世界卓球選手権プラハ大会ではシングルスとダブルス(関正子選手とのペア)、団体の3冠を達成した。他にも、全日本学生選手権大会3連覇、全日本卓球選手権大会女子シングルス2連覇を含む3勝など記録多数。

松崎 キミ代 選手のラケット

ラケット

1963年世界卓球選手権プラハ大会で、松崎選手が3冠王に輝いたときに使用したラケット。檜単板のペンホルダーで、重量はラバーを合わせて107g。ラケットをしっかり握ることができるように、グリップ部分は深く削られている。

ラバー

表ソフトラバーを使用。現存しているラバーはゴムの収縮が著しく、それに引っ張られる形で、シートの周囲にスポンジがはみ出している。